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中山大障害

なかやまだいしょうがい

JRA(日本中央競馬会)の中山競馬場の芝コースで開催される「J・GⅠ」の障害競走。
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基本データ

コース中山競馬場障害専用4,100m
出走資格サラブレッド系3歳以上 フルゲート16頭
負担重量定量(3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬-2kg)
備考外国調教馬出走可能

概要

1934年に「大障害特別」の名称で創設。1935年からは春季・秋季の年2回開催となり、数回の改称を経て1948年より現在のレース名となった。


1999年の障害重賞へのグレード制導入によってJ・GⅠに格づけされた。

同時に春季開催は中山グランドジャンプとして分離新設されたため、12月後半の秋季のみの開催となった。

2011年からは国際競走に指定されている。


負担重量は何度かの改訂を経て、1976年以降は「中山大障害1勝ごとに2kg増」であったが、グレード制導入によるGⅠへの格付けにより定量戦となった。


80年代後半からは9もしくは10レースで、グレード制導入直前の数年間は春秋とも第9レースで施行されていた。グレード制導入ともに第10レースに戻り、2000年以降は原則として有馬記念前日の第10レースで施行される。

中山グランドジャンプが第11レースに移動した2000年以降、中山大障害はJRAのGⅠ競走では唯一、メインレースとして施行されない競走となっている。

日没の早い年末の関東では、メインレースの時間帯には影が極端に長くなっている。このため、大障害コースなどで障害の手前に長い影が落ち、踏み切る位置がつかみづらく危険であるというのが理由である。


