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レコンキスタの流れ

8世紀初頭、西アジアから北アフリカに急激に勢力を拡大したウマイヤ朝イスラム帝国は711年にイベリア半島に上陸。西ゴート王国を滅ぼし、半島の大半を「アル=アンダルス」として支配下に置いた。


718年にキリスト教徒側がアストゥリアス王国を建てて反撃の狼煙を上げ、これがレコンキスタの始まりとなった。フランク王国バルセロナ制圧を経て905年にはバルセロナ伯がアラゴン王国としてフランク王国から自立、イスラム勢力の分裂に乗じてアラゴンと、アストゥリアス→レオン→レオン・アストゥリアス→カスティーリャのカトリック両王国が南方に勢力を拡大していく。


ポルトガルのカスティーリャからの自立とアルガルヴェ制圧(1249年)を経て、最終的にカスティーリャとアラゴンのカトリック両王が、半島に最後まで残ったイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国を滅ぼし(1492年)イスラム教徒を追放、アル=アンダルスは終焉を迎えた(レコンキスタの完成)。


レコンキスタ後に当地に残ったユダヤ教徒とイスラム教徒を炙り出す名目で行われたのがスペイン異端審問であるが、実際には金融業で富を蓄えていたユダヤ人の財産狙いの思惑が大きかったと言われている。


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