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白鵬

はくほう

大相撲第69代横綱。貴乃花、朝青龍と並ぶ「平成の大横綱」の一人。
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概要

1985年3月11日モンゴルウランバートル市出身。

帰化前の本名は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」。2019年9月に日本国籍を正式取得し、本名・しこ名共に「白鵬 翔(はくほうしょう)」となった。

幕内優勝回数は史上最多の45回である。


モンゴル相撲力士の父と元外科医の母の間に生まれ、当初はバスケットボール等をやっていたが15歳の時にどうしても相撲をやりたくなり、故郷の先輩である旭鷲山の引きで来日。当時は小柄だったためギリギリまで部屋が決まらず、来日の仲介をした旭鷲山の懇願で現在の宮城野部屋に決まった。2001年3月場所に初土俵を踏むも5月場所で負け越すなど当初は苦難が続いたがやがて体格も技術も向上し急速に地位や人気を上げて行く。


2004年夏場所19歳で新入幕し12勝で19歳で三賞獲得、九州場所で朝青龍から19歳で金星獲得。2006年琴欧洲に大関昇進で先を越され闘志に火が付き、わずか2場所遅れで大関に昇進、夏場所の新大関場所で初優勝。名古屋場所で綱とりに挑み、横綱昇進なったはずだったが昇進見送りとなった。その4場所後2007年春場所と夏場所を連覇し、22歳で一気に綱をつかんだ。

そして2007年名古屋場所から横綱となる。土俵入りは不知火型で、当初は「不知火型の横綱は短命になる」というジンクスもあったために心配されたが、今は白鵬や日馬富士が長く綱を勤めているためにそのジンクスも薄れている。その土俵入りは白鵬が崇拝している双葉山大鵬を組み合わせた、独特な仕上がりとなっている。


2010年には双葉山(69連勝)に続く63連勝を記録、2015年には大鵬(32回)を抜く、史上最多33回目の幕内優勝を飾った。


30歳を過ぎてからは負けることが増え、舞の海から「衰え」を指摘されることもあったが、本人は逆に「それがどうした」と言わんばかりに優勝を重ね、放送中の優勝インタビューでそのことについて触れ、正面座席に座っていた舞の海を苦笑いさせたことがある。

30歳になった横綱昇進8年目の2015年9月場所で横綱になって初めての休場。そこからここ数年は怪我が増え(本人曰く「メスが入ってない箇所のほうが少ないんじゃないか」との事)、2~3場所に1回は休場するということが多くなってきた。皆勤した場所は優勝、優勝を逃したとしても最低二桁は勝っているため今まで進退問題が浮上したことはなかったが、2020年11月場所後にここ2年での休場が多いとして横綱審議委員会から2番目に重い「注意」の決議がなされた。


膝の怪我が完治せず2020年7月場所の13日目から同年11月場所まで自身初めて3場所連続で休場した。さらに、2021年初場所は、COVID-19により休場で4場所連続の休場。コロナ禍の影響で4場所連続で東京開催となった翌春場所、4場所ぶりに土俵に復帰し初日から2連勝としたが、3日目からは右膝の怪我で休場。仕切りや勝ち名乗りの際、長く蹲踞ができていないなど明らかにいつもと違った。その春場所中に同じ横綱だった鶴竜が引退したため、2012年秋場所以来約9年半ぶりに1人横綱となった。自身初めて5場所連続の休場となったが、3月中に右膝の手術をし、次の夏場所も休場したためこれで6場所連続の休場となった。

進退を懸けた名古屋場所は、序盤から逆転やギリギリの相撲が続くも何とか白星で乗り切り、徐々に波に乗っていったが、右膝を痛めているため本来の左からの踏み込む立ち合いは1度もないまま千秋楽を迎え、綱獲りを懸けた同じ14戦全勝の大関照ノ富士を激しい攻防の末下し、7場所ぶり45回目の優勝を果たした。結果的にこれが現役最後の優勝となる。

同年秋場所後の9月27日に「右膝の不調により横綱を満足に務めることができない」として引退を表明。年寄「間垣」を襲名することが発表された。同時に照ノ富士が横綱に昇進したことや、医師から「このまま現役を続けていれば、右膝が人工関節になる」と宣告を受けていたことが引退を決意した理由だったという。その後のメディアでの発言によれば名古屋場所4日目の相撲で「15日間戦える身体ではなくなった」と引退を決意し、さらにドキュメントでは二桁勝利を上げた10日目の夜、部屋全員の関係者に名古屋場所限りでの引退を告げていた。

それでも引退発表が秋場所終了後になったのは、前述の通り照ノ富士の横綱昇進や部屋関係者のコロナ感染、東京五輪などが関係していた。


元幕内竹葉山の12代宮城野親方が定年を迎える間近の2022年7月には、名跡交換を行って年寄「宮城野」を襲名。13代宮城野親方として、宮城野部屋を引き継いだ。しかし、2024年に明らかになった弟子の暴行事件発覚によって部屋が消滅されてしまった。


