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陸抗

りくこう

中国三国時代、呉の武将。名将として知られた陸遜の次男で、彼もまた父親に恥じない名将として知られる。
目次 [非表示]

プロフィール

生没年:226年~274年

字:幼節

父:陸遜

母:孫策の娘

子:陸晏・陸景・陸玄・陸機・陸雲・陸耽

概要

家督相続

陸遜の次男。長兄・陸延が早くに亡くなった為に家を継ぐ立場となる。が、陸遜が皇帝・孫権の後継問題(二宮の変)で孫権の不興を買い、問責され失意のうちで亡くなるという最悪の状況で家督を継いだ。孫権は陸抗にも父の非を問うて来たが、陸抗はこれを理路整然と反論し、無実を証明してみせ孫権から謝罪を勝ち取った。


孫亮の代に将軍となり258年に魏の諸葛誕が乱を起こした際、柴桑の督として諸葛誕の援軍に赴き周辺の魏軍を破っている。ちなみに、上司だった朱異(朱桓の子)が孫綝の招きに応じた際には孫綝の陣に行かないように忠告したが、朱異は行って口論した末に処刑されている。


実績を積み重ねた陸抗は孫休の代になり仮節を与えられた。264年、蜀滅亡のゴタゴタに乗じて歩協(歩隲の長男)の援軍として旧蜀の白帝城を攻めたが羅憲らに阻まれ落とせずにいた所を魏からの援軍到来に伴って撤退している。

孫皓の代になると、朱績(朱然の子)や丁奉ら軍の長老たちが逝去したこともあり呉軍の大黒柱となる。

西陵城攻防戦

272年、西陵督の歩闡(歩協の弟)が城を挙げて晋に寝返るという大事件が起こる。西陵は父・陸遜が50年前に関羽張飛の仇討ちで呉に攻めてきた劉備を火攻めで破った夷陵を改名した地であり、対晋最前線の地でもあった。当時、楽郷都督だった陸抗は直ちに西陵奪回に動いたが、自らが普請した西陵城の構造をよく知る陸抗は力攻めをしなかった。晋軍の荊州方面と益州方面の援軍にも備えるため西陵城を二重に包囲した。晋の補給を滞らせるために江陵を水浸しにするなど虚々実々の駆け引きの末に晋軍を撃ち破り返す刀で西陵城を奪回した。その後、歩闡とその配下は降参したが歩一族及び計画に加わった者数十人は皆三族皆殺しとなり歩家は滅亡した。


羊陸の交

魏の名将・羊祜との敵味方に分かれての友情も有名で、あるときは陸抗が病気になった際は羊祜が薬を送り、毒かも知れないとの周囲の声に構わず飲んで治癒している。陸抗が酒を贈った際は同様に羊祜も疑わずに飲み干したと言う。馴れ合いからでも臆病からでもなく、お互いに相手の手を読んだ上での友情であった。

小説『三国志演義』では孫皓の疑念を招き降格してフェードアウトし、図らずも父と同じような末路を辿ることになる。


実際には失脚どころか、鳳凰2年(273年)に大司馬となり、父が任じられていた荊州牧にも任じられた。また孫皓は、自身の妹を、陸抗の次男・陸景に嫁がせていた。

孫皓から詰問を受けたこと自体は正史でも記載があるが、この時にはこう答えている。

「一つの邑、一つの郷においてすら、信義を大切にする人物が必ずおらねばならないのでございます。ましてや大国に信義を守る者がおらずにいてよいものでしょうか。臣がもしこのように晋に対しなかったとすれば、それはただ相手の徳を顕彰してやるに足るだけのことで、羊祜にとって何の痛手にもなりません。」

