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西城秀樹

さいじょうひでき

日本の歌手・俳優(1955年 - 2018年)。永遠のヤングマン。昭和を代表するアイドルスターの一人。日本のポップミュージックにロックというジャンルを切り開き、数々の変革をもたらした。
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概要

1955年4月13日生まれ。広島市出身。アースコーポレーション所属。

本名は木本龍雄。ジャズを趣味としていた父親の影響で音楽に目覚め、当初はドラムを習っていた。

ジャズ喫茶にバンドを組んで出るようになりスカウトされ、1972年3月25日『恋する季節』で歌手デビュー。芸名は当時あった雑誌「女学生の友」の一般公募で決められた。

『情熱の嵐』『傷だらけのローラ』『ブーメランストリート』『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』などヒット曲多数。

1970-80年代の歌謡界で一時代を築き、野口五郎郷ひろみとともに新御三家と呼ばれた。

ファンからの愛称は「ヒデキ」で、曲の合いの手には「ヒデキコール」がお約束。

代表曲のひとつ『ギャランドゥ』は、曲の枠を超えて一般語・俗語として浸透している。

→ ギャランドゥ


持ち前の高い歌唱力と、水泳で鍛えられた豊かな声量は、デビュー直後から高い評価を受けた。特に力強く、感情溢れる独自の歌唱法は、後に「絶唱型」と呼ばれることになった。西城はこの歌い方を、アメリカのロックやロカビリーなどから取り入れたという。

また、181cmという長身と長い脚を活かした、派手な振り付けや演出が話題となった。マイクスタンドを抱え込んだり蹴り上げたりといったステージアクションは、西城により一般的なものになった。

YOUNG MAN (Y.M.C.A.)の振り付けが特に有名だが、このほかにもペンライトを振るなど、観客と一体になったステージングは現在にも大きな影響を与えており、リスペクトする歌手や俳優も多い。


当初はヒット曲に恵まれず苦戦したものの、上記の歌唱法とアクションに加え、ヒデキコールを意識した曲作りにより、6枚目となるシングル『情熱の嵐』がヒットとなる。以降、この手法によりヒット曲を連発、スターとしての地位を確立した。1974年にはソロ歌手では初の球場コンサートを成功させている。


また、西城の楽曲はこれを機にそれまでの「歌謡曲」からロックを意識したものへと変化していった。加えてシャウトや声を裏返すなどの技法は、演歌調を脱し切れていなかった日本のポップミュージックにショックを与え、後のロックやメタルのボーカリストたちの道を切り開くこととなった。


夏の名物番組『芸能人水泳大会』では常に好成績を残し、長髪に日焼けした褐色の肌、鍛え上げられた肉体で視聴者を魅了した。スポーツ万能な西城は陸上種目も得意で、走高跳びでは芸能人記録を残している。


西城のこうしたエネルギッシュでワイルド、かつセクシーなイメージを反映して、楽曲も情熱的で運命的な愛や、許されない悲恋がテーマとなっているものが少なくない。『傷だらけのローラ』はフランス語版も制作され、カナダでヒットチャート第2位にランクインするという快挙を成し遂げている。


面倒見の良い、優しい人柄でも知られていた。

「新御三家」の一人である野口五郎は「心の大きい、素晴らしいやつ。僕には秀樹の真似はできない」と言い、郷ひろみは「自分にとって(最初にデビューした)野口五郎が長兄、西城が次兄のような存在であり、デビューしたてのころ『何でも聞いてね』と声をかけられたことが嬉しく、今でも忘れられない出来事」と語っている。

浅田美代子は西城の紹介で、先輩たちとの旅行に参加したが、西城は父親が逝去するという不幸があり、不参加となった。しかし浅田を心配した西城は葬儀を抜け出して様子を見に来ると、そのままとんぼ返りした。浅田は「あんな気遣いの凄い、優しいスターはいない」と話している。

ものまね芸人のコロッケは、駆け出しの頃に西城のものまねを始めたところ、高価なステージ衣装を何着も譲られ、芸能人としての心構えについて教えてもらったという。


後進の発掘も行なっており、河合奈保子石川秀美を「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」で強く推薦し世に出した。


俳優としては明るく爽やかなキャラクターから、ホームコメディ『寺内貫太郎一家』の長男役で活躍するほか、東芝日曜劇場のドラマ版『翔べイカロスの翼』の史郎、映画版『愛と誠』の大賀誠など、情熱にあふれた青年役で知られる。


CMではハウスバーモントカレーに長く出演し、「ヒデキ、感激!!」のフレーズが日本中を席巻した。このCMがカレーの地位を押し上げたとも言われるほどの影響力を持ち、後にハウス食品からメッセージが寄せられることになった。

なお、のちに還暦を迎えた時には自分で「ヒデキ、還暦」と会見でネタにしており、イベントで「ヒデキ還暦」のキャッチ入りパッケージのバーモントカレーをファンに配布した。


