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三千世界を乱すやつ…、ここで会ったがこんにちは!!

概要

概要

タイムボカンシリーズ第7作目。

オシャカ学園のオチャカ校長は、お釈迦様からの啓示を受け、西遊記の一行の末裔である、学園の優等生3人たてまえトリオにオシャカパズルを集めるよう指示を下す。

ところが、オシャカ学園入学を目指すヤンヤンダサイネントンメンタン三悪・二束三文トリオがそれを奪って裏口入学を企んでいた。彼らは各地の妖怪と手を組み、竜子ちゃんが変身するデンデンメカと一心同体させてパズルを集めようとする。

しかし、その時々に三悪といっしょに行動する少年・孫田空作(中の人田中真弓)がイタダキマンに変身する。ここで会ったがこんにちは!!


シリアスなイッパツマンからコメディ路線に回帰すると共に「主題歌を山本正之の作詞作曲ではない(※)」「善玉と悪玉が普段一緒に行動する」「ヒーロー自身が巨大化する」など、さまざまな新要素が組み込まれた。


そのOPだが、それまでシリーズ開闢以来、「OPは主役側主体」「EDは敵役側主体」としていたものが、本作ではOP敵役側の二束三文トリオばかり出てきていて、いちおうたてまえトリオオチャカ校長も登場するものの、肝心の主役であるイタダキマンの出番はわずか数秒という有様であった。

これほど主人公が登場しないOPは、おおよそアニメにおいては他に銀河鉄道999ぐらいしかない。こちらに至っては主人公は一切出ないのだが、知られる通り大成功と言って過言ではないコンテンツである。なお、TV版の本放送キー局はタイムボカンシリーズと同じフジテレビである。


当初は「チン遊記オシャカマン」の仮題だったが、前作の仮題だった「逆転サヨナラマン」と同様、「シリーズ終了を想起し縁起が悪い」として、視聴率トップを戴くと言う意味で「イタダキマン」に改題した。

しかし、その「イタダキ」は別な意味もあった(後述)。


打ち切りと評価

打ち切りと評価

「土曜8戦争」前哨戦に散ったイタダキマン

フジテレビは『逆転イッパツマン』まで土曜18時30分に放送されていた『タイムボカンシリーズ』を1時間繰り下げて19時30分に移動した。フジテレビの同時間帯は、1980年3月に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が終了して以降、後番組が低視聴率により半年以内で相次いで打ち切り、1983年4月にそのテコ入れとして『タイムボカンシリーズ』を移動させたものの、低視聴率により半年で打ち切られただけで無く、全20話の予定のうち1話未放送の憂き目に遭った。


というのも、まだ赤外線リモコン付テレビがやっと出てきた頃、テレビは『1家に1台』程度(これが1990年代になると『各部屋1台』『1人1台』の時代になる)、家庭用ビデオデッキもVHS陣営とベータマックスソニーとでバチバチやりはじめて普及が始まったばかり、という時期で、テレビはロータリーチャンネル時代の名残で、長時間1局に固定されっぱなしの事が多かった。その時代、TBSは19時ジャスト『まんが日本昔ばなし』・19時30分『クイズダービー』・そして何より土曜8時戦争と呼ばれた20時ジャストからは怪物『8時だョ!全員集合が控えているという、鉄壁のラインを敷いていたのだ。フジテレビ以外にも、NHKが当時この時間帯にいた『連想ゲーム』に大々的なテコ入れを行って勝負したが、一歩及ばず水曜19時30分に移動することになる(まぁ、こっちはこっちで、そんなのが移動してきたもんだから、フジの『うる星やつら』が放映されるまで、民放各社はNHKにいいようにされるんであるが)。


ストレートに見ていて不愉快

とは言うものの、フジテレビの“視聴率至上主義”から見ても低視聴率が打ち切りの根本原因であることは間違いないのだが、実際には(NHKを除き)テレビ番組の商業的成功・不成功は視聴率だけでは決まらない

一番肝心なのは「如何にスポンサーを繋ぎ止められるか」なのだ。

例を出すと、日本テレビ版『ドラえもん』裏番組が強力なために低視聴率に甘んじていたが、日本テレビからは2~4クール延長を打診されていた(制作会社側のお家騒動により実現せず当初の2クール完走で終了となった)。


イタダキマンはどうだったかというと、実際に視聴していた層からも評判が悪かった

下記の小山の記述にもあるが、安逸に宗教を(あまり褒められたものではない形で)ネタにしたため、視聴者(厳密には、視聴する児童の保護者)の不評を少なからず買った。

また、二束三文トリオが「妖怪を使役して戦う」という形態を取ったが、この為にダサイネンがただのセクハラ野郎と化してしまう(前作『イッパツマン』のコスイネングロッキー枠でも最有能と言われるためなおさら落差がひどい)。


昭和期のタイムボカンシリーズはWebなどまだ一般にはその存在さえ知られていなかった時代、ファンレターを作中に取り入れるという擬似的な双方向関係を作っていた。特に『ゼンダマン』以降は視聴者の録音録画したテープを作中で使うなどしていた。

しかしこの当初の二束三文トリオの行動が、視聴者から「自分たちの力で戦ってください」と言う苦言を呈する手紙が届いてしまうような事態となり、これを受けて路線変更がなされるも、最後まで評価は低いままだった。


テレビ局サイドと制作スタッフ側の確執

山本は『イタダキマン』をシリーズとして認めていないと、ファンの中でも議論が割れている。実際かなり腹を立てていたようで、エンディングテーマは前作『イッパツマン』の『シビビーン・ラプソディ』が、それまでの『それいけガイコッツ』『天才ドロンボー』のイメージを上書きしてしまうほどのシリーズを代表するヒットだったため、引き続いて山本が作詞・作曲を担当したが、自分で歌うのは癪だったらしく、よく似た声色のきたむらけんに歌わせた…………というのは誤りで、実際は声質が山本に似ているからスタッフに起用されただけである。山本本人はファンレターで「山本さん、今回はサラリと歌っているんですね」と言われて、その時は驚愕したらしい。

