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概要

日本政治家。出身は東京都新宿区。本籍は山口県で、衆議院議員としては下関市および長門市を区域とする山口4区を地盤としていた。


第90・96・97・98代内閣総理大臣、第21・25代自民党総裁(在任:2006年9月~2007年9月、2012年9月~2020年9月)。2006年に内閣総理大臣に就任。当時52歳の年齢での就任であり、戦後日本における最年少総理大臣であった。しかし、2006年時の内閣総理大臣就任は、健康問題を理由に早期に辞任。その6年後の2012年に二度目の内閣総理大臣に就任する。第二次安倍内閣は、約7年8ヶ月の長期政権となるも、再度持病が悪化したことを理由に辞任した。


2022年7月8日、奈良県奈良市で選挙応援の演説中に自作銃で撃たれ死去した。67歳だった。


プロフィール

人名安倍晋三
本名安倍 晋三(あべ しんぞう)
生年月日1954年9月21日
出生地東京都新宿区
没年月日2022年7月8日
死没地奈良県橿原市
出身地東京都
本籍地山口県長門市
職業・肩書衆議院議員、元首相
学歴成蹊大学卒業
持病潰瘍性大腸炎(詐病疑惑あり)

父は安倍晋太郎、父方祖父は安倍寛、母方祖父は岸信介、大叔父は佐藤栄作という、政治家一家。同じ党に所属する岸信夫は実弟。

兄の安倍寛信三菱商事子会社の元副社長・実業家。

妻の安倍昭恵はラジオパーソナリティ等で活動。子供はいない。


経歴

政治家となるまで

東京都新宿区生まれ。中学校から大学までをエスカレーター式の私立校成蹊学園で過ごし、成蹊大学法学部政治学科を卒業。小学生の頃は平沢勝栄家庭教師についていた。


南カリフォルニア大学への留学の後神戸製鋼所に勤務、3年後に退社して父の秘書を務める。


内閣総理大臣就任まで

1991年に父の死去に伴い出馬、第40回衆議院議員総選挙で初当選。


2005年10月に発足した第3次小泉純一郎改造内閣で内閣官房長官として初入閣。麻生太郎谷垣禎一福田康夫と並ぶ「ポスト小泉」(麻垣康三とも)の有力候補とみなされた。


1度目の内閣総理大臣時代

小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出され、2006年、9月26日の臨時国会で内閣総理大臣に指名される。小泉政権の継承者として自民党内からは非常に期待が高かった。戦後最年少の首相であり、また、初の戦後生まれの首相であった。


在任中は特に教育政策を重視し、中曽根康弘政権以降の「ゆとり教育」から「詰め込み教育」への回帰をはかり、教育基本法を改正した。


内閣について安倍は「美しい国づくり内閣」と命名したが、マスコミからは「論功行賞内閣」「お友達内閣」とされた。以前から安倍に近い筋だった議員や、総裁選にあたって安倍の当選をバックアップした人物が数多く並んだためである。


同年5月28日には光熱水費が無償である議員会館を主たる事務所としながら500万以上計上し「ナントカ還元水とかいうものを付けている」等と答弁していた松岡利勝農水大臣が自殺。現職大臣の自殺は戦後初であった。


2007年1月27日には柳澤伯夫厚労大臣が「女性は子供を産む機械」と発言。更に後を継いだ赤城徳彦農水大臣も事務所費に1000万ほど計上したことなどが発覚。


このような就任当初からの疑惑の多さや大臣の相次ぐ不適切発言も重なり、政権支持率は低下。7月29日に行われた第21回参院選において自民党は30議席も減らし、結党以来守り続けてきた参議院第一党の座も失う大惨敗となった。


9月12日には持病の悪化を理由に突如として辞任会見を開き、26日に総辞職した。


一般議員時代

その後自身の弱点だった健康問題(潰瘍性大腸炎)を新薬アサコールの助けで寛解し克服。


2012年9月、前任の谷垣総裁の後任として総裁選に臨み、石破茂を破って再度総裁に登板。今回は野党党首としての登板となった。


2度目の内閣総理大臣時代

同年12月の衆議院選挙で自民党を293議席の大勝利に導き、再度の首相登板を果たした。一度総理の職を退いた政治家が再び総理大臣となるのは、戦後史では吉田茂以来で、平成に入ってからは初のことである。


