発生
大韓民国北部、仁川の仁川港から南部の済州島へ向かっていたセウォル号(世越:SEWOL)は霧で出航が遅れた中を急いでいたが、2014年4月16日08:49、全羅南道珍島郡の観梅島(クァンメド)沖において突如45度も南に向け右旋回し、今度は北に急旋回し、この間に船は傾き始め、数分後に船は突然の衝撃を受け、元に戻らぬほどに傾いた。
午前9時頃に事故信号を発したものの、船の傾きは徐々に大きくなり約2時間後に一部を残してほぼ水没し、2日後には海底に沈んだ。捜索は数ヶ月続き、乗客・乗員の死者行方不明者304人に及ぶ韓国史上有数の海難事故(他の事故としては1993年に発生し死者行方不明者292人を出した西海フェリー沈没事故、1970年に発生し死者326人を出した客船南営号沈没事故などが存在する)となった。
7か月後の11月をもって潜水捜索が打ち切られ5人が行方不明のままとなっている。
京畿道安山市の檀園高等学校2年生の生徒や教員達が修学旅行に本船に乗船していたため、多数の未成年の死亡者が発生している(そのため韓国国内のこの年の未成年者の死因のトップが「事故死」となっている)。
原因
直接的な転覆の原因は不明であるが、過積載や改造によってバランスが崩れやすくなっていた可能性が多く指摘されている。
事件現場の孟骨水道は暗礁が多い海域で、危険水域と言われており後述の航海士が操舵を誤ったか、もしくは操舵機自体に故障もあったと見られている。
この「セウォル号」は元々日本のマルエーフェリーで運行されていたフェリーを運営会社の清海鎮海運が中古で買い取って客室を増築したものであり、この増築によって重心が高くなりバランスを崩した際の復元力が低下していた可能性も指摘されている。
出航当日は霧が深く、仁川港から出航予定だった他の多くの船舶が出航を見合わせる中、2時間遅れで出航を強行。
さらに出航前に規定の3倍以上の貨物を積載したうえ、積荷の固定も不十分であったとされ、しかも当局へも積載量を規定値と偽って報告し、過積載による満載喫水線の超過を誤魔化すために安定性のためのバラスト水を減らし、船体のバランスの不安定さをさらに悪化させていた。船の点検や検査も手抜きや不正な記述、かつわいろにより無理やり操作されており、様々な故障も同時に起こったといわれる。
事故当時操舵を担当していた三等航海士の船員は経験が浅く、緊急訓練もまともにされていなかった。船長は休暇を取っていた本来の船長のピンチヒッターの非正規社員老船員で、副船長に至っては前日に入社していた見習いに過ぎなかった。さらに船長や船員の殆どが、多くの乗客を残したまま備え付けの避難用の筏すら展開せず(実際には展開できなかった可能性もある)逃走してしまった。しかも、船員たちは通信機で互いに状況を確認して船員専用通路を使ってデッキへ逃走していた(韓国の法律では船員は客を全て避難させるまで船に残ることが義務づけられている※1)。中には、負傷して動けなかった機関士すら見捨てて逃げ出した船員もいた。救助の際に船長は制服を脱いで「自分は乗客」だと救助隊や医師に偽って救助を受け、その様子が映像に多く残されている。
避難誘導がまともにされる事も無く、「その場で待機するように」とのアナウンスがされ続けたためこれを真に受けた乗客が脱出のタイミングを逃したと思われ、犠牲者が増える結果となった。
多くの未成年たちは自主的に判断して救命胴衣着用や脱出をしなければならず、恐怖の中で家族に電話やメールをして助けを求めたり覚悟をして最後の伝言を残した記録が多く残っている。
死亡した被害者生徒達の所持していたスマートフォンに残されていた船内の様子を撮影した動画は遺族の希望で国内外のメディアで公開され、避難誘導の不備などが明らかとなっている。乗務員で唯一逃げず、最期まで避難誘導をした女性乗務員が1人いたが彼女は死亡しており、義士に認定され顕彰されている。