また、『平成タイムボカン』の主題歌にイタダキマンの名前だけ入っていない(山本の場合、それ自体をネタをして遊んでいる可能性もあるが)。

ちなみに、山本が『イタダキマン』で主題歌を外されたこと、フジテレビ側のプロデューサー・岡正との対立、フジテレビにより番組でアニメのBGMを無断使用されたことなど様々な出来事から、アニメ業界への疑問をぶつけるためにできたのが「アニメがなんだ」である。この楽曲は1995年3月22日に発売された『山本正之シングル文庫』第1期第4弾に収録されている(Wikipedia)。


また『逆転イッパツマン』までのメインライターであった小山高男もマンネリという理由でシリーズ構成を外され、脚本のみの参加という要請を受けていたが、その脚本も1本(第7話)書いた時点で「オチャカ校長にお釈迦様の霊が乗り移った」という設定に小山が「不謹慎だ」と反発したことで、結果として降板することとなった。小山自身、これまでのようにシリーズ構成の役職のままだったら降板できなかっただろうと、結果的にシリーズ構成を外されたことをよしとしている。

一方、後に削除した小山の公式サイトの本作に関する文章では、マンネリではなく山本と小山が岡と軋轢を起こしてシリーズ構成を外されたこと、山本と小山が本作の打ち切りに対して喝采をあげたことが記されていた。このため小山自身が『イタダキマン』をシリーズとして認めていない立場をとっている。

現在でも自身のX(Twitter)アカウントにて降ろされた事を愚痴った程である。


シリーズ暗黒期へ

『イタダキマン』打ち切りの影響で、続編として計画された『タイムボカンエクスプレス』『タイムボカンウォーズ サッパリマン』も頓挫。前述した「イタダキ」の別な意味である「板を抱く=重病者が担架に乗せられて運ばれる様」(今日の救急搬送体勢が整う以前、担架の代用品として雨戸の戸板が多用されたことから)という縁起の悪さがあたってしまうことになった。ひいてはタイムボカンシリーズそのものが板を抱く結果となり、皮肉にもCMアイキャッチでおだてブタが板を抱いて走るカットがあり、その通りになってしまった。その後、タツノコプロとフジテレビの関係が冷え込み、1985年の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後にフジテレビ制作のタツノコアニメが四半世紀ほど放送されなくなった。また、玩具スポンサーだったタカトクトイスも翌1984年5月に倒産の憂き目に遭った(これはスポンサーを務めた『超時空世紀オーガス』や『銀河疾風サスライガー』などの不振も関与している)。

タツノコプロは1989年の『天空戦記シュラト』からテレビ東京の制作番組を数多く手がけ、「アニメのテレ東」の原動力となった。なお、『タイムボカンシリーズ』は制作・放送局をテレビ東京に移した『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』(2000年)で復活、以後は日本テレビ系列で公開するようになる。


その後の扱い

その後の扱い

しかし、よくも悪くもシリーズファンの印象に残っている作品であり、スタッフや声優もかえって早く終わったことをネタにしている。(公式が末期)

ただし、主人公の声優を務めた田中真弓は、後にラジオ番組でタイムボカンシリーズの話題が出た際、「私がタイムボカンシリーズを終わらせてしまった」と生番組で泣き出してしまったことがある。


タイムボカン王道復古』で、「伊達に8年浪人してたわけじゃないわよ~!!いけいけー!」(ヤンヤン)「そうですよ、ボクちゃんたちもこれでメジャーよ」(ダサイネン)「おーっと、いきなりコケた!まさにシリーズを象徴してますねぇ」(トミー・ヤマ)や、

テレビゲーム『ボカンGoGoGo』での「大丈夫かしら?あたしたちって、ほら、競争って…苦手じゃない?」(ヤンヤン)「大丈夫ですよ、ヤンヤンさん。なにせわれわれ、テレビでも一番早くゴール迎えちゃいましたから」(ダサイネン)「どびぃ~ん!!」など、その自虐ネタには脱帽。

ただあまりの自虐ネタの多さに辟易する声も無いわけでもない。

近年でもタツノコプロ60周年記念のタイムボカンロボでも当初は6繋がりで初代タイムボカンからイッパツマンまでが取り扱われる予定だったが、担当者の提案によりイタダキマンも加えることになったという逸話も存在する。もはや公式が虐待の最大手である…。


登場メカ

登場メカ

筋斗雲メカ

イタダキマンが所有している三台のマシン。腰に付けたひょうたんの中から出現する。

本作では主にイタダキマン自身が巨大化して戦うため、主に移動用・戦闘補佐などで活躍した。玩具はタカトクトイスから発売。変形機能も再現されている。

  • カブトゼミ

カブトムシ型のマシン。角と足を折りたたみ、尾翼を立ててセミ型マシンに変形する。セミ型形態では鳴き声による超音波攻撃が可能。劇中での登場は最多。

  • ワンガルー

犬型マシン。直立し、両前足にボクシンググローブをはめている。耳を立て、腹部を開き、カンガルー型に変形する。登場は11話のみ。

  • ペリギン

ペンギン型マシン。直立した体型を前に倒し、ペンギンの頭部を引き込んでペリカンの頭部を展開させる事で、ペリカン型に変形する。登場は合計四話。

二束三文トリオ側のメカ

  • デンデンメカ

本作における三悪側のメカ。竜子ちゃんが変身した姿。

  • リリーフメカ

三悪トリオ自身が戦うために竜子に作らせた伸縮メカ。野球のリリーフカーに乗って登場する。

これらの詳細は竜子ちゃんの項目を参照。


関連タグ

関連タグ

タイムボカンシリーズ竜子ちゃん公式が末期


作品スタッフ

作品スタッフ

原作タツノコプロ企画室 九里一平
製作吉田健二
企画岡正
総監督笹川ひろし
担当ディレクター植田秀仁
キャラクターデザイン天野嘉孝
サブキャラクター上北実邪、上北希沙(上北ふたご)
キャラクタースタイリング水村十司
メカニックデザイン大河原邦男
脚本酒井あきよし 筒井ともみ 他
演出・絵コンテうえだひでひと 笹川ひろし 他
シリーズ構成酒井あきよし
原画作督水村十司 西城隆司 他
音楽神保正明 山本正之
プロデューサー井上明 大野実
制作タツノコプロ フジテレビ
放映期間昭和58年(1983年)4月9日~9月24日
放送回数19回(全20話 野球中継のため1話は再放送で初公開された。)
声の出演

外部リンク

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概要

概要

タイムボカンシリーズ第7作目。

オシャカ学園のオチャカ校長は、お釈迦様からの啓示を受け、西遊記の一行の末裔である、学園の優等生3人たてまえトリオにオシャカパズルを集めるよう指示を下す。

ところが、オシャカ学園入学を目指すヤンヤンダサイネントンメンタン三悪・二束三文トリオがそれを奪って裏口入学を企んでいた。彼らは各地の妖怪と手を組み、竜子ちゃんが変身するデンデンメカと一心同体させてパズルを集めようとする。

しかし、その時々に三悪といっしょに行動する少年・孫田空作(中の人田中真弓)がイタダキマンに変身する。ここで会ったがこんにちは!!