コース

障害コースの3コーナー手前でスタートし、右回りで向正面に抜けてから大障害コースに入る。

一度目の大障害コースでは大竹柵を飛越する。通過後は左回りで4コーナー側から向正面に抜け、再び大障害コースに入る。

二度目の大障害コースでは大生垣を飛越する。通過後は右回りで1コーナー側から障害コースをほぼ一周し、4コーナーで芝コースの直線に出てゴールする。


大障害コースの高さ1.6mの大竹柵・大生垣を含んで障害飛越は11回。一般の障害も軒並み、固定障害の中でも大型の部類に入る。

さらに急で深い坂路を6回通過するほか、コーナーも左右ともに急と、出走馬の強靭性が大いに問われるコースとなっている。


歴代優勝馬

回次開催日競走馬名騎手
年2回時代
第1回1934年12月5日キンテン稲葉幸夫
第2回1935年4月7日イサハヤ秋山辰治
第3回1935年10月20日オーシス佐藤修
第4回1936年4月5日ジユピターユートピア中口儀一郎
第5回1936年10月18日トーナメント中野吉太郎
第6回1937年4月4日フソウ平井寅雄
第7回1937年10月17日キンテキ古賀嘉蔵
第8回1938年4月10日トクタカ内藤潔
第9回1938年11月27日リードアン稲葉幸夫
第10回1939年4月9日コクオー松永光雄
第11回1939年12月3日シヤインモア内藤潔
第12回1940年4月19日キヨクジツ古賀嘉蔵
第13回1940年12月8日スタミナ岩下密政
第14回1941年4月20日ライハルオン中野才一
第15回1941年12月7日ゼーアドラー古賀嘉蔵
第16回1942年4月26日ホウカツピータ本田昌雄
第17回1942年11月29日バイエル富田竹次郎
第18回1943年5月2日モトクマ平井稔
第19回1943年11月28日カミワカ岩下密政
第20回1947年12月14日ニユージヤパン小桧山悦雄
第21回1948年4月3日フクレイ田畑志郎
第22回1948年11月3日ブルーホマレ吉野勇
第23回1949年5月1日カミカゼ高松三太
第24回1949年12月4日ブランドライト坂内光雄
第25回1950年5月5日エイシヤイン小森園正義
第26回1950年12月7日アシガラヤマ吉野勇
第27回1951年5月20日ツキヤス古山良司
第28回1951年12月16日ミツタヱ渡辺正人
第29回1952年6月8日カツシロ富田六郎
第30回1952年12月21日サチヒカリ坂本栄三郎
第31回1953年6月28日ハクオー斉藤義美
第32回1953年11月1日モモタロウ野平幸雄
第33回1954年6月20日ギンザクラ富田六郎
第34回1954年11月3日アラワシ伊藤英治
第35回1955年6月26日キタノイヅミ勝尾竹男
第36回1955年11月3日シマユキ飯塚好次
第37回1956年11月18日ハクレイ目時重男
第38回1957年6月30日クロシオ長池辰三
第39回1957年10月20日ヤマカブト坂本栄三郎
第40回1958年6月29日ケニイモア目時重男
第41回1958年10月12日ケニイモア目時重男
第42回1959年6月28日オータジマ高屋次郎
第43回1959年10月11日ハルボー本田昌雄
第44回1960年6月26日ロールメリー古賀一隆
第45回1960年10月9日ロールメリー古賀一隆
第46回1961年4月23日クニハヤ加賀武見
第47回1961年10月15日トサキング瀬戸口勉
第48回1962年4月22日フエニツクス田村駿仁
第49回1962年10月7日ライトリア坂内光雄
第50回1963年6月23日ゴールデンオーザ関口薫
第51回1963年10月20日フジノオー横山富雄
第52回1964年3月15日フジノオー横山富雄
第53回1964年10月11日フジノオー横山富雄
第54回1965年4月11日フジノオー横山富雄
第55回1965年10月17日ミスハツクモ前田禎
第56回1966年4月24日アドミラル小泉明東
第57回1966年12月4日ホウラン金井国男
第58回1967年6月11日クニハヤヒメ関口健太郎
第59回1967年12月3日ヤマニンダイヤ鶴留明雄
第60回1968年4月7日フジノホマレ横山富雄
第61回1968年12月29日タジマオーザ津田昭
第62回1969年6月29日ホンマルシロー千田能照
第63回1969年12月28日マウントブゼン山田広士
第64回1970年4月5日ハセタカラ法理弘
第65回1970年12月27日リクオー千田能照
第66回1971年5月5日ナスノセイラン金井国男
第67回1971年12月25日開催中止
第68回1972年6月4日ナスノセイラン柴崎勇
第69回1972年12月24日マスヒロ成島正規
第70回1973年4月8日ナスノヒエン金井国男
第71回1973年12月23日クリユタカ法理弘
第72回1974年4月7日グランドマーチス寺井千万基
第73回1974年12月22日グランドマーチス寺井千万基
第74回1975年4月6日グランドマーチス寺井千万基
第75回1975年12月21日グランドマーチス法理弘
第76回1976年4月11日エリモイーグル渡辺修一
第77回1976年12月26日サクラオンリー平井雄二
第78回1977年4月10日バローネターフ三浦春美
第79回1977年12月25日バローネターフ三浦春美
第80回1978年4月9日ファンドリナイロ広松孝司
第81回1978年12月24日バローネターフ小柳由春
第82回1979年4月8日バローネターフ根本康広
第83回1979年12月23日バローネターフ根本康広
第84回1980年4月6日オキノサコン星野忍
第85回1980年12月20日カチウマタロー田中剛
第86回1981年4月5日ナカミショウグン根本康広
第87回1981年12月19日テキサスワイポン今岡正
第88回1982年4月11日キングスポイント小島貞博
第89回1982年12月25日キングスポイント小島貞博
第90回1983年4月10日オキノサキガケ星野忍
第91回1983年12月24日オキノサキガケ星野忍
第92回1984年4月8日メジロジュピター池添兼雄
第93回1984年12月22日メジロアンタレス牧之瀬幸夫
第94回1985年4月7日ブルーフラール成田均
第95回1985年12月21日オンワードボルガ田中剛
第96回1986年4月6日ライバコウハク大江原哲
第97回1986年12月20日ハッピールイス中竹和也
第98回1987年4月12日メジロアンタレス成田均
第99回1987年12月26日シノンシンボリ牧之瀬幸夫
第100回1988年4月10日メジロアイガー臼井武
第101回1988年12月24日ヤマニンアピール岡冨俊一
第102回1989年4月9日キョウエイウオリア星野忍
第103回1989年12月23日メジロマスキット臼井武
第104回1990年4月7日パンフレット嘉堂信雄
第105回1990年12月22日ワカタイショウ星野忍
第106回1991年4月6日シンコウアンクレー田中剛
第107回1991年12月21日シンボリモントルー成田均
第108回1992年4月11日シンボリクリエンス大江原哲
第109回1992年12月26日シンボリクリエンス大江原哲
第110回1993年4月10日メジログッテン押田年郎
第111回1993年12月25日ブロードマインド牧之瀬幸夫
第112回1994年4月9日ブロードマインド牧之瀬幸夫
第113回1994年12月17日ローズムーン五十嵐久
第114回1995年4月8日ダイカツストーム中竹和也
第115回1995年12月16日フジノスラッガー臼井武
第116回1996年4月6日ポレール星野忍
第117回1996年12月14日ポレール星野忍
第118回1997年4月12日ポレール出津孝一
第119回1997年12月13日ケイティタイガー嘉堂信雄
第120回1998年4月18日ノーザンレインボー田中剛
第121回1998年12月19日ビクトリーアップ横山義行
グレード制度導入後
第122回1999年12月18日ゴッドスピード西谷誠
第123回2000年12月23日ランドパワー金折知則
第124回2001年12月22日ユウフヨウホウ今村康成
第125回2002年12月21日ギルデッドエージR.ロケット
第126回2004年1月10日ブランディス大江原隆
第127回2004年12月25日メルシータカオー出津孝一
第128回2005年12月24日テイエムドラゴン白浜雄造
第129回2006年12月23日マルカラスカル西谷誠
第130回2007年12月22日メルシーエイタイム横山義行
第131回2008年12月27日キングジョイ高田潤
第132回2009年12月26日キングジョイ西谷誠
第133回2010年12月25日バシケーン蓑島靖典
第134回2011年12月24日マジェスティバイオ山本康志
第135回2012年12月22日マーベラスカイザー熊沢重文
第136回2013年12月21日アポロマーベリック五十嵐雄祐
第137回2014年12月20日レッドキングダム北沢伸也
第138回2015年12月26日アップトゥデイト林満明
第139回2016年12月23日オジュウチョウサン石神深一
第140回2017年12月23日オジュウチョウサン石神深一
第141回2018年12月22日ニホンピロバロン石神深一
第142回2019年12月21日シングンマイケル金子光希
第143回2020年12月26日メイショウダッサイ森一馬
第144回2021年12月25日オジュウチョウサン石神深一
第145回2022年12月24日ニシノデイジー五十嵐雄祐
第146回2023年12月23日マイネルグロン石神深一

