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渋沢栄一

しぶさわえいいち

江戸~大正時代に活躍した実業家。日本初の国立銀行を創設した。
目次 [非表示]

日本の 産業育てた 渋沢翁(埼玉郷土かるた(旧版)より)

概要

天保11年2月13日(1840年3月16日)武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豪農の息子として生まれる。


17歳の時、代官から理不尽な御用金の要求を経験し、封建社会に不満を覚えるようになる。その後、高崎城を乗っ取る過激な計画を企てるが、従兄弟の尾高長七郎に説得され断念。予てから交流のあった一橋家重臣・平岡円四郎を頼り、一橋慶喜家臣となる。


慶応2年(1866年)、主君の慶喜が江戸幕府15代将軍となったことに伴って幕臣となる。翌年には慶喜の弟・昭武のパリ万博行きに随行。ヨーロッパ各地で先進的な産業・諸制度を見聞すると共に、近代社会の在り様に感銘を受ける。特にスエズ運河建設の資金力となった株式制度は「皆が得をする」という渋沢の理念と合致したものであり、銀行口座や鉄道株などの資産運用を実践している(これは、昭武を明治維新の動乱から守る為にパリに滞在し続ける資金調達目的でもあった)。


明治維新後は慶喜の下で働くつもりであったが大隈重信の説得で新政府の一員となる。明治政府では大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わるが、大久保利通らと経済について衝突。1873(明治6)年に大蔵省を辞職し、以降は実業家として活動した。


彼は道徳を重んじ、慈善活動や教育活動にも大変熱心だった。関東大震災時、80歳を超えているにもかかわらず大震災善後会副会長となり寄付金集めなどに奔走した。その他日本赤十字社日本女子大学の設立にも携わっている。


昭和6年(1931年)11月11日、老衰により死去。91歳没。


設立企業


などなどおよそ500もの会社を創立し、「日本資本主義の父」と言われている。

現在でも先述のように日本を代表する超一流企業が揃っている。


日本を代表する経済人として、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として、2024年度発行予定の新一万円札の肖像画に福沢諭吉に代わって選ばれることが決まっている。

なお、作家・評論家の澁澤龍彦とは親戚関係にある。余談だがひ孫の渋沢雅英など実際の栄一と面識のある存命人物もいる。


微妙な知名度?

とまぁ、近現代日本経済を語る上で欠かすことのできない人物なのだが、一万円札の顔になることが決まるまでその名を知らなかったという人も多いのではないだろうか?

そして知らなかった人の多くはその理由を、『中学の歴史教科書に載っていなかったから』と答えるのではないだろうか?(知っていた人の多くは相当な歴史好きかご当地埼玉県民であるかのどっちかだった可能性が高いであろう…)

恐らくだが、業績・功績が余りにも多く簡潔に「〇〇をした人」という風に紹介できないため、世界史と日本史をまとめて扱う中学歴史教科書ではスペース不足で扱いにくく、そして中学歴史では政治・文化・戦争に重きが置かれ(経済の扱いは軽んじられ)る傾向があるという事情が絡むからと思われる。

尚、高校日本史では扱っている。


登場する作品

関連作品

四ページで分かる!漫画偉人伝!渋沢栄一


関連タグ

実業家 大蔵省

埼玉県 深谷市

商工会議所 シブサワ・コウ


外部リンク

論語と算盤:道徳と経済は両立すべしとという渋沢の理念を記した著書

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