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概要

オウム真理教の元幹部。

1960年10月8日生まれ、山口県美祢市出身。

ホーリーネーム「マハー・アングリマーラ」


幼い頃に両親が離婚して養子に出され、養父から家庭内暴力を受けて育つ。

家庭は貧しく、小学校6年生からアルバイトをして生計の足しにしていた。

高校は県立の工業高校に通うも、相変わらず貧乏で学費は奨学金で賄った。


高校卒業後は就労しながら山口大学夜間部へ進学するつもりでいたが、就職予定だった会社の社長との不仲により断念。

続いて教材の販売会社に就職するとセールスマンとして頭角を現し、僅か1年で営業成績トップに上り詰めた。

20歳の時、最年少の所長として島根県松江市の支社に栄転する。


しかし養母がアルツハイマーになったのをきっかけに宗教や精神世界にのめり込むようになる。

また、営業職を転々とするも、成績を気にしてばかりの仕事に嫌気がさすようになる。

1985年、精神的に不安定な状況下で、雑誌で知ったオウム神仙の会(オウム真理教の前身)に興味を持ち、麻原彰晃に初めて電話した。「私はセールスなどで、相当の悪行を積んでいると思います。それでも解脱はできるのでしょうか?」と尋ねると麻原は「できます。あなたがそう思った時点から、あなたの罪は消えている。あなたにも解脱はできます」と岡崎の存在を認めたため、気持ちが一気に傾いた。


同年末のセミナーで麻原に対面し、「この人は本物だ」と感銘を受け、翌1986年に出家した。

麻原からセールスマンの手腕を見込まれ、著書の営業を任されると見事に成果を挙げ、販売促進に貢献した。

修行にも熱心に取り組み、1987年には成就を認められ、大師に昇格。

ダーキニーでもなければ特殊技能もなく、学歴も高卒叩き上げの岡崎がここまで教団で出世したのは異例であった。


逮捕後の公判で「初めの2年間は人生の中で最高の2年間だった」と回顧したように、この頃は岡崎にとって最も充実していた時期であった。


しかし1988年から麻原の指示で殺人に関わるようになり、信者2人と、坂本堤弁護士一家殺害事件に関与。

ポアや死体の処理などの汚れ仕事は岡崎が叩き上げとして出世するには避けては通れない道であった。

既に坂本堤弁護士一家殺害事件の頃には教団に不満を持っていた。というのは、かなり古参の幹部であったにもかかわらず、オウム真理教の宗教法人化の際に役員にしてもらえないなどの冷遇を受けていた。

古参信者で教団と麻原の闇をよく知っていただけに、いつか消されるのではないかと身の危険を感じるようになり、1990年に教団から脱走。麻原の代表的なダーキニーであった石井久子と折り合いが悪かったのもある。

故郷の山口県へと逃げ帰った。


その後は学習塾を経営して一般市民として生活をしていたが、1995年に地下鉄サリン事件が起こると、「こんなことをするのは麻原しかいない」と直感。

教団の崩壊と、自身の破滅を悟り、神奈川県警に自首して逮捕された。


裁判

裁判ではオウムの逮捕者の中で初めて死刑判決を受けた。

坂本堤弁護士一家殺害事件に関しては岡崎の自供によりオウムの犯行と断定されたため、同じく地下鉄サリン事件を自供して減刑となった林郁夫との対比が注目された。

しかし、自首の目的が保身のためであること、自首するチャンスが長く存在したのにはぐらかし続けたことなどを理由に減刑はされなかった。


2018年7月26日に死刑執行。57歳没。


余談

  • 階級の「大師」は、後の正大師に相当する最高幹部クラスの地位であった。
  • 複雑な家庭環境で育ったこともあり、時期によって苗字が「岡崎」「佐伯」「宮前」と異なっている。一般的には岡崎と呼ばれることが多い。
  • 営業に関しては天賦の才があったが、教団内でのそれは「交渉の仕方があくどい」ヤクザよりあこぎ」「相手を騙したり脅したりして値切っていた」と仲間に言われるほどのものであった。
  • オウム幹部の中では麻原への帰依は薄かったようで、教団のカネをちょろまかして懐に入れたり、女性信者をラブホテルに連れ込む等の破滅行為の常習犯であった。教団から脱走した際にも三億円の大金を持ち逃げし、さらに坂本弁護士一家殺人事件の証拠をネタに麻原を恐喝して1000万円を脅し取るなどしていた。元教団幹部の野田成人は「教団時代から彼はどこかしら計算高い男でした」、「麻原に面従腹背で、麻原の写真が載ったポスターを平然と尻に敷いて座っていた」、「信者の囲い込みもやっていた」、「そのことがあったから、三億円持って逃げたと聞いても驚かなかった」と述べ、麻原からも「グルへの信がない」と評されることがあった。また、オウムを取材した記者からも「信者のふりをしたこそ泥」「営業成績を気にする小心な営業マン」「麻原の詐欺師ぶりを唯一見破っていた」と評されている。
  • 拘置所では水墨画の製作に打ち込んでおり、作品展に出展されたこともあった。
  • 麻原の裁判に出廷した際、キリスト教の信仰経験が無いにも拘らず「お前は単なるクリスチャンだ!」と罵倒された。

関連項目

オウム真理教 麻原彰晃

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