孫皓と言えば、粛清をしまくった暴君として悪名高いが、そんな孫皓にとっても陸抗とその一門は信頼を得ていた欠かせない人材であることがわかる。

史実の詰問も、陸抗を疑う周囲の臣下に対し疑念を晴らさせるために一芝居うったのではという説もある。

なお、相手の羊祜も晋の一部の家臣から疑われていたとされる。




陸抗の死後

陸抗は鳳凰三年(274年)に死去し長男の陸晏が跡を継ぐ。陸抗の兵士は、陸晏・陸景・陸玄・陸機・陸雲の五兄弟にそれぞれ分割されることになった。


陸抗は死の直前に孫皓に対してこのように上奏している。


「西陵は今、北と西の二方面から敵の圧力をうけています。もし敵が長江上流から軍船で攻め込んできたら、西陵は陥落するでしょう。

西陵は国家存亡の要であり、国を挙げても対処しなければなりません。

以前私は西陵に精兵3万を要請したが、送られてきたのは普通の兵だけでした。

現在軍の消耗は益々激しく、兵士たちは疲弊しきっています。次に変事あれば、もう対処も難しくなるかもしれません。

募兵の制度や兵士の国内配分等を改革し、なんとしてでも西陵に8万の兵を配備してください。

私が亡くなりましたら、どうかこの西方の土地に陛下ご自身でお心を十分にお注ぎいただきますよう。」


と、当時の呉の厳しい現実を訴えた。しかし、孫皓は特に手を打てず、呉は280年に滅亡してしまった。


ちなみに陸晏と陸景はこの時に戦死、陸機と陸雲は晋に仕え文学者として「二陸」と呼ばれる活躍をしたが司馬炎死後の八王の乱に巻き込まれ末弟・陸耽共々族滅された。


余談

陸抗の妻の張氏は、張承(張昭の長男)と諸葛氏(諸葛瑾の娘)の間の子。


皇太子孫和(孫皓の父)は妻が姉妹同士の義兄弟の間柄。次代のリーダーたる両者の嫡男の孫俊と陸晏は外従兄弟同士の間柄。つまり、孫和の帝位継承は、陸遜に孫の代までの皇帝姻戚の地位を約束することになる。陸抗は「孫和即位シナリオの最大受益者」の一人。


しかし二宮の変が勃発。妻の叔父の張休(張承の弟)は自害させられ父は憤死。孫和は太子を廃された上で幽閉され、この張氏は諸葛恪が誅殺された際に(姪にあたるため)離縁されてしまった。

なお、この張氏の同母姉妹は、孫和の妃になったが、孫和ともども自害させられた上に彼女のきょうだいの張震を始め張一族は三族皆殺しにされている。


登場作品

彼が本格的に活躍し始めたのは諸葛亮司馬懿どころか司馬師姜維鄧艾司馬昭までもが死んだ後だけに、登場する作品は少ない。pixivでは羊祜とよくセットで描かれている。父親譲りなのか、美男子で描かれるのがほとんど。

コーエー三國志シリーズ

晋呉時代の武将としては随一の能力を誇るが、羊祜同様、登場するのが後半も後半で、作品によっては登場する頃には武将がほとんど死亡、武将数が国数以下で物理的に統一できずにゲームオ-バーということまである。

グラフィックはⅣでこそ父と真逆な髭面だったが、Ⅴ以降は父同様、イケメン青年になっている。

ただし残された画像によれば実はⅣの髭面の方が近かったりする。


真・三國無双シリーズ

三国無双シリーズでもプレイヤーキャラとしては未登場のままであるが、モブ武将としては登場している。

またEmpiresシリーズで自分なりのキャラクタークリエイションも可能(あらゆる武将に共通するが)。特に6以降が登場するようになってからは、史実をなぞって活躍させることも。

孫権か、彼の死後の時代とされている場合は孫休に仕えている。

(呉の最後の皇帝孫皓については、モブどころかスピンオフ作品でも未登場である)

7Empiresではモブでは最高ランクで下手な無双武将より上の生き様、「幹国の才」を所持している(所持している無双武将は夏侯惇曹丕司馬昭于禁、他に所持しているモブは荀攸馬騰のみ)。


7におけるのストーリー『建業の戦い』では、モブながら勇ましく登場。

孫呉を支えるために戦おうとするが、魏(のちの晋)の賈充に「支える者がたった一人ではな…」と一蹴されてしまう。


ちなみにフリーモードで呉軍シナリオを選べば共闘もできる。もちろんモブのままだが。


真・三國無双ブラストには顔ありで登場。

親子らしく陸遜を少々幼くしたような容姿であり、口調や性格も陸遜似。

期間限定戦では羊祜との会話も存在し、史実同様友誼を結んでいる様子も見られた。


関連タグ

羊祜 陸遜 孫皓

二宮の変

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