この路線は岐阜県多治見市の多治見駅から同県美濃加茂市の美濃太田駅までを結ぶJR東海の路線であり、名古屋から岐阜までJRで行くためのルートのひとつとして利用される。
全線がTOICAエリアとなっている。
路線データ
路線延長 | 17.8km |
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区間 | 多治見駅~美濃太田駅 |
軌間 | 1067mm |
運営 | JR東海 |
交通区分 | 地方交通線 |
駅数 | 8駅 |
複線区間 | なし(全線単線) |
電化区間 | なし(全線非電化) |
閉塞方式 | 単線自動閉塞式 |
運転指令所 | 東海総合指令所 |
最高速度 | 85km/h |
連絡
多治見駅-中央本線
可児駅-名鉄広見線(新可児駅-犬山駅、新可児駅-御嵩間)
美濃太田駅-高山本線
使用車両
不定期運用:キハ85系
過去の使用車両
キハ40系(キハ40キハ48キハ47) キハ11 キハ58系キハ20系
蒸気機関車も昭和44年まで利用したが、データは不明である。撮影された写真が残っているものは、C11かC58であり、蒸気機関車時代多治見には多治見機関区(現在の多治見税務署付近)がありD51も在籍していたがD51は当線に乗り入れていなかった可能性が高い。
概要
- 現在の定期運行車両は全ての列車が各駅に停車する。
- 平成2年より平成24年までキハ85系による美濃太田発多治見経由名古屋行きのホームライナー太多(全席指定席の快速)が設定されていた。太多線内は各駅に停車していた。
- 多治見と美濃太田を往復する列車だけでなく、美濃太田から高山本線に入り、岐阜駅まで直通する列車の設定も多い。中央西線全線電化前は名古屋発多治見経由の普通列車も(ホームライナー太多と同一ルート)で走っていた。
- 名古屋を発着する特急ワイドビューひだの所定経路(高山本線の美濃太田-名古屋間)が事故等の影響ににより大幅な遅れが見込まれる場合、中央本線と当線を経由して運行されることがある。この場合、多治見駅と美濃太田駅で2回方向が変わる。
- 使用車両は美濃太田車両区所属のキハ75とキハ25であり、これは2015年に行われた武豊線電化により余剰となった車両および新規製造分によりまかなわれた。
沿線
- 美濃太田車両区
高山線や太多線で運用される気動車の車両基地。線路配線としては美濃太田駅に直結であるが太多線に並走する形で出入庫線があり、地理的な最寄り駅は当線の美濃川合駅である。一時期理由不明であるが構内の一角に引退した車両(キハ58系など)が雨ざらしの状態で長年多数放置されていた(「須田コレクション」と通称されていた)。現在はリニア・鉄道館に持ち込まれなかった車両の大半は解体されわずかに残されているのみ。貨車であるため持ち込まれなかった車両に戦時型貨車トキ900の復元車があったが(浜松工場で発見されて復元されたもの)、現状は不明である。
- 岐阜県立加茂農林高等学校
アニメ化されたライトノベル、のうりんのモデルとなった学校である。
木曽川に作られた発電用のダム。川の両岸にある今渡発電所、美濃川合発電所に水を送っている他、木曽川流域にある全ての水力発電所の逆調整池の役割を果たしている。
(いずれも美濃川合駅、美濃太田駅のひとつ手前の無人駅が最寄り駅)
歴史
この路線は当初東濃鉄道という会社(なお、笠原線や駄知線を運営していた同名のバス会社とは別である)が大正7年に軽便鉄道(ナローゲージ)として新多治見-広見間(広見駅は昭和57年に改名、可児駅となった)を開通させたもの(大正9年に広見-御嵩間が延伸されたが、こちらは買収対象とならず、東美鉄道を経て現在は名鉄広見線の一部となっている)を多治見と美濃太田間を連絡させる国の政策のため国鉄に買収、同時に新多治見駅は多治見駅と統合する形で廃止された。
昭和3年、広見-美濃太田間が開通すると同時に改軌(同時に当時共用されていた残りの部分も同時に改軌されている)され、現在の形となった。
国鉄の分割民営化の際にはこの路線はJR東海に継承された。
余談
なお残された広見-御嵩間は昭和4年に名鉄が今渡線を乗り入れ、それと同時にその路線を広見線と改め、昭和5年に広見駅の利用をやめて新たな駅(新広見駅、昭和58年に可児市となったため新可児駅と改める)をたてる。
一方同じ年、東美鉄道は伏見口駅(昭和58年に改名、明智駅)-八百津を開業(後の名鉄八百津線、平成13年廃線)したりするも昭和18年、名鉄に買収され、昭和23年に広見線に繰り入れられることとなった。
駅一覧
余談
太多線内には「小泉駅」が存在し、同じJR東海管内には「東上駅」が飯田線に存在する。つまりこの2駅を発着する乗車券を発券すると字は違えど・・・?