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有史以前は石器時代から人が住み、地中海の交易拠点にもなり、ローマ帝国の一部となった。5世紀にゲルマン系諸部族の国が乱立し、最終的に西ゴート王国が支配してカトリックキリスト教が広まる。8世紀には本土を追われた後ウマイヤ朝のイスラム帝国が北アフリカから侵攻してイベリア半島を勢力下に置き、イスラム文化が広がっていった。その一方でキリスト教勢力による国土回復運動のレコンキスタが高まり、14世紀までにほぼイスラム教勢力を追放する。

1516年3月にキリスト教・イスラム教問わず分立していたイベリア半島の諸王国は、カスティーリャアラゴン同君連合王国として統一される。1504年11月にハプスブルク家が支配し、大航海時代には南北のアメリカ大陸に進出して「太陽の沈まない帝国」として栄華を極めたが、イギリスの台頭などによって後に衰退し、1780年11月にスペイン・ハプスブルク朝が断絶した。幾度の戦争などもあってポルトガルオランダベルギーなども独立していった。

1808年7月に一時ナポレオン第一帝政下(ボナパルト朝)に支配されるも、独立戦争を起こして主権を取り戻す。しかし国内では王位継承や地方対王権の争いが絶えず、アルゼンチンボリビアなどの南アメリカの植民地が次々と独立した。1898年8月にアメリカ合衆国との米西戦争に敗北し、モロッコと西サハラ以外のほぼ全ての植民地を失った。

1914年7月と1939年9月にそれぞれ勃発した両大戦では中立を保ったが、1936年7月に左派政権に対してフランコ将軍がが反乱を起こしてスペイン内戦が勃発した。政府側に国際義勇軍が参戦するも、フランコ側を当時のドイツイタリアが支援した。その結果フランコは独裁的なファシズム政権を建てた。第二次世界大戦終結後の冷戦では西側に属すが、残るモロッコも植民地の独立は止められなかった。1975年11月にフランコの死去と共に王政復古を果たしたが、フランコが国王に指名した当時のフアン・カルロス1世らが中心となって立憲君主制の民主制を復活させた。

1986年1月にヨーロッパ共同体に加入し、それを契機に比較的安定した政治・経済情勢を保った。近年はリーマンショックユーロ危機による高い失業率に苦しんでおり、2010年7月にカタルーニャ州の独立画策問題が勃発した。ヨーロッパ連合の難民問題とも相まって独立が議論されるようになり、2017年10月に実施された独立の是非を問う住民投票は賛成多数となった。その後プッチダモン州首相はカタルーニャ独立宣言への保留を宣言し、中央政府との対話を行う考えを示した。

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