曖昧さ回避
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
⋯ドイツの医者、生物学者。江戸時代、鎖国をしていた日本に西洋医学を伝え、世界に日本のことを広めた人物。
ドイツ、医学の町・ウェルツブルクで生まれる。オランダの陸軍軍医となり、その後オランダの命令で来日。鎖国時外国人は長崎の出島から出ることは許されていなかったが、シーボルトは優れた医者だったので長崎から出るのを許される。
鳴滝塾を創設し、門下生を集める。江戸参府の際、葵の紋付の着物など日本から持出禁止のものを持ち出し、関係者は罰せられシーボルトは国外追放(シーボルト事件)。事件後オランダに帰国。
30年後、日本の鎖国が解かれ再び日本に帰ってきたシーボルトは研究を続け、幕府にも招かれ欧州学問を教えた。3年後帰国しドイツ・ミュンヘンで亡くなる。
略歴
1796年 ドイツ・ウェルツブルクに生まれる
1824年 長崎郊外に「鳴滝塾」と言う私塾を開き、西洋医学の講義を行った
1828年 任期終了し、帰国することになるが荷物の中に禁制品の日本地図などが発見される。【シーボルト事件】
1829年 国外追放を申し渡される。
1859年 オランダの貿易会社の顧問として再来日
1866年 死去
家族
関連タグ
紫陽花:シーボルトが愛妻の名をとってHydrangea otaksaという学名をつけた。しかし、この学名は正式には採用されなかった。
川原慶賀:シーボルト御付きの絵師。「日本植物誌」などの図版を担当した。教科書に掲載されるシーボルトの肖像画を描いたのは慶賀である。