第二次安倍内閣では麻生太郎元首相、谷垣禎一元総裁を再び大臣として起用する一方、下村博文山本一太稲田朋美など初入閣の人材も起用。側近の官邸官僚としては今井尚哉ら経済産業省出身の官僚を重用した。


日本を取り戻す」をスローガンに掲げ、外交面では日米同盟の元で積極的な外交方針を打ち出し、「中国包囲網」の形成を目指してアジア・アフリカ諸国との関係を強化。後述の通りイランやインドとはアメリカと一線を画する自主的な友好外交を展開した。政府主導のクールジャパンキャンペーンによる日本文化の輸出、TPPへの参加を目指し、原子力発電の輸出等を向けた方針を推進。2020年の夏季オリンピック招致活動にも注力し、招致した。


内政面では「アベノミクス」と称した経済政策を展開。年率2%のインフレ、年率3%の名目経済成長率を掲げたが、在任中にはいずれも達成できなかった。


2014年5月30日には内閣人事局を設立し、側近の官邸官僚が省庁の枠を超えて腕を振るう体制を確立。政府が指定した公文書を機密化することができる特定秘密保護法、市民の人権や自由を侵害するおそれが強く反対意見が根強いテロ等準備罪法(共謀罪法)、従来の政府憲法解釈に反して集団自衛権を認める安全保障関連法案といった、長年にわたり反対が根強かった法案についても圧倒的勢力を背景に成立させている。


同年にはNHKの経営委員も刷新し、「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない」と就任会見で発言した籾井勝人会長をはじめ、百田尚樹長谷川三千子ら安倍肝いりの保守的人物に固めた人選が問題視された。


2017年には首相本人が関わるスキャンダルが続発。新しい教育施設の整備に係る土地売却において安倍から便宜が図られたのではないかとする森友学園問題、愛媛県への獣医学部新設において「総理のご意向」による選定が行われたのではないかとする加計学園問題(2つ合わせていわゆるモリカケ問題)が相次いで取り沙汰され、不信が高まった。


12月26日に、靖国神社に参拝した。第一次安倍政権時代に参拝出来なかったことを「痛恨の極み」と発言していたことから、ようやく念願が叶った形である。なお、この靖国参拝は衛藤晟一首相補佐官がアメリカ合衆国に事前に打診しており、アメリカの反対を押し切って決行したものであった。アメリカが緊張を高める行為だとして参拝に失望を表明したのに対し、衛藤補佐官が不満を表明したこと(後撤回)や安倍総理自身が第一次世界大戦前の独仏関係と現在の日中関係を重ね合わせる演説をしたことなども重なって、アメリカ合衆国などからも右傾化を危惧する声もあがった。


しかし、上記のような国内外の波紋がありながらも、同年末突如行った衆議院解散では自民党は291議席(追加公認を含む)を獲得。与党全体では3分の2を超える大勝を収め、「安倍一強体制」を盤石なものとした。


さらにその後2017年の衆院選でも勝利をおさめ、第98代内閣総理大臣に選出される。日本国憲法下での総理4選は吉田茂と並び最多。


2019年10月に予定通り消費税率を10%に引き上げた。ただし、酒類・外食を除く飲食料品など一部の商品については税率を8%に据え置いた。2020年コロナ禍では全国一斉休校を要請、アベノマスク配布を実施するなどの対応を実施。また、感染収束を待たず観光業界支援として「GoToキャンペーン」を開始したが、いずれも当否について評価が大きく割れることとなった。


2020年8月28日、潰瘍性大腸炎が再び悪化し始めた事を理由に、二度目の首相辞任を行う意向を表明した。但し、スムーズな引き継ぎを行う為、代理等は立てず、9月16日の総理大臣指名選挙まで任務を続行し、後任である菅義偉への引き継ぎをもって、首相在任期間にピリオドを打った。在任期間は通算3188日、第二次安倍政権発足以降だけでも2822日に及び連続・通算ともに憲政史上最長である(2位は連続在任期間では大叔父佐藤栄作の2798日、通算在任期間では桂太郎の2886日)。


内閣総理大臣退任後

2021年11月9日、自民党の最大派閥である細田派こと清和政策研究会は安倍の会長就任要請を全会一致で決定し、11日に正式に就任。細田派は安倍派に衣替えすることになった。