1991年には『ちびまる子ちゃん』のED『走れ正直者』、また1999年にはアニメ『∀ガンダム』のOP主題歌『ターンAターン』に抜擢されたことが大きな話題となり、アニメファンや新たな世代にもその歌声が知られることになった。

アニメソングに忌避感を持つ歌手も少なくないが、西城は曲と真摯に向き合い、同じガンダムシリーズの主題歌を担当したことのある森口博子に作品について尋ねるなど、事前に入念なリサーチを行った。また、作詞者である富野由悠季監督に「∀」の意味について質問し、歌詞についても意見をぶつけた。西城の人柄にうたれた富野は、その態度と仕事に対する姿勢を称賛し、後にこのときの出来事を印象深く語っている。



私生活では姉の知人筋の紹介で2001年に一般人女性と結婚、3児の父でもあった。独身時代には大理石張りにしていた自邸の床をフローリングに変更するなど、子煩悩で知られた。


しかし2003年に脳梗塞を発症して入院。

生来血管が脆い体質であり、糖尿病の持病もありもよく飲みヘビースモーカーであり、脳卒中のハイリスク状態にあったことが発症の要因と推察されている。

さらに、西城は減量のため頻繁にサウナ通いをしていたが、当時は「サウナ利用後の水分補給」が常識として周知されていなかった。このために梗塞を起こしやすい状態に陥っていたことも指摘された。

彼の死後に妻の著書で公表されたところによると、実はこの前にも一度軽い梗塞を起こしていたが短期入院で済んでいたため公表していなかったとのことである。


軽い言語障害が残ったが1ヶ月で復帰宣言。以後は活動ペースを緩めつつリハビリを行い、徐々に活動を回復させていった。

  • 盟友の野口五郎によると、実は西城はこのとき、引退を考えていたという。しかし記者会見でそれを発表しようと口を開きかけたとき、とあるインタビュアーが「二人目のお子さんがもうすぐ誕生ですね」と呼びかけ、虚を突かれた西城は口をつぐんでしまった。野口は後に「あの言葉で秀樹は歌い続けることができた。インタビュアーに感謝したい」とコメントしている。

そして「今まで自身の健康に過信があった」ことに気づき、これまでの生活を改めて禁酒禁煙を始める。また、闘病経験を著書に記すほか、検診を呼びかけるキャンペーンへの参加や講演を行うなど、脳卒中の啓発活動にも積極的に参加した。


その後も軽い脳梗塞を2度発症したが、これも短期で治癒したため公表していなかった。

2011年、脳梗塞が6度目の再発となった。

彼の体は既に梗塞のハイリスク状態にあり、この時は以前の「ラクナ梗塞(細い血管が詰まる)」ではなくより太い血管が詰まったと見られ今までより症状が重く、右半身に麻痺が出てしまい上半身を動かすことも満足にできなくなった。


それでもファンや家族のためにと必死にリハビリをこなして活動を再開させ、「Y.M.C.A.」の振りもできるまでになり表向きには順調な回復かのように見えていた。

しかし度重なる脳梗塞の発症(公表した2回を含む8回)でダメージを負い、白内障や多系統萎縮症といった病気もさらに重なっていき、彼の体は限界が近くなっていったがそれでも仕事への意欲は衰えることなく厳しいリハビリに取り組んでいた。


しかし2018年4月25日、自宅で突然倒れる。

搬送先の病院では「既に脳死状態であり持って4日」と告知され、結局約20日間闘病したものの意識を取り戻すことはなかった。しかし、見舞いに訪れた知人が「秀樹」と声をかけると、一筋涙を流したという。


翌月5月16日に死去。死因は心不全と診断された。


享年64(満63歳)。あまりにも突然且つ早すぎる死に、兄弟分の野口五郎、郷ひろみを始めとする、多くの著名人とファンが悲しみに暮れた。


10日後の26日に、葬儀・告別式が執り行われた。

会場前には「新御三家」のパネルが掲げられ、ファンのためにポストカード2万枚が配布された。バラの花で伝説の球場コンサートを再現した祭壇に、穏やかに微笑む西城の写真と、愛用の純白のマイクスタンドが設置され、野口と郷が涙ながらに弔辞を読み上げた。関係者1500人、ファン計1万人超(主催者発表)が参列し、出棺時には「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が流された。


法名は「修音院釋秀樹」(しゅうおんいんしゃくひでき)。父親の名から「修」、音楽を通して人々に夢を与え続けたことから「音」、そして芸名の「秀樹」が取り入れられた。


27日に放送された『ちびまる子ちゃん』では、アイキャッチとして「秀樹さん、ありがとう」という追悼のメッセージが表示され、亡くなった翌年の2019年以降からは命日の近い日に放送する時はEDで必ず『走れ正直者』が使われるようになった。


