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エアダブリン

えあだぶりん

エアダブリンはJRAの元競走馬(94世代)。ステイヤーズステークス及び芝3600mの日本レコードホルダー(2023年4月現在)。日本及び韓国で種牡馬としても活動。
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概要

エアダブリンは1994年クラシック世代の競走馬。

1991年4月21日生まれの鹿毛の牡馬。

ナリタブライアンと同期で、ヤシマソブリンとの“ブリンコンビ”として知られる。


トニービン、母ダンシングキイ、母父ニジンスキー。

半弟妹にダンスパートナーダンスインザダークダンスインザムード(いずれもサンデーサイレンス産駒)がいる。


主戦騎手は岡部幸雄。現役最後の3戦のみ四位洋文が騎乗している。

管理調教師は伊藤雄二

馬主はラッキーやモア、エアの冠名で知られる吉原貞敏。

1995年に死去し、息子の吉原毎文(及び株式会社ラッキーフィールド)が引き継いだ。


主な勝鞍はGⅢ青葉賞ステイヤーズステークスダイヤモンドステークス

伊藤師の方針で長距離を中心に活躍。生涯で一度も掲示板を外したことがなく堅実な走りに定評がある一方、そのズブさにも定評があった。


現役

1993年10月9日、東京競馬場の新馬戦でデビュー、5着。同31日の折り返しの新馬戦で初勝利。12月4日のエリカ賞(500万下、阪神競馬場)で2勝目。


1994年3月、オープンの若葉ステークスに挑戦しオフサイドトラップの4着。続いてダービートライアルのGⅢ青葉賞に格上挑戦し、重賞初制覇。そして日本ダービーでもナリタブライアンの2着と好走した。


夏の休養をはさみ、菊花賞トライアルのセントライト記念京都新聞杯いずれも3着、本番の菊花賞でもナリタブライアン、ヤシマソブリンに続く3着と好走。


そしてGⅢステイヤーズステークス3分41秒6のスーパーレコードを叩き出して勝利した。このタイムは2023年4月現在も破られるどころか1秒差以内に迫る馬すら現れず(次点がアルバートの3分43秒0)、ほぼアンタッチャブルレコードになっている。


1995年、GⅢダイヤモンドステークスで重賞3勝目。春の天皇賞ではナリタブライアンの故障もあって1番人気に支持されたが、ライスシャワーの1マイルスパートで生まれた乱ペースに崩れ、5着に終わった。


続いて出走した第36回宝塚記念は岡部がタイキブリザードに騎乗するため、四位洋文が騎乗。ライスシャワーの悲劇があったものの、ダブリンはダンツシアトル、ブリザードとの激しい叩き合いを繰り広げ、レコード決着でタイム差無しの3着と好走。


しかしこの激走の反動で屈腱炎を発症し、2年近くの長期休養を余儀なくされた。


1997年4月、メトロポリタンステークス(OP特別)で復帰し、マウンテンストーンの2着。さらにGⅡ目黒記念でもアグネスカミカゼ、ツクバシンフォニーの3着と好走したが、屈腱炎が再発し、現役を退いた。


生涯成績:15戦5勝(GⅢ3勝)、2着2回(GⅠ1)、3着5回(GⅠ2 GⅡ3)

生涯獲得賞金:3億3810万6000円


伊藤雄二調教師は「真のステイヤーとして完成するのは6歳(現5歳)になってから」と期待していたが、屈腱炎に泣かされ、その完成を見ることはついに無かった。

現役引退後

父がリーディングサイアーのトニービンであること、半弟妹ダンスパートナー、ダンスインザダークの活躍、更に種付け料50万円という安さから、手頃な良血種牡馬として4年連続100頭以上の種付けを行うなど人気を集めた。


特に初年度(1998年)は年間194頭もの種付けを行っており、これはサンデーサイレンスをも上回って当時の日本最多記録だった。


しかしこれといった活躍馬は生まれず、5年目には種付け頭数が16頭にまで激減。翌年には韓国・済州島のアルムダウン牧場に移り、10年間種牡馬活動を続けたが、やはりこれといった活躍馬は生まれなかった。


代表産駒は唯一の中央オープン馬・ツルガオカハヤテ(06年 UHB杯)、岩手重賞3勝のエアウィード(05年 青藍賞、北上大賞典、06年シアンモア記念)など。


2013年、用途変更により種牡馬引退。同じ済州島にあるヌルブン牧場で乗馬として余生を送り、2016年7月30日に25歳で眠りについた。


関連項目

ステイヤーズステークス

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