同年12月15日には安倍政権下の2013年から菅義偉政権下の2021年4月まで「建設工事受注動態統計」の改竄が発覚。なお、「建設工事受注動態統計」は内閣府の基幹統計である国民経済計算(GDP統計)にも影響する指標である。


退陣後も、後任の菅義偉との良好な関係をアピール。その後任の岸田文雄が首相に就任後は、対立派閥である岸田への牽制の意図もあってか、台湾関係について「台湾有事は日本の有事、日米同盟の有事」であると発言したり、ロシアによるウクライナ侵攻に際して「核共有の議論を進める必要がある」と発言するなど、首相時代にはしていなかった強気な言動が目立つ。


死去、その後

2022年7月8日11時半頃、奈良県の大和西大寺駅周辺で街頭演説中に背後から自作銃で統一教会に恨みを持つ元自衛隊員の男に銃撃される事件が発生。振り返った際に発射された2発目で2発が命中。それぞれ左胸と首を貫通した。心肺停止、意識不明の重体であり、現場で医師による応急処置が行われた後、ドクターヘリで病院へと運ばれたが、その日の午後に死亡が確認された。享年67。奇しくも父・安倍晋太郎と同じ年齢であった(詳細は「安倍晋三銃撃事件」を参照)。


葬儀は7月12日に増上寺で執り行われ会場には献花台も設置された。

遺体は霊柩車で首相官邸や自民党本部などゆかりのある地を巡った後、桐ヶ谷斎場にて荼毘に付された。


葬儀の際、地元の下関市をはじめとする全国各地の自治体が市役所などの施設に半旗を掲げ記帳所を設けるなどして弔意を表した。また、東京都山口県福岡市仙台市川崎市帯広市などいくつかの教育委員会が小中学校や高校などに半旗掲揚を要請したが、「教育の中立性を損なう」として物議を醸した。


日本政府は従一位に叙し、大勲位菊花章頸飾および大勲位菊花大綬章の追贈を決定。そしてかつての同期にして盟友、岸田によって9月27日に国葬を行うことが決定した。既に葬儀は行われてはいるが、功績を鑑みて「弔意を国全体として示す」ということである。戦後の首相経験者の葬礼は内閣と自民党による「合同葬」が主流となっており、国葬は吉田茂以来戦後2例目(佐藤栄作の「国民葬」を含めても3人目)と異例のことである。また、山口県も10月15日に県民葬を実施した。


しかしながら彼の国葬については「国葬を行うに足る明確な根拠法令が無い(※)」ために国民からも反対意見も数多く挙げられており、一部では「国葬の差し止め」を求める訴訟まで行われていたが、岸田はそんな国民の声に対して説得を放棄。無視を決め込んで国葬を強行したため、物議を醸し、岸田政権の支持率は急落した。

なお極めて近いタイミングで行われた他国の国葬であるイギリスのエリザベス2世の国葬が安部の国葬と比較されやすい。費用に関してだけでも在任期間が70年というイギリスで史上最も長く君主を務めてたエリザベス2世元女王の国葬費用は推定13億円と言われており、対して総理大臣の在任期間が僅か8年8か月だけという安部の国葬費用の16億円の方が上回ることについても批判の声が大きい。


また批判の声としても上述のように岸田は安部の同期であり盟友であったため、「安部の国葬を行うことによって、その同期であり盟友である岸田自身の地位を盤石にするためのプロパガンダである」という見方もあり、全体として厳しい意見が多く、そういう意味でも本当に国葬を行うに足る人物であったかは疑問が残る。


※:国葬の理由としては「総理大臣を長く務めた」「選挙活動中に暗殺された」の二点のみが基本的に挙げられ、後者は論外として、前者についても「明確にどれだけの期間在籍すれば国葬の対象たり得るのか?またその期間は何を根拠にした長さなのか?」については明確な根拠法令が無いことを含めて一切語られていない(歴代最長の任期だからという声だからとの声もあるが、政治家というのは長く務めれば良いものではなく、何を成したかを評価すべきである。そもそも安部政権は支持率こそ50%強あったものの、上述の「加計学園問題」、「森友学園問題」、そして参加者数・支出額の肥大化による予算の二倍強と予算を遥かに超える税金の無駄遣いや一般人である自身の妻を参加者として招待する、招待者名簿の廃棄を行うといった数々の問題点を抱えた「桜を見る会問題」等、様々な問題が悪い意味で話題となっており、少なくとも手放しで誉め称えることができる人物ではなかった)。