家族と友、そしてファンを愛し続け、歌に生きた男は、多くの涙と愛に送られて天国へと旅立っていった。




主な代表曲

  • 情熱の嵐 初のヒット曲。西城「君が望むなら~」ファン「ヒ・デ・キ~!!」の”ヒデキコール”が有名。詳細は本文参照。
  • 激しい恋 「やめろと言われても」の部分の特徴的なアクションで知られる。
  • 傷だらけのローラ 世界数ヶ国で発売されたスーパーヒット曲。
  • 若き獅子たち 青年の成長と旅立ちをテーマとする、壮大なスケールの一曲。西城の深い歌声の魅力と、歌唱力の高さが強く発揮されている。
  • ブーメランストリート 別れた恋人との再会を、ブーメランに例えている。イントロのSEとフレーズが印象的。
  • ブーツをぬいで朝食を 大人気ゆえに、ライターを使ったアクションを真似た子供による事故が頻発してしまった。
  •  このページのメイン画像の元ネタ
  • ブルースカイブルー 年上の既婚女性(!)との恋と別れを歌ったロマンティックな佳曲。抑えた曲調から徐々に盛り上がり、終盤で別れの哀しみを青空へと解き放つ。繊細なウィスパーヴォイスから深くパワフルなヴォーカルまで、西城の豊かな表現力が堪能できる。
  • YOUNG MAN (Y.M.C.A.)>YMCA ヴィレッジピープルのカバー。西城が渡米中にそのノリの良さに着目、自ら歌いたいとスタッフに交渉した。ゲイへのアピールを意識した原曲の歌詞を爽やかな青春賛歌へと変え、人文字アクションで西城の代名詞的な楽曲となった。西城はこの曲で、『ザ・ベストテン』の最高得点9999点を記録。番組終了まで他にこの記録を達成したものは出なかった。
  • エピタフ キング・クリムゾンのカバー。1979年8月、豪雨の中の後楽園球場ライブで熱く歌い上げ「ロック・シンガー」西城秀樹を印象付け、後にハードロックのカバーシングル「ナイト・ゲーム」を発売する布石をつくる。
  • 俺たちの時代 モスクワオリンピックのイメージソングとして作られたが、日本選手団が参加ボイコットとなったことで幻のテーマソングに。
  • サンタマリアの祈り 不治の病で命を落とした恋人への、凄絶かつ限りない愛を歌い上げたバラード。絶唱型歌唱法の完成形。『夜のヒットスタジオ』にて、ポール・モーリアの生オーケストラをバックに堂々の歌唱を行い、あらためてその実力の高さを視聴者に印象付けた。
  • 聖・少女 「気持ちを読みきれない」彼女と戯れる8月の情景を歌い上げた爽やかでポップなナンバー。ちなみに作曲を担当したのは吉田拓郎。同曲はこの年の日本レコード大賞で金賞を受賞している。
  • ギャランドゥ リズム感が心地よい、完成度の高い一曲。ギャランドゥはメロディへのノリを重視しただけの造語だが、ユーミンの発言により体毛を指す言葉にされてしまった。
  • 抱きしめてジルバ ワム!『ケアレス・ウィスパー』のカバー。実は同時期に、郷ひろみも全く別の歌詞で同曲をカバーしている。
  • 走れ正直者 『ちびまる子ちゃん』ED曲。元々原作者のさくらももこが西城のファンであり、ダメ元でオファーをしたところ西城側から快諾してもらえたため実現したもの。いつでも全力な西城のキャラクターとマッチした怪作となった。
  • ターンAターン 『∀ガンダム』主題歌。ピクシブユーザーには、西城はこの曲という印象を持つ世代が多い。詳細は本文及びリンク先参照。

  • 他多数


俳優、声優としての主な出演作

ドラマ

映画

  • 愛と誠 1974年映画版 大賀誠役
  • あヽ決戦航空隊 高瀬丁役

アニメ

  • 『坊ちゃん』1980年、フジテレビ 坊ちゃん役
  • 『姿三四郎』1981年、フジテレビ 姿三四郎役



関連タグ

歌手 YMCA

さくらももこ(ちびまる子ちゃん)……まる子の姉、さきこが西城秀樹のファンという設定がある(初期の頃は錦野旦のファンだった)。また、秀樹逝去から3ヶ月後の8月15日には、『ちびまる子ちゃん』の作者のさくらももこも乳がんで53歳で亡くなっている。

天国にコンサートしに行った男

氷室京介…「歌声が似ている」と話題となり、日本テレビ『THE夜もヒッパレ』で何度となく氷室のヒット曲をカバー。特に『永遠 ~Eternity~』を歌った際には「いい曲ですねぇ、まるで僕のために書いてくれたみたい」と感想を述べていた。



関連リンク

西城秀樹 オフィシャルサイト

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