シリアスなイッパツマンからコメディ路線に回帰すると共に「主題歌を山本正之の作詞作曲ではない(※)」「善玉と悪玉が普段一緒に行動する」「ヒーロー自身が巨大化する」など、さまざまな新要素が組み込まれた。


そのOPだが、それまでシリーズ開闢以来、「OPは主役側主体」「EDは敵役側主体」としていたものが、本作ではOP敵役側の二束三文トリオばかり出てきていて、いちおうたてまえトリオオチャカ校長も登場するものの、肝心の主役であるイタダキマンの出番はわずか数秒という有様であった。

これほど主人公が登場しないOPは、おおよそアニメにおいては他に銀河鉄道999ぐらいしかない。こちらに至っては主人公は一切出ないのだが、知られる通り大成功と言って過言ではないコンテンツである。なお、TV版の本放送キー局はタイムボカンシリーズと同じフジテレビである。


当初は「チン遊記オシャカマン」の仮題だったが、前作の仮題だった「逆転サヨナラマン」と同様、「シリーズ終了を想起し縁起が悪い」として、視聴率トップを戴くと言う意味で「イタダキマン」に改題した。

しかし、その「イタダキ」は別な意味もあった(後述)。


打ち切りと評価

打ち切りと評価

「土曜8戦争」前哨戦に散ったイタダキマン

フジテレビは『逆転イッパツマン』まで土曜18時30分に放送されていた『タイムボカンシリーズ』を1時間繰り下げて19時30分に移動した。フジテレビの同時間帯は、1980年3月に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が終了して以降、後番組が低視聴率により半年以内で相次いで打ち切り、1983年4月にそのテコ入れとして『タイムボカンシリーズ』を移動させたものの、低視聴率により半年で打ち切られただけで無く、全20話の予定のうち1話未放送の憂き目に遭った。


というのも、まだ赤外線リモコン付テレビがやっと出てきた頃、テレビは『1家に1台』程度(これが1990年代になると『各部屋1台』『1人1台』の時代になる)、家庭用ビデオデッキもVHS陣営とベータマックスソニーとでバチバチやりはじめて普及が始まったばかり、という時期で、テレビはロータリーチャンネル時代の名残で、長時間1局に固定されっぱなしの事が多かった。その時代、TBSは19時ジャスト『まんが日本昔ばなし』・19時30分『クイズダービー』・そして何より土曜8時戦争と呼ばれた20時ジャストからは怪物『8時だョ!全員集合が控えているという、鉄壁のラインを敷いていたのだ。フジテレビ以外にも、NHKが当時この時間帯にいた『連想ゲーム』に大々的なテコ入れを行って勝負したが、一歩及ばず水曜19時30分に移動することになる(まぁ、こっちはこっちで、そんなのが移動してきたもんだから、フジの『うる星やつら』が放映されるまで、民放各社はNHKにいいようにされるんであるが)。


ストレートに見ていて不愉快

とは言うものの、フジテレビの“視聴率至上主義”から見ても低視聴率が打ち切りの根本原因であることは間違いないのだが、実際には(NHKを除き)テレビ番組の商業的成功・不成功は視聴率だけでは決まらない

一番肝心なのは「如何にスポンサーを繋ぎ止められるか」なのだ。

例を出すと、日本テレビ版『ドラえもん』裏番組が強力なために低視聴率に甘んじていたが、日本テレビからは2~4クール延長を打診されていた(制作会社側のお家騒動により実現せず当初の2クール完走で終了となった)。


イタダキマンはどうだったかというと、実際に視聴していた層からも評判が悪かった

下記の小山の記述にもあるが、安逸に宗教を(あまり褒められたものではない形で)ネタにしたため、視聴者(厳密には、視聴する児童の保護者)の不評を少なからず買った。

また、二束三文トリオが「妖怪を使役して戦う」という形態を取ったが、この為にダサイネンがただのセクハラ野郎と化してしまう(前作『イッパツマン』のコスイネングロッキー枠でも最有能と言われるためなおさら落差がひどい)。


昭和期のタイムボカンシリーズはWebなどまだ一般にはその存在さえ知られていなかった時代、ファンレターを作中に取り入れるという擬似的な双方向関係を作っていた。特に『ゼンダマン』以降は視聴者の録音録画したテープを作中で使うなどしていた。

しかしこの当初の二束三文トリオの行動が、視聴者から「自分たちの力で戦ってください」と言う苦言を呈する手紙が届いてしまうような事態となり、これを受けて路線変更がなされるも、最後まで評価は低いままだった。


テレビ局サイドと制作スタッフ側の確執

山本は『イタダキマン』をシリーズとして認めていないと、ファンの中でも議論が割れている。実際かなり腹を立てていたようで、エンディングテーマは前作『イッパツマン』の『シビビーン・ラプソディ』が、それまでの『それいけガイコッツ』『天才ドロンボー』のイメージを上書きしてしまうほどのシリーズを代表するヒットだったため、引き続いて山本が作詞・作曲を担当したが、自分で歌うのは癪だったらしく、よく似た声色のきたむらけんに歌わせた…………というのは誤りで、実際は声質が山本に似ているからスタッフに起用されただけである。山本本人はファンレターで「山本さん、今回はサラリと歌っているんですね」と言われて、その時は驚愕したらしい。