2022年11月22日、下関市東大和町と長門市の選挙事務所を同年12月末に閉鎖することを発表した。安倍の死により空席となった山口4区の後継者探しは難航したが、昭恵らが主導して下関市の議会議員を務めていた吉田真次を擁立し、2023年4月の補選で対抗馬の有田芳生を下して当選を果たした。安倍の死後、"安倍派"こと清和政策研究会の会長は空席となったが、高市早苗の支持者の集会の際に安倍の遺影が掲げられるなど、右派の間で偶像としての存在感を発揮し続けている。


政治家としての評価

安倍は自民党右派の清和政策研究会に所属し、竹中平蔵をブレーンとして重用し新自由主義路線を走った保守派の代表格としてよく知られる。(宗教右翼を含む)急進右派をコア支持層とし、「憲法改正」や「岩盤規制の改革」を訴えてはいたものの、実際には金融緩和や女性の経済参加、「働き方改革」の推進など左派・中道のお株を奪うような政策も推進しており、(自民党の政治家にはよくあることだが)単純な右派とは言い難かった側面がある。また、安倍自身は排外的なナショナリストではなく、「もはや、国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」と宣言、「外国人労働者の雇用」をアベノミクスの施策に掲げるなどグローバリズムに肯定的であった。「外交の安倍」と言われるほど積極的な対外政策は右派だからこそ可能だった側面もあったと言える(中道・左派的な政治家が推進すると「売国的」とみなされる恐れがあるため)。


日本国内での評価は立場によって分かれる一方、海外からは保守・リベラルを問わず評価は高い。アメリカ合衆国の共和党のドナルド・トランプが盟友としてその死を深く悼んだ一方、政敵であったヒラリー・クリントンも「民主主義の擁護者であり、経済発展には女性の参加が不可欠と強く信じていました」と賛辞を送っている。西側諸国からは「自由貿易と民主主義の守護者」とみられる一方、発展途上国や欧州のナショナルアイデンティティを重視する立場からはハンガリーオルバーン・ヴィクトルブラジルジャイール・ボルソナーロなどと並ぶ「反グローバリズムの旗手」の一人として扱われることがあり(上述の通り安倍はグローバリズムに肯定的であり、これは誤解に近いのだが)、安倍政権が見る人によって異なる姿を見せる"玉虫色"の評価を受けていることが興味深い。

実際に追悼演説でも野田は天皇陛下の生前退位に向けた環境整備を官邸で議論した際に、「冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っていた」と振り返っている。


対外関係

インド

インドナレンドラ・モディ首相とは非常に親密的で、互いに個人レベルでも強い信頼関係があり、また、インドが日本と同様に中国との領土問題を抱えていることもあってか、安倍首相は日本インドの関係を非常に重要視する傾向があるとされる。


また、2007年4月にまだ首相となる以前に訪日したモディとすでに会談しており、2012年12月に第46回衆議院議員総選挙に圧勝した安倍晋三総裁が首相に就任することが決まった時も、最初に祝福の意を伝えた海外要人の一人がモディだったという。


そのモディは、首相就任後である2014年8月30日に初来日し、京都市の京都迎賓館で安倍首相の主催する非公式の夕食会に招待されており、夕食会では東京裁判(極東国際軍事裁判)で、東條英機首相をはじめとした被告全員の無罪を主張したインド人判事のラダ・ビノード・パール博士について語り合い、モディ首相は「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割は我々も忘れていない」と述べ、その功績を共に称え合った。

翌日には二人は共に真言宗仏教寺院である東寺を訪れ、大日如来像の前で合掌している。


9月1日の日印首脳会談では、日本による政府開発援助(ODA)を含む約3.5兆円規模の投融資の実施や、原子力協定の妥結に向けた協議の加速、インド海軍日本海上自衛隊の海上共同訓練の定例化などを盛り込んだ「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」と題する日印共同声明に署名し、両国関係を、「特別な戦略的グローバルパートナーシップ」に格上げすることで一致した。


