ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

父を超えることが仔の使命なら、カツラノハイセイコ、お前ほどの息子がかつていただろうか。


ハイセイコーに似ず小柄な馬体。

だが繰り出すフットワークの完璧さ、並んだら負けない力強さは父を凌ぐ強烈な個性として記憶に新しい。


「根性」の真の意味を、「血統」の真の価値を、ターフに全身で主張した闘士よ。

何百万人もの人間を脱帽せしめたヒーローよ。


さあ走り続けるがいい、私たちの胸の内に、怪物三世の勇姿の内に。



概要

1976年5月13日生まれ、父ハイセイコー母コウイチスタア。通算23戦8勝。


1978年デビュー、条件戦を勝ち上がる、1979年スプリングステークス2着、皐月賞2着に敗れたが、父ハイセイコーが勝てなかった日本ダービーを制覇する。京都新聞杯10着後は故障により1年近く休養。


1980年目黒記念で重賞2勝、秋の天皇賞6着、有馬記念2着。


1981年マイラーズカップで重賞3勝、春の天皇賞を制し八大競走2勝、父ハイセイコーが勝てなかったレースでまたも強さを発揮し2重の雪辱を果たした。宝塚記念2着後に引退。


ライバルのホウヨウボーイと1勝1敗、カツアールに1勝2敗、メジロファントムと3勝2敗だった。


種牡馬としてユウミロク、テツノセンゴクオーなど輩出。


2009年10月、老衰により33歳で永眠。カツラノハイセイコの死去によって、1970年代のダービー馬は全員この世を去った。


父ハイセイコーの主戦騎手だった増沢末夫が歌った「いななけカツラノハイセイコ」というレコードも発売された。ただし、増沢はカツラノハイセイコには一度も騎乗しなかった。


関連タグ

競走馬 79世代

関連記事

親記事

79世代 ななきゅうせだい

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2076

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました