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南沙織

みなみさおり

元アイドル歌手で、写真家の篠山紀信の配偶者。1970年代初頭に絶大な人気を誇った。
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概要

本名:内間明美(1954年7月2日~)

日本の元・アイドル歌手で、写真家篠山紀信の配偶者。

カトリック信者でクリスチャン・ネームは「シンシア」。

1970年代初頭に絶大な人気を誇った。デビュー曲「17才」は後に森高千里らにカバーされている。


略歴

1954年7月2日、嘉手納町沖縄県)に誕生。母がアメリカ軍軍属フィリピン人男性と再婚し、4歳の頃から宜野湾市(沖縄県)の普天間基地近くに転居。幼稚園の時から、米軍キャンプ内にあったカトリック系のクライスト・ザ・キング・インターナショナル・スクールに通い、バイリンガルとして育つ。

1970年、琉球放送のど自慢番組「オキコワンワンチャンネル」「100万人の大合戦」などでアシスタントをしていた時にヒデとロザンナのマネージャーが撮った写真がCBSソニー関係者の目に止まり、東京に呼び寄せられた。


1971年6月1日、「17才」で歌手デビュー。日本人離れした美貌と歌唱力からたちまち人気となり、同時期にデビューした天地真理小柳ルミ子とともに新・三人娘と呼ばれる。当時は沖縄県民に対する差別が激しい時代で、フィリピン人とのハーフとして売り出された。

1972年5月15日、沖縄が日本に返還される。昨年に続きレコード年間売上実績第1位を達成。1974年まで筒美京平が手がけた楽曲を中心に多くのヒットを放ち、洋楽ポップスのカバーを多く収録したアルバムもリリースした。

1975年、「人恋しくて」で第17回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。


1978年、学業に専念するため芸能活動から引退。

1979年、4thシングル「純潔」の撮影をした写真家の篠山紀信と結婚。

1991年、NHK紅白歌合戦へ14年ぶりに出場。「色づく街」を歌った。


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