2015年12月12日には3回目となるインド訪問を行い、モディ首相との会談は5回目となった。

会談では、日本国自衛隊インド防衛装備協力の推進などの安全保障協力や、経済協力の具体化、文化人的交流の強化について協議し、インド西部のムンバイからアーメダバード間を結ぶ、高速鉄道計画における、日本新幹線システム導入で合意したことを受けて、「日印新時代の幕開けにふさわしいプロジェクトだ。他の高速鉄道路線にも導入されることを期待する」と述べている。


また、平和的目的に限定する条件のもと、日本からの原発技術供与を可能にする日印原子力協定の締結に原則合意し、核拡散防止条約(NPT)非加盟国であるインドと、日本の歴史上初めて原子力協定を結ぶこととなり、安倍首相は「日本による協力を平和目的に限定する内容を確保した」と評価しており、モディ首相も「両国の戦略的パートナーシップの新たなレベルを示すシンボルだ」と語っている。


ASEAN

安倍は第二次安倍政権発足後1ヵ月以内にベトナムタイインドネシアを歴訪したほか、麻生太郎副総理のミャンマー訪問など、閣僚がASEAN主要国を次々と訪問した。 「自由」「民主主義」「基本的人権」「法の支配」など普遍的価値の実現と、経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本ASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、2013年1月18日には、訪問先のインドネシアにおいて、「対ASEAN外交5原則」を発表した。


2015年5月27日には、太田昭宏国土交通相とタイプラジン・チャントーン運輸相が国土交通省内で会談し、日本の新幹線方式の導入を前提に高速鉄道の調査を始める覚書を締結した。 調査の対象となったのはバンコクからチェンマイ間を結ぶ約670kmの路線で、総工費は1兆円(約2800億バーツ)超という規模となる。安倍政権が成長戦略で掲げるインフラの海外輸出に弾みをつけるという思惑であったが、日本企業は採算が見込めないとして後ろ向きであり、安倍政権後も進展は見られない。


他にも安倍政権は2013年7月に東南アジア諸国のビザ発給要件の緩和を行っており、それによって東南アジア諸国からの訪日観光客は急増している。


中央アジア

親日的でありながら北朝鮮等の"ならず者国家"とも親交を結んでいる国が多いことを踏まえ、日本が国際犯罪を締め上げる際の根回しに奔走した。ここでは調停者としての顔を発揮している。


インドの大敵であるパキスタンとも友好的で、経済協力を推し進めて親交を深めながら、北朝鮮による諸問題への理解を求めたり、テロ組織対策への重要性を指摘するなど、硬軟織り交ぜた外交を展開している。

アフガニスタンにおいても、独立記念日などの要所を抑えて親交を深めつつ、日本の立ち回りへの理解を得ていた。


そもそも一帯は日本企業による農業改革や灌漑計画が進行しており、極めて日本への好感度が高く、それを生かした立ち回りは日本の伝統的な方針であるが、安倍首相はこれをよく守り、更に推し進めたと言えよう。


民間では、安倍首相の訪問後に日本との関係を重視する国民がさらに増加し、日本語教育の需要が高まるなどの影響が確認されている。


中東

トルコサウジアラビアといった親日国に限らず、中東広域で人気が高い。中にはイランのような「米国はむろんその同盟国も敵」と公言する国もあるが、そういった反米の国とも対米交渉を取り持つなど、ここでも広く調停者として信頼されていた。


2020年1月に中東歴訪した際にはサウジ側とイラン側が共に「安倍総理が我が国の味方をして相手国に釘を刺した」と報道しあうなど、強い期待のほどが窺える。

中国におけるウイグル人の人権救済活動も積極的に行っていたため、中近東のテュルク系諸国からも厚い信頼を集めていた。


2020年8月の辞任発表に際しては、トルコを始めとする諸国から口を揃えて「中東和平に貢献した」との賛辞が述べられた。


中華人民共和国

上記の「価値観外交」や反共主義的な政治信念、台湾有事発言など反中派のイメージがある安倍だが、実際には日中関係の進展にも大いに貢献している。


安倍は首相就任後翌月の2006年10月8日に電撃訪中し、温家宝首相、胡錦濤国家主席との会談で、両氏の訪日を招請し関係修復の第一歩を踏み出した。戦後歴代首相のうち、中国を初外遊先に選んだのはこれが初めてであった。