主な記録

史上初の中山大障害4連覇。

史上2頭目の中山大障害4連覇。

同馬は障害馬として唯一の顕彰馬である。

史上初の中山大障害秋3連覇、史上初の大障害を通算5勝、史上3頭目の中山大障害3連覇。

JRA初となる現10歳での重賞制覇。

2着と8秒6差、50馬身近い史上最大着差で記録的圧勝。

史上4頭目の中山大障害3連覇。

史上3頭目の最低人気GⅠ制覇。

2着は兄のゴーカイでこちらもGⅠ初の兄弟馬のワンツーフィニッシュ。

ギルデッドエージに騎乗し、同レース初の外国人騎手及びJRAのGⅠ級初の女性騎手の優勝。

同年に騎乗したニホンピロバロンで優勝し、2016年と2017年のオジュウチョウサン騎乗と合わせて同一競走3連覇。

なおオジュウチョウサンは2020年に史上初の中山グランドジャンプ5連覇を達成している。

平地競走を中心としてきた重賞馬が障害GⅠで勝利したのは1999年のゴッドスピード以来で、平地GⅠで掲示板入りした馬が障害GⅠで勝利するのは史上初となる。

またこの年のレースはオジュウチョウサンの引退競走であったが、ニシノデイジーはオジュウチョウサンが初めて障害GⅠで勝利したときには産まれていなかった。


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関連項目

JRA 障害競走 競馬 GⅠ 重賞

中山競馬場 中山グランドジャンプ

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