曖昧さ回避
概要
主にバラエティ番組を中心に活動している。
かつてはフジテレビに在籍し、めちゃイケ、はねるのトびら、とんねるずのみなさんのおかげでした、マツコの部屋、ヨルタモリ、夕焼けニャンニャン等の大物お笑いタレントが出演している番組を複数携わったことがある。また、フジテレビ以外にも日本テレビの有吉ゼミ、沸騰ワード10の演出にも携わったことがある。現在はフジテレビを退社し、フリーとして日本テレビの月曜から夜ふかしやフジテレビの正月特番のみを活動している。
上記のように、マツコ・デラックス、明石家さんま、タモリ、有吉弘行等の大物芸能人の番組に携わり、一躍人気番組に育てあげたとしてテレビ業界では有名になってはいるが、現代の視聴者や世間からの心象は芳しくなく、彼が制作するコーナーに対しては批判の声が相次いでいる。
特にめちゃイケ時代では彼が担当するコーナーは基本的に岡村隆史を中心にするレギュラー出演者がぞんざいに扱われるものばかりで、収録内容が納得が行かなければ出演者の都合も関係なく何度も取り直しをさせたり、若手のADがミスをすれば手を挙げるなど目に余る行為が目立ち、出演者からの批判が相次いでいた。
また、当時新メンバーレギュラーの三中元克の企画を担当したのも彼であり、三中食堂の企画内では常に三中に対して高圧的な態度で接してきたり、プランニングは全て本人に全て丸投げさせ、納得できなければ本人の意見も無視し容赦なく却下させるという身勝手な行為が見受けられた。
挙げ句の果てには三中がみちのくプロレス挑戦企画に参加した際に彼が一度脱走した時には自ら説得に行かず、同じ新メンバーのジャルジャルに代わりに説得に行くように命令し、更に二度目の脱走の際には三中本人の言い分や苦悩等は全く聞き入れず、何が何でも強引に再開させるように仕向けたりしていた。結果的に三中が企画再開を固辞したが故に企画が打ち切りになると、以降三中に対して「使い物にならない」と厄介者扱いするようになり、後に三中本人の問題行動がテレビ局全体に露見した際には、番組から降板させるように提案もしていた。
事実、三中降板後のインタビューにおいて「三中の降板劇をきっかけに番組(めちゃイケ)の印象が悪くなった。彼や一部の視聴者は我々を薄情者と思っているかもしれないが、寧ろあれだけ迷惑をかけられたのに、違約金や賠償金を一円も請求しなかっただけ慈悲のある処置だと思ってもらいたい」と全く悪びれも無く半ば謂れのない批判混じりの反論をしていた。
これらが故に出演者から度々批判や不満の声が多数上がっており、中にはディレクターを変えて欲しいと言う声も挙がっていたが、その半面で遠藤本人が制作している番組やコーナー常に高視聴率を獲得しているという実績もあったため、なかなか彼に意見や反論をすることができなかった。
だがめちゃイケ終了後、一連にわたるワンマン行為が問題視されたことやお笑い番組に対するコンプライアンスが徹底化されたことから彼自身が番組制作に携わる機会が激減し、そのままフジテレビを退社。
現在はフリーディレクターとして上記の月曜から夜ふかしを中心に活動している。しかし、そこでも彼のワンマンぶりが炸裂し、特に一般人に対する横柄な態度が中心で過度視聴者イジリ、タメ口でのインタビュー、セクハラまがいの企画等の取材相手を小馬鹿にするような言動が目立っていた。
その為、めちゃイケでもないのにもかかわらず、この一幕に視聴者からは「本当に失礼すぎる」「相変わらず不快」「ディレクターどうにかならないの?何様?」というブーイングが殺到し、長年親交のあるマツコからも「あんた最近出すぎ」とこき下ろされてしまう始末。
これらの点から、遠藤本人もようやく自らの一連に渡る不始末について考え直すようになり、自分が考えている世間とのズレについても重い悩み、それを解消するためにテレビ業界から手を引こうとも考えていたが、マツコからは「ズレてるから逆に面白い」とフォローされたことから引退は思い留まり、以降は今までのような表でしゃばった行動は慎むようになり、裏方の番組制作編集を中心に行うようになった。
このように、確たる出演者や一般視聴者・世間からの度重なるアンチや批判が相次いでいるが、遠藤本人は決して根は悪くなく、馴染みの人物に対しては親身になって接している。
特にめちゃイケ時代の同僚で元プロデューサーの明松功が営業部へ左遷となった際に自棄を起こしていた彼を親身に受け止め、当時総監督を務めていた片岡飛鳥共に部署異動について説得していた。
また、自身の一人息子が夜ふかしのインタビューに出演した際には息子曰く、常にくだらないが実に面白い話をしてくれるらしく、どんな状況においても場を盛り上げ笑いに変えてくれると言う。