第二次安倍政権発足時には、民主党政権尖閣諸島を巡っての対応(中国漁船衝突事件と尖閣諸島の国有化)のまずさにより、日中関係は国交正常化後最悪の状態となっていたが、安倍は2014年11月に習近平国家主席と会談。尖閣問題に関しては「対話と協議を通じて不測の事態を避ける」と合意し、一応の関係修復にこぎつけている。中国の外交戦略である「一帯一路」に関しては、2017年5月のフォーラムに党幹事長の二階俊博と腹心の今井尚哉を派遣して親書を手渡し、条件付き参画を表明。AIIBの日本参加についても前向きな考えを示し、中国政府は日本政府の姿勢を歓迎した。同年12月の東京での会議で、安倍はインド太平洋構想と一帯一路の連携を推進する考えを表明した。


また、「反日にならずに日本を知ってもらう」として中国からの留学生の受け入れには積極的であった。第一次安倍政権では公費留学生受け入れの大幅拡充、在留資格制度見直しなどを実施し、中国人留学生を大幅に増やした。第二次政権時には中国人観光客の訪日数は大幅に増加し、2019年にはビザ発給要件の緩和もあって959万人とピークになった。


安倍の暗殺を受けて、習近平国家主席は「中日関係の改善を進めるために努力し、有益な貢献をした」と悼んでおり、中国側としても一定の評価をしていたことがうかがえる。


ロシア

ソ連時代から日本との対立関係が長く続いたロシアに対しても、中国との関係に楔を打ち込むため、関係を深めようと考えていた。また、父の安倍晋太郎はソ連との友好条約締結を悲願としており、父の遺志を引き継ぐことに強い意欲を抱いていたとも考えられる。従来の対露外交方針(1993年に細川護熙首相とエリツィン大統領(当時)が東京で「北方4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」と確認し、これが日露外交の基本路線となっていた)を後退させて「歯舞・色丹の2島だけを交渉対象とする」として譲歩するとともに、ウラジーミル・プーチン大統領との個人的信頼関係を深め、併せてロシアへの大規模な経済協力を行ない、友好関係を深めて平和条約を結ぶ腹づもりであった。


2016年5月のプーチンとの首脳会談では、「ウラジーミル」とファーストネームで呼ぶことで親密感を演出。平和条約交渉に向け、北方領土での共同経済活動や天然ガス供給、技術協力などが盛り込まれた総額3000億円の「8項目の協力プラン」を提示した。しかし、当時のロシアはクリミア侵攻によりアメリカ合衆国との関係が悪化しており、オバマ政権からも日本の過度なロシア接近への懸念が寄せられ、プーチン大統領は「日米同盟がある限り領土問題は交渉対象にならない。2島返還もない」と明言するなど、雲行きの怪しさが漂っていた。


2020年にはロシア憲法に「領土の割譲禁止」の条項が追加され、領土返還交渉は絶望的となった。さらに安倍退陣後の2022年、ロシア軍はウクライナへの全面侵攻に踏み切り、岸田文雄政権は対露制裁を行い、安倍政権時代の経済協力は完全に白紙化した(経済協力のうち支出済みの予算は200億円程度にとどまるという)。同時に北方領土の2島返還路線も破棄され、4島の一括返還方針に回帰した。