また、『平成タイムボカン』の主題歌にイタダキマンの名前だけ入っていない(山本の場合、それ自体をネタをして遊んでいる可能性もあるが)。

ちなみに、山本が『イタダキマン』で主題歌を外されたこと、フジテレビ側のプロデューサー・岡正との対立、フジテレビにより番組でアニメのBGMを無断使用されたことなど様々な出来事から、アニメ業界への疑問をぶつけるためにできたのが「アニメがなんだ」である。この楽曲は1995年3月22日に発売された『山本正之シングル文庫』第1期第4弾に収録されている(Wikipedia)。


また『逆転イッパツマン』までのメインライターであった小山高男もマンネリという理由でシリーズ構成を外され、脚本のみの参加という要請を受けていたが、その脚本も1本(第7話)書いた時点で「オチャカ校長にお釈迦様の霊が乗り移った」という設定に小山が「不謹慎だ」と反発したことで、結果として降板することとなった。小山自身、これまでのようにシリーズ構成の役職のままだったら降板できなかっただろうと、結果的にシリーズ構成を外されたことをよしとしている。

一方、後に削除した小山の公式サイトの本作に関する文章では、マンネリではなく山本と小山が岡と軋轢を起こしてシリーズ構成を外されたこと、山本と小山が本作の打ち切りに対して喝采をあげたことが記されていた。このため小山自身が『イタダキマン』をシリーズとして認めていない立場をとっている。

現在でも自身のX(Twitter)アカウントにて降ろされた事を愚痴った程である。


シリーズ暗黒期へ

『イタダキマン』打ち切りの影響で、続編として計画された『タイムボカンエクスプレス』『タイムボカンウォーズ サッパリマン』も頓挫。前述した「イタダキ」の別な意味である「板を抱く=重病者が担架に乗せられて運ばれる様」(今日の救急搬送体勢が整う以前、担架の代用品として雨戸の戸板が多用されたことから)という縁起の悪さがあたってしまうことになった。ひいてはタイムボカンシリーズそのものが板を抱く結果となり、皮肉にもCMアイキャッチでおだてブタが板を抱いて走るカットがあり、その通りになってしまった。その後、タツノコプロとフジテレビの関係が冷え込み、1985年の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後にフジテレビ制作のタツノコアニメが四半世紀ほど放送されなくなった。また、玩具スポンサーだったタカトクトイスも翌1984年5月に倒産の憂き目に遭った(これはスポンサーを務めた『超時空世紀オーガス』や『銀河疾風サスライガー』などの不振も関与している)。

タツノコプロは1989年の『天空戦記シュラト』からテレビ東京の制作番組を数多く手がけ、「アニメのテレ東」の原動力となった。なお、『タイムボカンシリーズ』は制作・放送局をテレビ東京に移した『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』(2000年)で復活、以後は日本テレビ系列で公開するようになる。


その後の扱い

その後の扱い

しかし、よくも悪くもシリーズファンの印象に残っている作品であり、スタッフや声優もかえって早く終わったことをネタにしている。(公式が末期)

ただし、主人公の声優を務めた田中真弓は、後にラジオ番組でタイムボカンシリーズの話題が出た際、「私がタイムボカンシリーズを終わらせてしまった」と生番組で泣き出してしまったことがある。


タイムボカン王道復古』で、「伊達に8年浪人してたわけじゃないわよ~!!いけいけー!」(ヤンヤン)「そうですよ、ボクちゃんたちもこれでメジャーよ」(ダサイネン)「おーっと、いきなりコケた!まさにシリーズを象徴してますねぇ」(トミー・ヤマ)や、

テレビゲーム『ボカンGoGoGo』での「大丈夫かしら?あたしたちって、ほら、競争って…苦手じゃない?」(ヤンヤン)「大丈夫ですよ、ヤンヤンさん。なにせわれわれ、テレビでも一番早くゴール迎えちゃいましたから」(ダサイネン)「どびぃ~ん!!」など、その自虐ネタには脱帽。

ただあまりの自虐ネタの多さに辟易する声も無いわけでもない。

近年でもタツノコプロ60周年記念のタイムボカンロボでも当初は6繋がりで初代タイムボカンからイッパツマンまでが取り扱われる予定だったが、担当者の提案によりイタダキマンも加えることになったという逸話も存在する。もはや公式が虐待の最大手である…。


登場メカ

登場メカ

筋斗雲メカ

イタダキマンが所有している三台のマシン。腰に付けたひょうたんの中から出現する。

本作では主にイタダキマン自身が巨大化して戦うため、主に移動用・戦闘補佐などで活躍した。玩具はタカトクトイスから発売。変形機能も再現されている。

  • カブトゼミ

カブトムシ型のマシン。角と足を折りたたみ、尾翼を立ててセミ型マシンに変形する。セミ型形態では鳴き声による超音波攻撃が可能。劇中での登場は最多。

  • ワンガルー

犬型マシン。直立し、両前足にボクシンググローブをはめている。耳を立て、腹部を開き、カンガルー型に変形する。登場は11話のみ。

  • ペリギン

ペンギン型マシン。直立した体型を前に倒し、ペンギンの頭部を引き込んでペリカンの頭部を展開させる事で、ペリカン型に変形する。登場は合計四話。

二束三文トリオ側のメカ

  • デンデンメカ

本作における三悪側のメカ。竜子ちゃんが変身した姿。

  • リリーフメカ

三悪トリオ自身が戦うために竜子に作らせた伸縮メカ。野球のリリーフカーに乗って登場する。

これらの詳細は竜子ちゃんの項目を参照。


作品スタッフ

作品スタッフ

原作タツノコプロ企画室 九里一平
製作吉田健二
企画岡正
総監督笹川ひろし
担当ディレクター植田秀仁
キャラクターデザイン天野嘉孝
サブキャラクター上北実邪、上北希沙(上北ふたご)
キャラクタースタイリング水村十司
メカニックデザイン大河原邦男
脚本酒井あきよし 筒井ともみ 他
演出・絵コンテうえだひでひと 笹川ひろし 他
シリーズ構成酒井あきよし
原画作督水村十司 西城隆司 他
音楽神保正明 山本正之
プロデューサー井上明 大野実
制作タツノコプロ フジテレビ
放映期間昭和58年(1983年)4月9日~9月24日
放送回数19回(全20話 野球中継のため1話は再放送で初公開された。)
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オシャカ学園のオチャカ校長は、お釈迦様からの啓示を受け、西遊記の一行の末裔である、学園の優等生3人たてまえトリオにオシャカパズルを集めるよう指示を下す。

ところが、オシャカ学園入学を目指すヤンヤンダサイネントンメンタン三悪・二束三文トリオがそれを奪って裏口入学を企んでいた。彼らは各地の妖怪と手を組み、竜子ちゃんが変身するデンデンメカと一心同体させてパズルを集めようとする。

しかし、その時々に三悪といっしょに行動する少年・孫田空作(中の人田中真弓)がイタダキマンに変身する。ここで会ったがこんにちは!!


