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来歴

「異装の女性剣術家」として知られる。

生年月日不明、下総国古河藩(現在の茨城県古河市)生まれ。父は同藩主土井利勝に仕える剣術家・佐々木武太夫であり、この父に武道一般をすべて伝授される。累に男兄弟がないため、婿をとろうとしたがうまくゆかぬまま、武太夫は病死、佐々木家の家名は途絶えることに。


累は浪人となり、江戸市中に出て、武蔵国豊島郡浅草聖天町(現在の東京都台東区浅草)に家を借り、そこで武芸指南を始める。累の武道教授は評判になるとともに、その外出時の服装が、黒縮緬の羽織に佐々木氏の「四つ目結」の紋付、屋敷風の笄分けの髪型、大小を二刀差しにしていたので、それが「異装・異風」であるとして、評判にもなった。当時、江戸市中に横行していた「旗本奴」による無頼行為が累に及んだことがあり、「白柄組」や水野成之の「大小神祇組」と渡り合ったという話が残っている。(白柄組と大小神祇組は同一組織という説もある)


石谷左近将監(石谷貞清)が北町奉行を務めていたころ(1650年 - 1659年)、累は石谷に呼び出され、武家の娘であれば違法ではないが「異装・異風」はいかがなものかと問われ、その目的は土井利勝の家臣であった父の意志を継ぎ、武勇の士を夫に持ちたいためであって、旗本奴・町奴のように狼藉を企てているわけではないと堂々と申し述べ、認められた。この件は、南町奉行・神尾備前守(神尾元勝、1640年 - 1661年在任)にも伝わり、さらには当時大老であった土井利勝の耳にも届いた、とされる。利勝は1644年8月12日(寛永21年7月10日)に死去しており、伝承する北町奉行の名が異なる時期の話か、いずれにしても利勝が動き、家臣の小杉重左衛門の次男、小杉九十九を婿に迎え、佐々木家は再興した。


没年月日・没地ともに不詳である。


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佐々木三冬・・・おそらく累がモデル、ただしこちらは田沼時代が舞台。

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