功を焦るあまり、全く得るもののなかった安倍の対露外交については、自身も「プーチン大統領にはだまされた」と失敗を一部認めている。


その他逸話

  • pixivのサービス開始当時の内閣総理大臣だった。
  • アグネス・チャンの大ファンで、夫婦ぐるみの親交があった。
  • メディアではNHK朝日新聞中日新聞を敵視する一方、フジテレビの日枝久会長とは懇意の仲だった。首相就任後もしばしば一緒にゴルフに出かけていた。
  • これが理由だったのかは定かではないが、2014年3月21日、フジテレビの長寿バラエティー番組『笑っていいとも!』に出演。この番組に現職の総理大臣が出演したのは史上初めて(というかこれが最初で最後、番組が終了したため)である。
  • 平井正修住職の下で修行に励んでいた。
  • 秋元康との親交が深くAKB48を首脳会議に招待した。
  • プロ野球東京ヤクルトスワローズのファンで、アンチ巨人を公言していた。
  • 東京・渋谷区と、地元の下関市の両方に私邸がある。下関の私邸(選挙事務所も)は韓国系パチンコ業者から譲られたもので「パチンコ御殿」の異名がある。
  • 名が世間に広く知れ渡る以前から、百田尚樹の小説の愛読者であり、特に時代小説の『影法師』が好きな作品だという。
  • 好物はブラックサンダー。2012年の自民党総裁選、豊橋での街頭演説で右手に掲げたり2013年1月10日の全国菓子工業組合連合会新年会の挨拶にでも名前が出てくるほどである。
  • 2017年に、公益財団法人の新聞通信調査会が実施した『諸外国における対日メディア世論調査』において、アメリカイギリスフランスの欧米3ヵ国及び、中国韓国タイのアジア3ヵ国の、計6ヶ国で『各国民が知っている日本人』の調査が行われた。その調査結果によれば、アメリカ・中国・韓国・タイでは1位、フランスでは2位、イギリスでは3位が安倍総理となっており、安倍総理の知名度だけは主要国のリーダーの中でも遜色ないものであることがわかった。
  • 滑舌の悪さがよくネタにされ、安倍が2012年に使った「日本を、取り戻す。」というスローガンが「トリモロス」と茶化された。
  • 政治家としては能弁な方ではなく、公の場での発表では「~は、~で、あります」といった句読点を強調するような話し方をしたり、質疑応答の際、感情を露わにしたりヤジを飛ばす対応をするといった個性がよくネタにされており、サンドウィッチマン伊達みきおは安倍氏のこの喋り方のモノマネが得意である。
  • オリンピック招致では英語のプレゼンテーションを特訓し、IOC総会で「福島の放射能は完全にコントロールされている」と力説。これだけが理由ではないだろうが、東京オリンピックの開催権を勝ち取った。
  • ネット上では親しみ(と時折小ばかにするような使われ方もしたが)を込められ「安倍ちゃん」の愛称で呼ばれることも多かった。
  • 彼の命を奪った自作銃は「abe gun」と海外では呼称されている。
  • Google BARD AI、ChatGPT、BingAIなど、安倍晋三と聞くと回答を拒否される。AIにまで忖度される存在でもある。
  • 報道の自由度ランキングでは安倍が総理に就いていた時期が非常に低く、それらはマスコミに対する多々の圧力やインターネット工作の苛烈化などがそうさせている。安倍に批判的、あるいは安倍に意見したコメンテーターを解任させたり露骨なものも多かった。
  • ワールドメイト教祖である深見東州と親交あるが深見氏は中立的立場で日本の為、世界の為より良い素晴らしい社会を望んでると大人の対応を取っている。

年譜

1954年、安倍晋太郎、洋子夫妻の二男として生まれる。

1977年、成蹊大学法学部政治学科を卒業。

1979年、神戸製鋼に入社。

1982年、外務大臣秘書官。

1993年、衆議院議員に初当選。

1999年、衆議院厚生委員会理事、自由民主党社会部会長。

2000年、内閣官房副長官(第二次森喜朗内閣)内閣官房副長官(第二次森改造内閣)。

2001年、内閣官房副長官(第二次森改造内閣)、内閣官房副長官(第一次小泉純一郎内閣)。

2002年、内閣官房副長官(第一次小泉改造内閣)。

2003年、自由民主党幹事長

2004年、自由民主党幹事長代理・党改革推進本部長。

2005年、内閣官房長官(第三次小泉改造内閣)。

2006年、第90代内閣総理大臣

2007年、内閣総理大臣を辞任。

2012年、自民党総裁に再任。第96代内閣総理大臣。

2014年、第97代内閣総理大臣。

2017年、第98代内閣総理大臣。

2020年、内閣総理大臣を辞任。

2022年、演説中に手製の銃で撃たれ死亡。67歳。


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ジョージ・W・ブッシュ バラク・オバマ ドナルド・トランプ...首相在任中の米国大統領。

安倍寛 岸信介 佐藤栄作 安倍晋太郎 岸信夫 安倍昭恵...親族。

伊藤博文 犬養毅 高橋是清 原敬 濱口雄幸 斎藤実...暗殺された総理大臣経験者。このうち伊藤、犬養、高橋、濱口、斎藤とは銃で、伊藤、原、濱口とは駅で襲われたことが共通している。

安部晋三(誤字)

深見東州←彼と親交がある

小泉純一郎(前任)←第90代(第一次安倍内閣時)→ (後任)福田康夫

野田佳彦(前任)←第98代(第二次安倍内閣時)→菅義偉(後任)

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