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本名:矢野高行(1941年1月20日~2001年3月22日)


概要

1960年代から1980年代にかけて活動した日本の漫画家

流麗で繊細なペンタッチ、叙情的なストーリーが特徴。

少女漫画誌でデビューしたが、1960年代後半より徐々に少年漫画誌や青年漫画誌に活動の場を移していった。

1985年に広島県に戻ってからは肉体労働を主な生業とした。


来歴

1941年1月20日、東京都で誕生。

1947年、呉市(広島県)に引っ越す。原爆の爪痕の残る広島で育ち、多大な影響を受ける。

1959年、修道高等学校広島市)を卒業して上京。東宝映画宣伝部、商業デザイン会社に勤務。


1961年、「少女クラブ」(大日本雄辨會講談社)に『まぼろしの騎手』、「少女ブック」(集英社)に『南にかがやく星』がほぼ同時に掲載され漫画家デビュー。「少女クラブ」では増刊号・別冊付録の読み切り作品や本誌での連載をまかされる。

1962年、「少女クラブ」が廃刊となり、活動を休止し職業を転々とする。

1964年、「りぼん増刊号」(集英社)に『みどりの花』が掲載され再デビュー。その後の作風が確立された。

1966年、「コミックMAGAZINE」(芳文社)にハードボイルド風の劇画を掲載し、青年漫画誌に進出(「臼杵三郎」名義)。


1971年、「週刊少年ジャンプ」(集英社)に『ぼくのとうちゃん』を連載し、少年漫画誌に進出。

1972年、「女学生の友」(小学館)に掲載された『走れ!ボロ』で小学館漫画賞を受賞。「週刊少年ジャンプ」に『とうちゃんのかわいいおヨメさん』を連載。

1974年、「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で『哀しい人々』のシリーズ連載が始まる。

1976年、「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で『青い空を、白い雲がかけてった』を連載。


1980年、「週刊少年チャンピオン」で『風と海とサブ』を連載。『青い空を、白い雲がかけてった』は「月刊少年チャンピオン」(秋田書店)に移籍。

1985年、私的なトラブルにより葉山町神奈川県)を離れ、実家のある東広島市(広島県)へ戻る。以降は注文に応じた執筆を行なわず、寡作になっていった。


2001年3月22日、肺癌のため死去。


関連タグ

漫画家 青い空を、白い雲がかけてった

アシスタント出身者

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