アジア
中国
唐の盛期から後期にあたる。(但し、705年まで国名は「周」(武周)だった)
690年に、中国史上唯一の女帝武則天(則天武后)が即位し、国名を「周」と改めた。(紀元前の西周等と区別するため、こちらは「武周」と呼ばれる。)
705年に武則天が崩御すると、中宗が復位し国名が再び「唐」に戻るが、皇后の韋后が中宗を殺害し権力を握ろうとしたが、710年に李隆基(後の玄宗)によって一族諸共滅ぼされた。
712年に即位した玄宗は「開元の治」と呼ばれた政治で唐の最盛期を築くが、治世後半に入ると楊玉環に執心するようになり、彼女に貴妃の位を与えて「楊貴妃」とした。
そんな中、755年に将軍安禄山が部下の史思明と共に大規模な反乱を起こした。これが、「安史の乱」である。
最終的に鎮圧されたものの、楊貴妃を失った玄宗は政治への意欲を失って隠居し、そのまま寂しく世を去った。
そして、この安史の乱を境に、唐は次第に衰退へと向かっていくのであった。
中国が誇る2人の詩人「詩仙」李白と「詩聖」杜甫が活躍したのもこの時代である。
日本
その後、称徳天皇の時代に弓削道鏡が権力を持つが間もなく失脚。
784年に長岡京への遷都計画が持ち上がったが最終的に頓挫し、その10年後の794年に平安京へ遷都し、約400年に及ぶ平安時代が幕を開けることとなる。
ちなみに、富本銭が登場するまで最古の貨幣とされた和同開珎は708年に誕生した。
朝鮮半島
新羅統一時代の中期にあたる。
中東
750年、ウマイヤ朝に代わって、アッバース朝がイラク周辺を支配する。
ウマイヤ朝の残党は、チュニジアからイベリア半島に移って後ウマイヤ朝を建てた。