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概要

1959年9月に日本を襲った台風15号のことである。この台風は紀伊半島東海地方を中心に日本全国に甚大な被害をもたらした。特に伊勢湾岸(愛知県三重県)での高潮による被害が顕著であったことからこの名前がつけられた。

死者・行方不明者の数は5,000人を超え、日本における戦後最悪の台風災害となった。後に災害対策基本法が制定される契機にもなった災害である。また、阪神淡路大震災が発生するまでは戦後最悪の自然災害でもあった。

スーパ台風と猛烈な暴風雨・高潮

1959年9月21日にマリアナ諸島の東で発生した台風15号は猛烈に発達し、最盛期には中心気圧895hPaを記録。「スーパー台風」と呼ぶべき猛烈な台風となった。台風は最盛期を過ぎてもほとんど衰えることなく北上し、9月26日18時頃に紀伊半島の潮岬付近に上陸した。上陸時の気圧は929hPaで、本州で記録された最も低い気圧である。その後台風は本州を縦断。暴風域が広かったため、名古屋で最大瞬間風速45.7m/sを観測するなど、各地で記録的な暴風大雨となった。伊勢湾では湾奥で高さ4mに達する記録的な高潮が発生し、湾岸の愛知県・三重県を中心に壊滅的な被害となり、名古屋でも被害は甚大であった。

伊勢湾台風にまつわる逸話

  • 太平洋戦争による空襲で焼失した名古屋城と金の鯱が伊勢湾台風襲来直前に再建されたが、名古屋の高潮災害は金鯱のせいではないかと言う話が台風後に市民の間でささやかれた。もともと鯱には水を呼ぶ力があると言い伝えられ、火除けのために城の屋根に付けられるようになったのだが、それが結果として水害も呼んだと言われるようになったというわけである。
  • 現在の東海ラジオの前身である近畿東海放送とラジオ東海は伊勢湾台風襲来以前から名古屋進出を模索し、両社の合併を条件に名古屋進出が認められたが、名古屋本局の予備免許が出た当日の夜に伊勢湾台風が本土に上陸した。台風被害に遭い報道の強化を痛感した両社は合併準備を加速させ、1959年11月20日に両社は新設合併し、東海ラジオとなった。ただし東海三県で海に面していない岐阜県は地域事情が違うとして別の県域中波局を求める運動が起こり、後の岐阜放送開局に繋がることとなる。
  • 台風襲来により名古屋市内の工場群も浸水による被害を受けたが、その中で住友金属工業名古屋工場だけは比較的早く水が引き9月29日には操業を再開した。これは室戸台風で自社の工場が浸水被害を受けたことを教訓に、名古屋工場建設時に土地を嵩上げしたのが功を奏したが、それが結果として工場周囲の濁流の流速を速めることとなり、世論の批判を受けることとなった。
  • 当時の近鉄名古屋線大阪線山田線と軌間が異なり、伊勢中川駅での乗り換えを必須としていた。そのため予てから名古屋線では改軌工事を計画していたが、工事準備中に伊勢湾台風が襲来した。だが台風襲来直前に完成した新たに建設した鉄橋(長良・揖斐川橋梁は襲来1週間前、木曽川橋梁にいたっては襲来当日に新橋に線路を切り替えている)に被害が殆ど見られなかったことから「災害復旧と改軌工事を同時進行で行う」という決定を下し、1959年11月27日に改軌工事を完了させ、運転再開となった。
  • 近鉄名古屋線同様浸水地域を通過する国鉄関西本線名鉄尾西線常滑線の復旧も1959年11月までずれ込んだ。ちなみに名鉄常滑線は水上に仮線を敷設することで仮復旧し、水上を3400系が走行する写真が今も残されている。この時の景色は後に千と千尋の神隠しに登場する海原電鉄のモデルになったと言われている。

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