シリアスなイッパツマンからコメディ路線に回帰すると共に「主題歌を山本正之の作詞作曲ではない(※)」「善玉と悪玉が普段一緒に行動する」「ヒーロー自身が巨大化する」など、さまざまな新要素が組み込まれた。


そのOPだが、それまでシリーズ開闢以来、「OPは主役側主体」「EDは敵役側主体」としていたものが、本作ではOP敵役側の二束三文トリオばかり出てきていて、いちおうたてまえトリオオチャカ校長も登場するものの、肝心の主役であるイタダキマンの出番はわずか数秒という有様であった。

これほど主人公が登場しないOPは、おおよそアニメにおいては他に銀河鉄道999ぐらいしかない。こちらに至っては主人公は一切出ないのだが、知られる通り大成功と言って過言ではないコンテンツである。なお、TV版の本放送キー局はタイムボカンシリーズと同じフジテレビである。


当初は「チン遊記オシャカマン」の仮題だったが、前作の仮題だった「逆転サヨナラマン」と同様、「シリーズ終了を想起し縁起が悪い」として、視聴率トップを戴くと言う意味で「イタダキマン」に改題した。

しかし、その「イタダキ」は別な意味もあった(後述)。


打ち切りと評価

打ち切りと評価

「土曜8戦争」前哨戦に散ったイタダキマン

フジテレビは『逆転イッパツマン』まで土曜18時30分に放送されていた『タイムボカンシリーズ』を1時間繰り下げて19時30分に移動した。フジテレビの同時間帯は、1980年3月に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が終了して以降、後番組が低視聴率により半年以内で相次いで打ち切り、1983年4月にそのテコ入れとして『タイムボカンシリーズ』を移動させたものの、低視聴率により半年で打ち切られただけで無く、全20話の予定のうち1話未放送の憂き目に遭った。


というのも、まだ赤外線リモコン付テレビがやっと出てきた頃、テレビは『1家に1台』程度(これが1990年代になると『各部屋1台』『1人1台』の時代になる)、家庭用ビデオデッキもVHS陣営とベータマックスソニーとでバチバチやりはじめて普及が始まったばかり、という時期で、テレビはロータリーチャンネル時代の名残で、長時間1局に固定されっぱなしの事が多かった。その時代、TBSは19時ジャスト『まんが日本昔ばなし』・19時30分『クイズダービー』・そして何より土曜8時戦争と呼ばれた20時ジャストからは怪物『8時だョ!全員集合が控えているという、鉄壁のラインを敷いていたのだ。フジテレビ以外にも、NHKが当時この時間帯にいた『連想ゲーム』に大々的なテコ入れを行って勝負したが、一歩及ばず水曜19時30分に移動することになる(まぁ、こっちはこっちで、そんなのが移動してきたもんだから、フジの『うる星やつら』が放映されるまで、民放各社はNHKにいいようにされるんであるが)。


ストレートに見ていて不愉快

とは言うものの、フジテレビの“視聴率至上主義”から見ても低視聴率が打ち切りの根本原因であることは間違いないのだが、実際には(NHKを除き)テレビ番組の商業的成功・不成功は視聴率だけでは決まらない

一番肝心なのは「如何にスポンサーを繋ぎ止められるか」なのだ。

例を出すと、日本テレビ版『ドラえもん』裏番組が強力なために低視聴率に甘んじていたが、日本テレビからは2~4クール延長を打診されていた(制作会社側のお家騒動により実現せず当初の2クール完走で終了となった)。


イタダキマンはどうだったかというと、実際に視聴していた層からも評判が悪かった

下記の小山の記述にもあるが、安逸に宗教を(あまり褒められたものではない形で)ネタにしたため、視聴者(厳密には、視聴する児童の保護者)の不評を少なからず買った。

また、二束三文トリオが「妖怪を使役して戦う」という形態を取ったが、この為にダサイネンがただのセクハラ野郎と化してしまう(前作『イッパツマン』のコスイネングロッキー枠でも最有能と言われるためなおさら落差がひどい)。


昭和期のタイムボカンシリーズはWebなどまだ一般にはその存在さえ知られていなかった時代、ファンレターを作中に取り入れるという擬似的な双方向関係を作っていた。特に『ゼンダマン』以降は視聴者の録音録画したテープを作中で使うなどしていた。

しかしこの当初の二束三文トリオの行動が、視聴者から「自分たちの力で戦ってください」と言う苦言を呈する手紙が届いてしまうような事態となり、これを受けて路線変更がなされるも、最後まで評価は低いままだった。


テレビ局サイドと制作スタッフ側の確執

山本は『イタダキマン』をシリーズとして認めていないと、ファンの中でも議論が割れている。実際かなり腹を立てていたようで、エンディングテーマは前作『イッパツマン』の『シビビーン・ラプソディ』が、それまでの『それいけガイコッツ』『天才ドロンボー』のイメージを上書きしてしまうほどのシリーズを代表するヒットだったため、引き続いて山本が作詞・作曲を担当したが、自分で歌うのは癪だったらしく、よく似た声色のきたむらけんに歌わせた…………というのは誤りで、実際は声質が山本に似ているからスタッフに起用されただけである。山本本人はファンレターで「山本さん、今回はサラリと歌っているんですね」と言われて、その時は驚愕したらしい。

また、『平成タイムボカン』の主題歌にイタダキマンの名前だけ入っていない(山本の場合、それ自体をネタをして遊んでいる可能性もあるが)。

ちなみに、山本が『イタダキマン』で主題歌を外されたこと、フジテレビ側のプロデューサー・岡正との対立、フジテレビにより番組でアニメのBGMを無断使用されたことなど様々な出来事から、アニメ業界への疑問をぶつけるためにできたのが「アニメがなんだ」である。この楽曲は1995年3月22日に発売された『山本正之シングル文庫』第1期第4弾に収録されている(Wikipedia)。


また『逆転イッパツマン』までのメインライターであった小山高男もマンネリという理由でシリーズ構成を外され、脚本のみの参加という要請を受けていたが、その脚本も1本(第7話)書いた時点で「オチャカ校長にお釈迦様の霊が乗り移った」という設定に小山が「不謹慎だ」と反発したことで、結果として降板することとなった。小山自身、これまでのようにシリーズ構成の役職のままだったら降板できなかっただろうと、結果的にシリーズ構成を外されたことをよしとしている。

一方、後に削除した小山の公式サイトの本作に関する文章では、マンネリではなく山本と小山が岡と軋轢を起こしてシリーズ構成を外されたこと、山本と小山が本作の打ち切りに対して喝采をあげたことが記されていた。このため小山自身が『イタダキマン』をシリーズとして認めていない立場をとっている。

現在でも自身のX(Twitter)アカウントにて降ろされた事を愚痴った程である。


シリーズ暗黒期へ

『イタダキマン』打ち切りの影響で、続編として計画された『タイムボカンエクスプレス』『タイムボカンウォーズ サッパリマン』も頓挫。前述した「イタダキ」の別な意味である「板を抱く=重病者が担架に乗せられて運ばれる様」(今日の救急搬送体勢が整う以前、担架の代用品として雨戸の戸板が多用されたことから)という縁起の悪さがあたってしまうことになった。ひいてはタイムボカンシリーズそのものが板を抱く結果となり、皮肉にもCMアイキャッチでおだてブタが板を抱いて走るカットがあり、その通りになってしまった。その後、タツノコプロとフジテレビの関係が冷え込み、1985年の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後にフジテレビ制作のタツノコアニメが四半世紀ほど放送されなくなった。また、玩具スポンサーだったタカトクトイスも翌1984年5月に倒産の憂き目に遭った(これはスポンサーを務めた『超時空世紀オーガス』や『銀河疾風サスライガー』などの不振も関与している)。

タツノコプロは1989年の『天空戦記シュラト』からテレビ東京の制作番組を数多く手がけ、「アニメのテレ東」の原動力となった。なお、『タイムボカンシリーズ』は制作・放送局をテレビ東京に移した『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』(2000年)で復活、以後は日本テレビ系列で公開するようになる。


その後の扱い

その後の扱い

しかし、よくも悪くもシリーズファンの印象に残っている作品であり、スタッフや声優もかえって早く終わったことをネタにしている。(公式が末期)

ただし、主人公の声優を務めた田中真弓は、後にラジオ番組でタイムボカンシリーズの話題が出た際、「私がタイムボカンシリーズを終わらせてしまった」と生番組で泣き出してしまったことがある。


タイムボカン王道復古』で、「伊達に8年浪人してたわけじゃないわよ~!!いけいけー!」(ヤンヤン)「そうですよ、ボクちゃんたちもこれでメジャーよ」(ダサイネン)「おーっと、いきなりコケた!まさにシリーズを象徴してますねぇ」(トミー・ヤマ)や、

テレビゲーム『ボカンGoGoGo』での「大丈夫かしら?あたしたちって、ほら、競争って…苦手じゃない?」(ヤンヤン)「大丈夫ですよ、ヤンヤンさん。なにせわれわれ、テレビでも一番早くゴール迎えちゃいましたから」(ダサイネン)「どびぃ~ん!!」など、その自虐ネタには脱帽。

ただあまりの自虐ネタの多さに辟易する声も無いわけでもない。

近年でもタツノコプロ60周年記念のタイムボカンロボでも当初は6繋がりで初代タイムボカンからイッパツマンまでが取り扱われる予定だったが、担当者の提案によりイタダキマンも加えることになったという逸話も存在する。もはや公式が虐待の最大手である…。


登場メカ

登場メカ

筋斗雲メカ

イタダキマンが所有している三台のマシン。腰に付けたひょうたんの中から出現する。

本作では主にイタダキマン自身が巨大化して戦うため、主に移動用・戦闘補佐などで活躍した。玩具はタカトクトイスから発売。変形機能も再現されている。

  • カブトゼミ

カブトムシ型のマシン。角と足を折りたたみ、尾翼を立ててセミ型マシンに変形する。セミ型形態では鳴き声による超音波攻撃が可能。劇中での登場は最多。

  • ワンガルー

犬型マシン。直立し、両前足にボクシンググローブをはめている。耳を立て、腹部を開き、カンガルー型に変形する。登場は11話のみ。

  • ペリギン

ペンギン型マシン。直立した体型を前に倒し、ペンギンの頭部を引き込んでペリカンの頭部を展開させる事で、ペリカン型に変形する。登場は合計四話。

二束三文トリオ側のメカ

  • デンデンメカ

本作における三悪側のメカ。竜子ちゃんが変身した姿。

  • リリーフメカ

三悪トリオ自身が戦うために竜子に作らせた伸縮メカ。野球のリリーフカーに乗って登場する。

これらの詳細は竜子ちゃんの項目を参照。


関連タグ

関連タグ

タイムボカンシリーズ竜子ちゃん公式が末期


作品スタッフ

作品スタッフ

原作タツノコプロ企画室 九里一平
製作吉田健二
企画岡正
総監督笹川ひろし
担当ディレクター植田秀仁
キャラクターデザイン天野嘉孝
サブキャラクター上北実邪、上北希沙(上北ふたご)
キャラクタースタイリング水村十司
メカニックデザイン大河原邦男
脚本酒井あきよし 筒井ともみ 他
演出・絵コンテうえだひでひと 笹川ひろし 他
シリーズ構成酒井あきよし
原画作督水村十司 西城隆司 他
音楽神保正明 山本正之
プロデューサー井上明 大野実
制作タツノコプロ フジテレビ
放映期間昭和58年(1983年)4月9日~9月24日
放送回数19回(全20話 野球中継のため1話は再放送で初公開された。)
声の出演

外部リンク

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概要

概要

タイムボカンシリーズ第7作目。

オシャカ学園のオチャカ校長は、お釈迦様からの啓示を受け、西遊記の一行の末裔である、学園の優等生3人たてまえトリオにオシャカパズルを集めるよう指示を下す。

ところが、オシャカ学園入学を目指すヤンヤンダサイネントンメンタン三悪・二束三文トリオがそれを奪って裏口入学を企んでいた。彼らは各地の妖怪と手を組み、竜子ちゃんが変身するデンデンメカと一心同体させてパズルを集めようとする。

しかし、その時々に三悪といっしょに行動する少年・孫田空作(中の人田中真弓)がイタダキマンに変身する。ここで会ったがこんにちは!!


