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オリンピア祭

おりんぴあさい

古代ギリシャ文明の国際的運動会、4年に一度開催される。現在のオリンピック行事の原型となった祭りである。
  • 希 Φεστιβάλ Ολυμπίας

古代ギリシャ文明時代の四大祭典のなかで最高の大会。

ギリシア、エリス地方の都市国家オリュンピア聖都で、(当時の世界設定において)世界を統治するゼウス神にささげられた式典と競技会。(式典と競技会(オリンピック)は基本違う)起源については諸説あるが、現在において数えられるのはBC776年の大会を『第一回オリンピック』としている。ギリシア神話上(古代ギリシア歴上)ではゼウスに地獄に落とされたタンタロス王の息子ペロプス王子(ペロポネソス半島の由来)が神話上での第一回オリンピック大会優勝者である。


 競技会は四年に一度開催され、たとえ核戦争が起こるぐらいの深刻な対立・人類の過半数が死にいたっても即時停戦することがギリシャ文明圏の都市共和国では守られたこれは(オリンピアの停戦(エケケイリア)と呼ばれる。)

 ただし、当時のギリシャ人同士の戦争は厳格なルールが決められた試合のようなものであり(戦死者が10%になると前代未聞の異常事態扱い、古代ギリシャの農閑期である夏が終ると自動的に戦争も終了、など)、わざと事故を起しやすいルールにしているとしか思えない戦車レースや、審判の目の届かない≒他の選手をブチのめす事も可能な範囲が異様に大きい徒競走など、血生臭い見世物としては、戦争よりもオリンピア競技祭の方が遥かに上である

 また、古代ギリシャでは都市国家ごとに使われていた暦が違っていた為に、歴史上の出来事を記述する場合、「第○オリンピア期×年」(第○回オリンピア祭から×年目)と云う言い方が使われた。

 なお、近代オリンピック(夏)と古代のオリンピア祭の開催年には1年のズレが有るが、東京オリンピック(2020年)COVID-19流行による1年の延期の結果、偶然にも第700オリンピア期初年の開催となった。


はじめはギリシャ(ヘラス文明圏)の都市共和国(ポリス)から選抜される少年選手に限られていたが次第に広域化してゆき、ギリシアの植民市(コロニー※1)からも選抜少年選手が送られるようになった。この有名な競技会は全ギリシア地域での普遍的な祝祭となったが基本的に素朴な演目・演出を貫いた。


 (※1 ギリシャ都市国家の世界観は非常にどうなっているのか理解するのが難しいが、たぶんアニメのガンダムの設定で言う宇宙コロニーの分布や勢力などに近いと思われる。コロニー一つに対し『文化・行政・国家』が存在していたはずで。コロニー国家のジオン公国なども月の裏側の確実にコロニーの一共和国だった訳だ。ただ、このような事を細かく考えていく人はガンダムオタクでは結局一言も出てこないし、コロニー一つ一つにどういう世界観が作っていくのは相当に途方もない作業になるだろう。しかしギリシャ文明の都市国家文明という代物はまさにそういう感じだっただろうから、とても面倒くさい。しかも、ギリシアでは永く地球連邦的な統一勢力が出てこなかった。『都市国家の連合』は何回か登場したけれど、ローマ共和国(ローマ帝国)が制覇するまではギリシアでは『ギリシャ世界の統一政権』は存在していない。(ギリシア神話ではギリシャ統一は不可能という事になっている。)『ローマ帝国』が『地球連邦』(ローマ帝国の正名.元老院とローマ市民の共和国連邦)の代わりをするようになった感じかもしれない。)


 競技会は選手の少年と観客群集が一糸まとわぬ全裸で行われるのが最大ルールであり、これは『ギリシャ神話の世界に現実の人間がギリシャ神話中の人になろうとする最大の努力ユートピアへの挑戦)』であったと考えられる。そしてこれがギリシャ人・文化(ヘラス)の証であるとされた。


((話がそれると、競技選手の少年が勃起して赤面していようが、カウパー液が出ていようが、スペルマが出ていようが。求愛的な素振りをしてもそれはゼウス神からすれば喜ぶ事だと思われていたと思うし、まったくそこで他の奴が茶化したり、侮蔑したりした方が観客からボコボコにされたり退場勧告がでた気がする。))

 ((この大会は5日間行われていたが、『少年選手同士や観客の夜の営み』は歴史上だとこれ異常ないぐらい凄い発展していそうだな...と、やはりこういう水準『超前向きなこの手の文化』はギリシア文化しか存在していない。))

 ((なお、やっていいのは、あくまで全裸までで、古代ギリシャ的には短小包茎こそが文明人の証である。古代ギリシャ基準で皮の中に収納されているべき部分が出ているのは、現代の感覚に置き換えるなら「公衆の面前で全裸」すら通り越して、「公衆の面前で内臓剥き出し」に近い。R-18ではなくR-18G扱いである。))


 競技種目は最初、「ランニング競技(全裸)」が中心であったが、次第に「スタディオン走(全裸)」「走り幅跳び(全裸)」「円盤投げ(全裸)」「五種競技(全裸)」「レスリング(全裸)」「パンクラチオン(全裸)」「競馬(全裸旗手)」「戦車競争(全裸)」「武装競争(甲冑きて走る)」など最終的には20競技5日間にわたってプログラム化された。