評価

朝青龍が横綱に在位していた頃は後年とは違い、むしろ「機械」と評されるポーカーフェイスの土俵態度や朝青龍と対照的な「優等生」という立ち位置で認知されていた。ただし、朝青龍の現役当時からプロレスの場外乱闘に乱入したりと、後年のやんちゃぶりの兆候は見られていた。とはいえメディアが勝手に優等生扱いしていた部分もある。


現役晩年は実力の衰えを強引な取り口でカバーするようになり、稀に繰り出す立ち合いからのエルボー気味の右カチ上げや張り差しが横審や一部から批判を浴びているが、これも賛否あり、ある程度実績のある親方衆は殆ど問題視していない。過去の映像など見ていると大鵬や北の湖なども様々な立ち合いをやっており、特に北の湖は格下相手にも変化することも少なくなかった。3代目若乃花(花田虎上)はむしろ「がら空きになる脇を突かない相手力士が悪い」と苦言を呈しており、稀勢の里も「(左が強い)自分には一度もカチ上げをしてこなかった」と引退後コメントしている。

土俵入りでもわかる通り、長年の酷使で両肘がまっすぐに伸びなくなった。


「カチ上げや張り差しは横綱らしくない」「品格に欠ける」等、マスコミや相撲協会内部から酷評される事も多く、マスコミや世間から悪役扱いされたりもしたが、その他の力士が中々勝てず、土俵で黙らせる事ができなかったのも事実。何としても勝つという気迫と執念で10年以上横綱の地位を守り続けたのは、並大抵の事ではない。

前人未到の地を行くその姿から、現役晩年は「孤高の横綱」とも形容された。


人物

  • モンゴル出身の先輩でもある横綱朝青龍とは、土俵上で睨みあう一幕などがクローズアップされたこともあったが、目標であり、ライバルと思っていたという。それだけに彼が不祥事で急遽引退となった時は大きなショックを受け、涙を流す姿を見せた。対する朝青龍も引退後はツイッターにて15日間横綱としての勤めを果たした白鵬に対して労いの言葉を送るなど土俵の外では親しい間柄である。
  • 社会貢献に熱心で、地方巡業の際は福祉施設を慰問したり、東日本大震災の復興支援にも力を入れている。また、国際親善交流少年相撲大会「白鵬杯」を開催し、少年達に相撲を普及させることにも余念が無い。
  • 休日はチェスとテレビゲームに没頭する意外な一面がある。
  • 2010年代前半までは、優勝インタビューで涙を見せることが多く、「泣き虫」の印象があった。
  • もちろん相撲に関しても研究熱心で、大横綱の大鵬双葉山を尊敬している。その研究熱心さ故か近年は土俵上で「猫騙し」等の奇策も見られ、「横綱らしくない」とバッシングを受けることもある。
  • 白鵬に通算で10勝以上の白星を上げたのはいずれも最終番付が大関以上となった力士で、実力が拮抗していた朝青龍(白鵬に12勝13敗)、小兵でありながら横綱に上り詰めた日馬富士(同21勝36敗)、連勝記録を2回止めた稀勢の里(同16勝44敗)、大関在位47場所(歴史4位)だった琴欧洲(同10勝35敗)の4人しかいない。本割ではいずれも白鵬の勝ち越しだが、朝青龍戦は優勝決定戦まで含めると朝青龍の15勝14敗となる。
  • 2008年に東京フレンドパークにて内藤大助と共に出演し、双方持ち前の運動神経を生かしてグランドスラムを達成した。またダーツでパジェロの獲得も同時に達成している。
  • 力士らしく酒豪である。特に白鵬スペシャルという、ウイスキービール炭酸水シークヮーサー果汁で作ったオリジナルカクテルがお気に入りなのだが、豊ノ島曰く「ゲロの味」と酷評されている。実際に味見をした共演者からは「美味いけど、確かに飲みすぎたら危険」と評価された。

関連人物

  • ジグジドゥ・ムンフバト

モンゴル相撲の大横綱でメキシコオリンピックではレスリングで銀メダルを獲得し、モンゴル初のメダリストとなった。

  • 宮城野親方(12代)

現役時代の師匠。元幕内竹葉山。

一時期元十両の金親が宮城野部屋を継承した時期は年寄・熊ヶ谷であった。

  • 山口

元内弟子。最高位は西前頭16枚目。

一時期は大喜鵬という四股名であった。2019年9月場所で再び大喜鵬に改名したが、病気や怪我を理由にこの場所を最後とした。

内弟子。父親は高校相撲の強豪である鳥取城北高校の校長で相撲部監督である石浦外喜義氏。

弟子。関取軽量級で小兵の業師。

  • 北青鵬

弟子。モンゴル生まれの札幌育ちで炎鵬と対照的で身長は2メートルを超える。弟弟子への暴行によって現役引退。

  • 天照鵬

弟子。三重県出身。付き押し相撲が得意。

弟子。一部メディアで「令和の怪物」の呼称が用いられた。アマチュア時代実績から幕下付出で初土俵を踏み、いきなり全勝優勝を果たし、史上初めてデビューから所要1場所で十両昇進、さらには新入幕の場所で千秋楽まで幕内優勝争いを展開した。


余談

中央競馬にはかつてハクホオショウという競走馬が存在した。

安田記念など重賞を4勝し、それなりの活躍を収めた。


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