また、救助時に避難用の筏を海洋警察が展開しようとしたが開かず、後日避難用筏40個は全て故障していたことが判明。備品のメンテナンスも不備のまま放置されていたことが発覚した。
さらに韓国では学校の授業で水泳の教育がなされていないところが多く、全く泳げない国民が多いため、ライフジャケットを着用してもなかなか海中に逃れる決意ができなかったことも死亡者増加の一因として指摘されている。
- ※1:これは船長の最終退船の原則(いわゆる「船と運命を共にする」もこの一種)として有名だが、日本の船舶法では廃止されている。これは船舶に限らず、鉄道事故や事業用の自動車事故などでも運転手が死亡した場合、事業主がこれ幸いにと責任を死亡した乗務員に押し付けてしまい、自身の問題行為(法律違反、例えば過積載や労基法違反、それ以外にも無茶な内規など)を隠蔽する事例が相次いだため。原因を作ったのは国鉄(紫雲丸事故が有名)などであるといわれる。ただし本件の場合、乗客・乗員の安全確保を甚だ怠っており仮に同様の事例が日本で起きたとしても法的責任は重いと思われる。
事故後の影響
事故の根本はこのフェリーを運営していた会社、清海鎮海運にまで及び、海運会社の実質上のオーナー・兪炳彦元会長が利益優先の経営を進め、無茶な増築や過積載がされ、安全指導やメンテナンスに必要な予算を減らし、さらには自ら教祖となっているキリスト教系新興宗教団体や趣味に金を注ぎ込んでいたことから事故の原因となったと言われている。
なぜ急な旋回を起こしたのか、旋回後に起こった衝撃は何なのかはすぐにははっきりせず、様々な説や憶測、例えば何者かに攻撃された、あるいは潜水艦等の衝突といった陰謀論も飛び交っていたが、整備不良による舵機不調と、それによる急旋回の遠心力で固定不十分な貨物が大きく動いた可能性が高いとされている。
船長をはじめ15人が逮捕され、多くの関係者が出国禁止措置を受け、教団にまで捜査が及び、行方をくらました兪元会長(のちに不自然な死体で発見)や息子達(のちに逮捕)は懸賞金付き指名手配を受けた。
逮捕された船員達は裁判にかけられ、船長は懲役36年の判決を受けた(韓国の司法は世論に左右されやすい傾向が強いためこのような重罪となったといわれ、例えばイタリアでコスタ・コンコルディアを座礁転覆させ船から逃亡したとされる船長の場合、禁固16年であったが、実は国外でも「ヌルい」という評価は多い)。また政府は補償にあてるためオーナー一族の資産を差し押さえる意向も表明。
捜索
事故直後の午前8時52分に乗客の男子高校生が携帯電話から119番通報(韓国も消防の緊急通報番号は119番である。※2)をした際、消防から連絡を受けた海洋警察が高校生を船員と思い込み、一般客が知る由もない現場の緯度と経度を何度も聞き、結果乗組員から通報があった8時58分まで6分間のタイムロスが発生し救助が遅れてしまった。
捜索に日本の海上保安庁にあたる海洋警察や軍が当たったが、事故の発生した観梅島沖は元々潮流の強い海域であり、天候も悪く海が荒れていたため救助作業は最初に179人を救出して以降は難航し、海中も視界が悪くダイバーによる捜索も困難であり遺体となって発見された人数が増えており、作業にあたったダイバーが減圧症にかかったりする二次災害にて8人が犠牲となった。
なお、最初に事故を通報した高校生は船内から遺体となって発見された。
救助活動において官・軍・民の共同作業となっているが、ほとんど官と軍によって取り仕切られ、民間ダイバーは締め出された状態にあり、活動が進まなかったといわれる。
さらに「泳げない国民が多い」という韓国の状況は本来海のスペシャリストであるべき海洋警察や海軍でさえ同等※3であり(海洋警察の3割、海軍の2割は完全なカナヅチレベル、まともに泳げる人員は半分にも満たない)船の転覆時を想定した訓練もまともに受けていない人員が多く救助のスキルは極めて低かった。
