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概説

実はタイは世界有数の映画生産国であり、現在では年間平均200本前後が作られている。

かつてはテンプレート的なプロットの物も多かったが、現在では新世代のクリエイターも多数参加しするようになっており、その内容もホラーコメディ特撮歴史社会問題を扱った物等、多様なジャンルの作品が制作されている。仏教仏教文化が色濃く描かれているのも特徴。

海外進出も著しく、有名な映画賞を獲得するような作品も増えつつある。


歴史

タイ映画の歴史は1897年『パリのシネマトグラフ』が国籍不詳のS・G・マコフスキー氏なる人物によって持ち込まれ、タイで上映されたことに始まる。


1900年代~1920年代

1900年、当時の国王の弟サンパサート・スパキット公爵が初めて国産の映画製作に成功。


1905年、日本人興行師によって常設映画館がバンコクに設置される。これが非常に人気であったため、タイの資本家の映画館経営への参入が相次ぎ、日本人経営の映画館は10年ほどで廃業に追い込まれてしまう。しかし、これによってタイでは映画のことをのことをナン・イープン(日本のスクリーン劇)と呼ぶ習慣が今後しばらく続くことになる。


当時のタイはまだ映画製作技術がまだまだ低かった為、劇映画ではなく実写フィルムによる国産ドキュメンタリー映画が中心であったが、輸入映画を刺激として徐々にそのレベルを上げていった。


多くの劇場ではヨーロッパからの輸入映画を上映していたが、第一次世界大戦後、欧州映画産業が低落したことでアメリカ映画が輸入されるようになり、アメリカ映画ブームが起きる。


1920年代~1950年代

1922年、映画の広報力に目をつけたタイ国有鉄道がタイ国初の映画制作機関である「国鉄ニュース映画部」を設立し、2年後にヘンリー・マグレイをリーダーとするハリウッドの映画チームと共同で『ナーンサーオ・スワン』を制作。これはそれまでドキュメンタリー中心であったタイ映画界がドラマ映画一色になるほどの反響を与えた。


1927年頃、タイ国は深刻な経済不況に陥る。そこで解雇された公務員たちが数人集まってタイ映画史上、初の民間映画製作会社「タイ映画製作会社」を設立。さらに資産家と新聞業界人によって設立されたクルンテープ映画会社が、民間製作会社初の劇映画であり、タイ人のみで製作されたタイで最初の映画である『二重の幸運』を公開する。


1930年には早々にトーキー映画(タイ人弁士による同時通訳形式ではあるが)が上陸し、1930年代後半までタイ映画界は黄金期を経験することになる。


しかし一方で経済不況は徐々にタイ経済を圧迫していき、1940年からは次々と興行会社が没落。特に第二次世界大戦の影響は深刻であり、日本軍のタイへの上陸と戦時下の景気低落に加えて、1941年の大洪水による映画スタジオへの被害が追い打ちをかけ、映画製作は非常に困難なものとなった。


戦後の不況期にはコストパフォーマンスの高さから16mmカラー・フィルムが主流に。


1950年代~1970年代

そして1956年、プラティープ・コモンピット監督が俳優ミット・チャイバンチャーを起用して『虎の叫び』を制作・公開したことを境にタイ映画界は大きく復興し、第二の黄金期を迎える。ミットは撮影中の事故死に至る1971年までの間に300本以上の作品に出演し、16mm時代の黄金期に制作された映画の半数以上はミットの出演があるとさえ言われている。


やがて1970年にミット主演のミュージカル映画『田舎の恋の魅惑』が大ヒットとロングランを記録したことがきっかけとなり、16mm映画制作者たちは35mmへの転向を意識し始める。


そしてミットの死後、タイ経済状況が大幅に改善したことや16mmカラーの粗悪な二番煎じの作品の乱造が横行したこともあって、16mmカラー映画はタイ映画界から姿を消し、35mm・アフレコ・シネマスコープ使用が主流となっていく。


1980年代~2000年代

1980年代に入るとアクション映画が多数に作られるようになり、パンナー・リッティクライに代表されるようなアクション俳優が登場。年間200本の映画を制作するようになり、世界でも有数の映画生産国となる。


しかし制作本数こそ高い水準を保ってきたものの作品の技術と質の点ではまだ甘い点があると言わざるを得ない状況であり、更に同じ頃、ハリウッド映画や香港映画、マサラ・ムービー(インド映画)の上映も盛んになっていったことで、徐々にタイ映画はこの後外国映画にその座を奪われていくことになる。


だが90年代に入って撮影機材にも最新の物が導入されるようになっていき、新しい世代のクリエイターたちが続々登場したことでタイ映画は技術・感性の面で著しく発展を遂げ、さらに様々な分野・カテゴリー・実験的表現の作品も製作されるようになる。


2000年代以降

2001年、チャトリーチャルーム監督の『スリヨータイ』の公開を境にタイ国内で一挙にタイ映画がブームに。

ここから国際的な進出も顕著になっていき、外国と共同で映画の制作に当たることも増加。


また、映画館でも英語字幕付きのタイ映画を上映する他、タイ映画の海外同時公開や国外の映画賞の受賞も現在では珍しいことではなくなりだし、日本でもムエタイアクション俳優トニー・ジャーが主演し撮影された2003年制作のパンナー・リッティクライ監督作品『マッハ!!!!!!!!』や、その後の世界進出作である『トム・ヤン・クン!』が公開され、大きな話題となった。


そして2010年に公開されたアピチャートポン・ウィーラセータクン監督の『ブンミおじさんの森』は第63回カンヌ国際映画祭にて、タイ映画史上初となるパルムドールを受賞するという快挙を成し遂げた。


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