 なお、オリンピア祭で最初に全裸になったと云う伝承が有るのは、「ギリシャ版薩摩隼人」(マッチョイズム+少年愛)と云うべきあのスパルタ人である。


 『オリンピア祭り』は運動競技のほか、朗読、演劇ギリシア演劇)、学術の大会もあり、各大会に優勝者が出ると、オリーブの枝葉で作った冠(誤解されている場合が多いが月桂冠とは別である)が贈られ。神殿に大会優勝者の石造が立てることが決まっていた。これら優勝者の肖像は大神ゼウス神や神后ヘラ神・オリーブの冠の主のアポロン神々と同列の扱いを受け本尊となった。(半神)この人たちがなぜ「裸」にこだわるのかとか考えると、「ズルを絶対に出来ないという事」や「他人と比べて運動の才能が明らかに優勢が見て解かる」というが確信であると思われ、「明らかな能力があり出来る=神のようだ。」という感じであり、それプラス美男美少年は付属でしかない(美しかったらそれはそれで嬉しいだろうが。)、あまり優勝した人の成果と醜美は関係ないように思う。


 「オリンピア祭り」に参加できるのは都市共和国(ポリス)の「完全な自由市民階級」の男性(若者少年)のみで「半市民階級」「奴隷階級」「女性」の参加は一切禁じられていた。また女性の見物は未婚女性のみが許されており、既婚女性はギリシア神殿職祭司1人が例外とされた。


 BC215年から起こった「マケドニア戦争(BC215-148)」で『マケドニア帝国ギリシア連合マケドニア共和国)(BC808-168)が『ローマ共和国ローマ軍(BC753-AD1453)』と長い戦いの末、マケドニア側が敗北しマケドニア本国とギリシア都市国家の連合がローマ共和国のローマ軍により徹底的に破壊され、ギリシア神話を担っていた基幹住人(アカイア人)を殲滅しローマ共和国に併合するとギリシア文明は一回滅んだ。その後も『オリンピア祭』はローマ人も大会運営に参加することになった。しかし皮肉な事にローマがオリンピア祭に首を突っ込んだ事によって急速に「オリンピア祭」は衰退を始めることになった。



 ローマ人は風紀を求めてのことで、「観客が服を着て観戦すること」と「少年選手たちに腰巻をさせて競技をする事」を奨励した。


 競技中の「少年愛的友愛行為」や「求愛的な行為」の基本的な排除や、大会期間中の夜の営みにおける『パラダイス』的な事も控えるように是正した。(別にローマ人自体もギリシア文明系なので少年愛がないわけではないが、基本ギリシャ人とローマ人は考え方が違うので。)

 

 ローマ人の発案で大会競技に「賞金」が賭けられるようになり、興行要素が非常に強くなった。これにより金儲けのために野蛮な無頼漢が選手として大挙押し寄せる様になった。(ローマ人は血祭り剣闘士の殺し合いが最高に大好きで(100日も見る)、演劇・詞歌・彫刻芸術などが最高に好きなギリシア人とは相容れない...。)


 ローマ人の発案で大会期間中の聖都オリンピア市で的屋商売が許されるようになり、ヤクザローマ人シノギ(荒稼ぎ)をめぐって島争いを行い、記録に残らぬ程侵してはならなかったオリンピアの治安や環境が悪くなった。(古代も闇社会は僅かながらあっただろう)


 ローマ人大会組織委員(当時はそういう役職はない。)による露骨な買収工作が行われ、「ローマ人」ばかりが優勝するようになり、飾られる肖像(石像)もローマ人ばかりになった。


 ローマが大会運営に参加するようになって「四年に一度興行的・大規模なオリンピア祭り」が開かれるようになったが。四年に一度開催され、たとえ核戦争が起こるぐらいの深刻な対立・人類の過半数が死にいたっても即時停戦することがギリシャ文明圏の都市共和国では守られることは、ついに無くなった。

 

 ローマ共和国の元首政治(BC27-1453)体制が始まり、第一人者による一党独裁的な社会が始まると、オリンピア祭もローマ帝の恣意的な目的で行われるようになった。有名なのは『ギリシアマニア』といわれた元首ネロ(AD37-68.在位56-68.5代元首)が、聖都オリンピアに別荘を建てたり、自ら大会を運営し競技に参加した上。権力と金に物を言わせて全て優勝するという。北朝鮮の『第一書記』並みの過度な演出をした。もちろんネロは満足したが「観客も満足しなければならなかった。」


 これ以降「オリンピア祭」は「ローマの元首(第一人者.ローマ帝)を称えるプロパガンダ一色の競技大会」となり見るべきものは無くなったとされた。もはや戦争がとまる事もなくなったし、「ローマ帝とローマ共和国がオリンピックのためにローマ市民のための世界併合戦争を停戦するという馬鹿な事も無くなった。」



 オリンピア祭の最後は392年の元首テオドシウス大帝(AD.346~395.在位379-395.65代元首)の出したキリスト教世界導入による『架空の設定』の更新により『ギリシア神話などの異教禁止法』によって、AD393年の第293回を最後に1169年の歴史に終止符が打たれた。


(参考:平凡社、マイペディア百科事典.wikipedia.Google.))


参考文献(イラスト)

  • 古代ギリシャ(ステラ)

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