- ※2:言うまでもなく日本統治時代の名残。台湾も同様。パラオはインフラ整備をアメリカがやり直しているためアメリカの緊急通報番号“911”(警察・消防・救急共通)が採用されている。なお北朝鮮ではソ連式(警察02 救急01 消防03)に改められている。
- ※3:2009年時点の調査で韓国海軍人員の4割余りが「5分間泳ぐことができないレベル」という結果が出ている。なお、日本では海上保安庁・海上自衛隊とも遠泳が必須であり、海上保安学校は最低でも3海里(5.5km)の遠泳、幹部候補生学校に至っては最低15kmをやらされるので「カナヅチのまま現場に出される」ということ自体がありえない。
この上に指揮系統の構築も不十分だったため、まだ船が海面に出ている間に海洋警察が船内に入っての救助活動を行おうとせず、45〜90度の急角度に傾いた船内をよじ登ってどうにか自力で船外に出た者だけを助けるだけであったため、非常口まであと数mまで辿り着きながら助からなかった犠牲者が続出した。
また、事件発生直後に対策本部が乱立したり、公式発表が二転三転したこともあり事故の情報はかなり錯綜し、さらに発生当初はアメリカや日本などの諸外国からの支援要請を無視していたことが明らかになるなど韓国政府の対応も混乱しており、これらの経緯が現地に詰めかけていた被害者家族らを激しく苛立たせた。
照明弾を撃ち上げてまで夜間の捜索や救助も行われたが、これが近くの島に着弾して森林火災を引き起こす事態も起きた。
島国で昔から海難事故の多い日本は、過去の災害の教訓を活かすべく海上保安庁を中心に海難事故対策の精鋭部隊を複数擁しており、この事故に対しても即応できるように準備を整えていたが、韓国側が日本側の提案を事実上拒否したため結局出動することは無かった。
同様に、アメリカも近隣で活動中だった強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」を現場海域に向かわせて支援を行う予定だったが、同艦から派遣された救助ヘリの活動を韓国海軍が承認しなかったため、こちらも大した支援は行えず仕舞いであった。
本件の捜索作業に当たっても海洋警察、海軍、提携した民間ダイバー組織とも職務怠慢や身分証携帯に関する違反、TVカメラの前でのやらせといった不祥事が次々と発覚し、これらの組織からも在宅起訴処分などの検挙者が相次いだ。
捜索は一旦打ち切られたものの、引き上げを望む声が多かったため3年後の2017年3月下旬より中国の国営企業上海サルベージの主導で船体の引き上げ作業が行われた。
結果数人の遺骨がみつかり行方不明になっていた教員や高校生であることが判明したが、ここでも当局が遺族への連絡が遅れるトラブルが発生している。
そして2年後・・・
事故をきっかけに韓国社会全体の各界に混乱が広がった。
まず現地を訪れた朴槿恵大統領や鄭烘原首相にも厳しい非難が浴びせられ、政権の支持率にも影響を及ぼし、鄭首相が辞任を表明し朴大統領も謝罪するまでに至った。謝罪は何度も表明されたが、かえってその姿勢を批判され朴大統領の失脚の一因ともなった。
また、救出された者のうち引率にあたっていた高校の副校長が多数の生徒の犠牲を苦にして自殺している。
ついでに騒動に便乗した詐欺やSNSへのいたずら書き込み・虚言などを行った者も多数検挙されている。
さらにとばっちりを食らう形で韓国内の小中高の修学旅行が当面禁止された。
他への飛び火
被害の大きさと、原因・事故後の対応両面とも韓国社会の問題点を凝縮したかのような事態が相次ぎ芋づる式に同船の運営会社・行政機関等の腐敗も浮き彫りになったため国内外でも非常に反響の大きい事件となった。
この事件においては韓国内ではTV局が連日特番を組みメディアも大きく取り上げ、政府の対応を厳しく批判し、兪元会長に関係する政財界や芸能界の人物にまで批判は及び、また追悼のため芸能・スポーツ系のイベントも多数自粛され、自粛ムードによって企業の売り上げは低下し、韓国経済に打撃を与えたとされ、さらに韓国の文化的側面や経済体質、社会構造からこのような事故が起こったという論調も増えている。