シリアスなイッパツマンからコメディ路線に回帰すると共に「主題歌を山本正之の作詞作曲ではない(※)」「善玉と悪玉が普段一緒に行動する」「ヒーロー自身が巨大化する」など、さまざまな新要素が組み込まれた。


そのOPだが、それまでシリーズ開闢以来、「OPは主役側主体」「EDは敵役側主体」としていたものが、本作ではOP敵役側の二束三文トリオばかり出てきていて、いちおうたてまえトリオオチャカ校長も登場するものの、肝心の主役であるイタダキマンの出番はわずか数秒という有様であった。

これほど主人公が登場しないOPは、おおよそアニメにおいては他に銀河鉄道999ぐらいしかない。こちらに至っては主人公は一切出ないのだが、知られる通り大成功と言って過言ではないコンテンツである。なお、TV版の本放送キー局はタイムボカンシリーズと同じフジテレビである。


当初は「チン遊記オシャカマン」の仮題だったが、前作の仮題だった「逆転サヨナラマン」と同様、「シリーズ終了を想起し縁起が悪い」として、視聴率トップを戴くと言う意味で「イタダキマン」に改題した。

しかし、その「イタダキ」は別な意味もあった(後述)。


打ち切りと評価

打ち切りと評価

「土曜8戦争」前哨戦に散ったイタダキマン

フジテレビは『逆転イッパツマン』まで土曜18時30分に放送されていた『タイムボカンシリーズ』を1時間繰り下げて19時30分に移動した。フジテレビの同時間帯は、1980年3月に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が終了して以降、後番組が低視聴率により半年以内で相次いで打ち切り、1983年4月にそのテコ入れとして『タイムボカンシリーズ』を移動させたものの、低視聴率により半年で打ち切られただけで無く、全20話の予定のうち1話未放送の憂き目に遭った。


というのも、まだ赤外線リモコン付テレビがやっと出てきた頃、テレビは『1家に1台』程度(これが1990年代になると『各部屋1台』『1人1台』の時代になる)、家庭用ビデオデッキもVHS陣営とベータマックスソニーとでバチバチやりはじめて普及が始まったばかり、という時期で、テレビはロータリーチャンネル時代の名残で、長時間1局に固定されっぱなしの事が多かった。その時代、TBSは19時ジャスト『まんが日本昔ばなし』・19時30分『クイズダービー』・そして何より土曜8時戦争と呼ばれた20時ジャストからは怪物『8時だョ!全員集合が控えているという、鉄壁のラインを敷いていたのだ。フジテレビ以外にも、NHKが当時この時間帯にいた『連想ゲーム』に大々的なテコ入れを行って勝負したが、一歩及ばず水曜19時30分に移動することになる(まぁ、こっちはこっちで、そんなのが移動してきたもんだから、フジの『うる星やつら』が放映されるまで、民放各社はNHKにいいようにされるんであるが)。


ストレートに見ていて不愉快

とは言うものの、フジテレビの“視聴率至上主義”から見ても低視聴率が打ち切りの根本原因であることは間違いないのだが、実際には(NHKを除き)テレビ番組の商業的成功・不成功は視聴率だけでは決まらない

一番肝心なのは「如何にスポンサーを繋ぎ止められるか」なのだ。

例を出すと、日本テレビ版『ドラえもん』裏番組が強力なために低視聴率に甘んじていたが、日本テレビからは2~4クール延長を打診されていた(制作会社側のお家騒動により実現せず当初の2クール完走で終了となった)。


イタダキマンはどうだったかというと、実際に視聴していた層からも評判が悪かった

下記の小山の記述にもあるが、安逸に宗教を(あまり褒められたものではない形で)ネタにしたため、視聴者(厳密には、視聴する児童の保護者)の不評を少なからず買った。

また、二束三文トリオが「妖怪を使役して戦う」という形態を取ったが、この為にダサイネンがただのセクハラ野郎と化してしまう(前作『イッパツマン』のコスイネングロッキー枠でも最有能と言われるためなおさら落差がひどい)。


昭和期のタイムボカンシリーズはWebなどまだ一般にはその存在さえ知られていなかった時代、ファンレターを作中に取り入れるという擬似的な双方向関係を作っていた。特に『ゼンダマン』以降は視聴者の録音録画したテープを作中で使うなどしていた。

しかしこの当初の二束三文トリオの行動が、視聴者から「自分たちの力で戦ってください」と言う苦言を呈する手紙が届いてしまうような事態となり、これを受けて路線変更がなされるも、最後まで評価は低いままだった。


テレビ局サイドと制作スタッフ側の確執

山本は『イタダキマン』をシリーズとして認めていないと、ファンの中でも議論が割れている。実際かなり腹を立てていたようで、エンディングテーマは前作『イッパツマン』の『シビビーン・ラプソディ』が、それまでの『それいけガイコッツ』『天才ドロンボー』のイメージを上書きしてしまうほどのシリーズを代表するヒットだったため、引き続いて山本が作詞・作曲を担当したが、自分で歌うのは癪だったらしく、よく似た声色のきたむらけんに歌わせた…………というのは誤りで、実際は声質が山本に似ているからスタッフに起用されただけである。山本本人はファンレターで「山本さん、今回はサラリと歌っているんですね」と言われて、その時は驚愕したらしい。

また、『平成タイムボカン』の主題歌にイタダキマンの名前だけ入っていない(山本の場合、それ自体をネタをして遊んでいる可能性もあるが)。

ちなみに、山本が『イタダキマン』で主題歌を外されたこと、フジテレビ側のプロデューサー・岡正との対立、フジテレビにより番組でアニメのBGMを無断使用されたことなど様々な出来事から、アニメ業界への疑問をぶつけるためにできたのが「アニメがなんだ」である。この楽曲は1995年3月22日に発売された『山本正之シングル文庫』第1期第4弾に収録されている(Wikipedia)。


また『逆転イッパツマン』までのメインライターであった小山高男もマンネリという理由でシリーズ構成を外され、脚本のみの参加という要請を受けていたが、その脚本も1本(第7話)書いた時点で「オチャカ校長にお釈迦様の霊が乗り移った」という設定に小山が「不謹慎だ」と反発したことで、結果として降板することとなった。小山自身、これまでのようにシリーズ構成の役職のままだったら降板できなかっただろうと、結果的にシリーズ構成を外されたことをよしとしている。

一方、後に削除した小山の公式サイトの本作に関する文章では、マンネリではなく山本と小山が岡と軋轢を起こしてシリーズ構成を外されたこと、山本と小山が本作の打ち切りに対して喝采をあげたことが記されていた。このため小山自身が『イタダキマン』をシリーズとして認めていない立場をとっている。

現在でも自身のX(Twitter)アカウントにて降ろされた事を愚痴った程である。


シリーズ暗黒期へ

『イタダキマン』打ち切りの影響で、続編として計画された『タイムボカンエクスプレス』『タイムボカンウォーズ サッパリマン』も頓挫。前述した「イタダキ」の別な意味である「板を抱く=重病者が担架に乗せられて運ばれる様」(今日の救急搬送体勢が整う以前、担架の代用品として雨戸の戸板が多用されたことから)という縁起の悪さがあたってしまうことになった。ひいてはタイムボカンシリーズそのものが板を抱く結果となり、皮肉にもCMアイキャッチでおだてブタが板を抱いて走るカットがあり、その通りになってしまった。その後、タツノコプロとフジテレビの関係が冷え込み、1985年の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後にフジテレビ制作のタツノコアニメが四半世紀ほど放送されなくなった。また、玩具スポンサーだったタカトクトイスも翌1984年5月に倒産の憂き目に遭った(これはスポンサーを務めた『超時空世紀オーガス』や『銀河疾風サスライガー』などの不振も関与している)。

タツノコプロは1989年の『天空戦記シュラト』からテレビ東京の制作番組を数多く手がけ、「アニメのテレ東」の原動力となった。なお、『タイムボカンシリーズ』は制作・放送局をテレビ東京に移した『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』(2000年)で復活、以後は日本テレビ系列で公開するようになる。


その後の扱い

その後の扱い

しかし、よくも悪くもシリーズファンの印象に残っている作品であり、スタッフや声優もかえって早く終わったことをネタにしている。(公式が末期)

ただし、主人公の声優を務めた田中真弓は、後にラジオ番組でタイムボカンシリーズの話題が出た際、「私がタイムボカンシリーズを終わらせてしまった」と生番組で泣き出してしまったことがある。


タイムボカン王道復古』で、「伊達に8年浪人してたわけじゃないわよ~!!いけいけー!」(ヤンヤン)「そうですよ、ボクちゃんたちもこれでメジャーよ」(ダサイネン)「おーっと、いきなりコケた!まさにシリーズを象徴してますねぇ」(トミー・ヤマ)や、

テレビゲーム『ボカンGoGoGo』での「大丈夫かしら?あたしたちって、ほら、競争って…苦手じゃない?」(ヤンヤン)「大丈夫ですよ、ヤンヤンさん。なにせわれわれ、テレビでも一番早くゴール迎えちゃいましたから」(ダサイネン)「どびぃ~ん!!」など、その自虐ネタには脱帽。

ただあまりの自虐ネタの多さに辟易する声も無いわけでもない。

近年でもタツノコプロ60周年記念のタイムボカンロボでも当初は6繋がりで初代タイムボカンからイッパツマンまでが取り扱われる予定だったが、担当者の提案によりイタダキマンも加えることになったという逸話も存在する。もはや公式が虐待の最大手である…。


登場メカ

登場メカ

筋斗雲メカ

イタダキマンが所有している三台のマシン。腰に付けたひょうたんの中から出現する。

本作では主にイタダキマン自身が巨大化して戦うため、主に移動用・戦闘補佐などで活躍した。玩具はタカトクトイスから発売。変形機能も再現されている。

  • カブトゼミ

カブトムシ型のマシン。角と足を折りたたみ、尾翼を立ててセミ型マシンに変形する。セミ型形態では鳴き声による超音波攻撃が可能。劇中での登場は最多。

  • ワンガルー

犬型マシン。直立し、両前足にボクシンググローブをはめている。耳を立て、腹部を開き、カンガルー型に変形する。登場は11話のみ。

  • ペリギン

ペンギン型マシン。直立した体型を前に倒し、ペンギンの頭部を引き込んでペリカンの頭部を展開させる事で、ペリカン型に変形する。登場は合計四話。

二束三文トリオ側のメカ

  • デンデンメカ

本作における三悪側のメカ。竜子ちゃんが変身した姿。

  • リリーフメカ

三悪トリオ自身が戦うために竜子に作らせた伸縮メカ。野球のリリーフカーに乗って登場する。

これらの詳細は竜子ちゃんの項目を参照。


作品スタッフ

作品スタッフ

原作タツノコプロ企画室 九里一平
製作吉田健二
企画岡正
総監督笹川ひろし
担当ディレクター植田秀仁
キャラクターデザイン天野嘉孝
サブキャラクター上北実邪、上北希沙(上北ふたご)
キャラクタースタイリング水村十司
メカニックデザイン大河原邦男
脚本酒井あきよし 筒井ともみ 他
演出・絵コンテうえだひでひと 笹川ひろし 他
シリーズ構成酒井あきよし
原画作督水村十司 西城隆司 他
音楽神保正明 山本正之
プロデューサー井上明 大野実
制作タツノコプロ フジテレビ
放映期間昭和58年(1983年)4月9日~9月24日
放送回数19回(全20話 野球中継のため1話は再放送で初公開された。)
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