さらにこの事故直後、ソウル市内の地下鉄で杜撰な管理による事故が立て続けに発生したため韓国内では交通機関や政府・行政等に対する批判や疑心暗鬼が加速しつつあり、それを受けて朴大統領は海洋警察の解体を示唆したが、当時まだ行われていた捜索に影響するのではと余計批判を起こした。
余談ながら、この時保守系メディアと革新系メディアが互いに自分たちに都合のいい事ばかり報道するのに辟易してか、この事故に関してはNHKなどの海外メディア情報を主に信用していたという韓国人も結構いたとか。
流石に事件から2年近く経つと国民の事件への関心も薄れてきたかに見えた2016年11月に朴大統領の友人崔順実の不正疑惑事件が騒がれたことで、この事故に対する朴大統領の責任を問う声が再び再燃し、朴政権の崩壊の一因ともなった。
文在寅になってから韓国にありがちな「新大統領就任後前政権の関係者を検挙しまくる」一環として当時の海洋水産大臣が逮捕されるなど、政治的な材料としても長らく尾を引き続けている。
2024年で事故から10年経過しているが、事故調査は未だに終わっておらず、遺族は憤っている。
海外
当時の韓国国内の情勢は反日感情が強く、日韓関係の冷え込みは深刻な状態になりつつあったためか、セウォル号がもともとは日本のフェリーであることが判明されるや否や、事故の発生や原因を日本のせいにする論調が韓国国内で少なからず起こった(セウォル号の前身が日本のフェリーなのは事実だが、日本国内で運用されていた頃は大きな事故は一度も発生しておらず、事故の原因は前述の通り韓国企業に売却された後の無理な改造や杜撰な運用が大きな一因である)。
また、日韓関係や政治的な問題は一時的に脇に置き、人命救助のための支援を申し出た日本に対し、韓国側が「必要無い」とばかりに拒絶したのも反日感情と無関係ではないのではないか、という意見もある。事実、事故発生からおよそ1週間経過した4月23日に「内閣総理大臣(当時)の安倍首相が靖国神社に供え物の真榊を奉納した」として、「日本は事故への関心が皆無で、支援は嘘偽りにすぎない」「隣国に対し最低限の礼儀もない国など無恥の極み」などといった声が多数の韓国国内の議員から上がり、例によって謝罪と賠償を要求するなど、大惨事の渦中にあっても反日を優先させる行為を鑑みるに、あながち的外れな意見ともいえない。
さらに、この事件により自粛ムードの高まりや安全性への疑問などから、日本からの観光客、特に修学旅行も減少したとされる。とりわけ修学旅行においては、長く続く日韓関係の冷え込みにより前々から我が子が反日国家絡みのトラブルに巻き込まれる可能性を危惧していた親たちの不安を増幅させることとなり、この事故をきっかけに修学旅行先を韓国から他の国(親日的で比較的安全性の高い台湾やマレーシアなど)に変更したり、国内旅行に切り替えた学校は多い。
日本以外では、時を同じくして韓国西沿岸部では海洋警察が手薄になった隙を突いて中国の漁船による密漁が急増、政府や海洋警察の対応が遅れて漁民や当局が混乱し、さらに事故後には海洋警察そのものが解体されてしまった(2017年の文在寅政権発足後に復活)ため、取り締まる組織自体が消滅してしまった(日本の組織で例えれば、無能な政治屋の場当たり的な判断で海上保安庁が解体されたようなものである)ことにより、しばらくは手が付けられない事態に陥った。
中国のサルベージ会社によるサルベージも費用が当初見積もりを大幅に超過し、密漁と合わせて文字通り中国が漁夫の利を得る形になった。
対立の続く北朝鮮は事故当初は無関心であったが、しばらくして事故の原因は政府の対応にあるとここぞとばかりに大々的に批判するようになった。
作品の傾向
pixivにおいては、被害者達の早い救出を願ったり、犠牲者を追悼する作品もアップされている。