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ウィナーズサークル

うぃなーずさーくる

表彰式や口取り写真撮影などを行う競馬場の施設。またはそれから名前を採った日本の競走馬など。
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曖昧さ回避


競走馬の「ウィナーズサークル」

史上初の茨城県産、芦毛ダービー馬であり、芦毛のダービー馬としては2022年現在も唯一の存在。

福島デビュー組のGⅠ馬も希少。

89世代は一つ上のオグリキャップ世代、下のメジロマックイーン世代が強かったため「谷間の世代」と言われた。ウィナーズサークルも「芦毛最強馬」に挙げられる事は少ない。


種牡馬としても期待されず、産駒も活躍しなかったが、東京大学農学部付属牧場で30歳まで過ごし天寿を全うした。


生年月日1986年4月10日
英字表記Winner's Circle
性別
毛色芦毛
シーホーク
クリノアイバー
母の父グレートオンワード
競走成績11戦3勝
馬主栗山博
所属松山康久厩舎(美浦トレーニングセンター

※馬齢は数え表記

1986年4月10日、茨城県の栗山牧場(江戸崎町)で誕生。父のシーホークと瓜二つだった。そのまま栗山牧場代表・栗山博が所有し育成される。

栗山は、夏にデビューして休養、年末に復帰して三冠馬となったシンボリルドルフに倣ったローテーションを立てた。


競争歴

1988年

7月23日、竹原啓二騎手を鞍上に福島競馬場の新馬戦(芝1200m)でデビュー。1番人気だったが4着。その後、休養に入る。

12月4日、郷原洋行騎手に乗り替わり、中山競馬場の3歳未勝利戦(芝2000m)に出走し、2着。

12月24日、中山競馬場の3歳未勝利戦(芝2000m)に出走し、2着。


1989年

1月22日、中山競馬場の4歳未勝利戦(ダート1800m)に出走し勝ち上がる。

2月5日、400万下のカトレア賞(ダート1600m)で2着。

3月5日、中山競馬場の4歳400万下(ダート1800m)で2着。

3月18日、中山競馬場の4歳400万下(ダート1800m)で1着。皐月賞への出走が決まる。


平成元年のクラシック戦線は混戦ムードが漂っていた。3歳牡馬チャンピオンであるサクラホクトオーの不調、不良馬場の弥生賞を大差勝ちした道悪巧者レインボーアンバーの左脚の裂蹄による出走回避等、スター候補の不調や出走回避が相継いだ。


4月16日、皐月賞に出走。前日から降り続いた雨の影響で馬場は「不良」となった。ウィナーズサークルは7番人気。ドクタースパートに半馬身差の2着に敗れる。


ダービー・トライアルのNHK杯は回避。NHK杯は不良馬場だったため、松山師はこの決断を「結果的に正解」と語っている。


5月28日、東京優駿に出走。ウィナーズサークルは皐月賞2着の実績があったが、東京の芝コースを経験していない、芝のレースで勝っていないなど、不安材料は多かった。

当日は快晴で良馬場となった。

ウィナーズサークルは1枠3番。

スタートからの激しい「ダービーポジション」の奪い合いの末、ウィナーズサークルは5番手で1コーナーに入る。周囲の動きに惑わされることなく、中団に控えていた。直線残り2ハロンで先に抜け出したリアルバースデーと、ロングシンホニーの間を付いてウィナーズサークルは進出し、坂下でリアルバースデーを捉え先頭に立つ。大外から襲いかかるサーペンアップも届かず、2着リアルバースデーに半馬身差を付け、ウィナーズサークルが1着となる。

栗山牧場にとってJRAでの初重賞勝利。茨城県産馬による優勝は一般新聞に取材されるほどの話題となった。

レース後は栗山牧場で放牧され、秋まで休養となる。


10月15日、京都新聞杯に2番人気で出走し、バンブービギンの4着に敗れる。

11月5日、菊花賞に2番人気で出走し、10着に敗れる。

レースから4日後、骨折が判明し療養生活に入る。


1990年

8月に美浦に戻り、毎日王冠での復帰を目指すも屈腱炎を発症し引退となる。9月6日に登録を抹消した。


種牡馬生活

1990年シーズンから種牡馬となるも、同じシーホークを父に持つ平成2年のダービー馬アイネスフウジンと種牡馬デビュー年が重なる、サンデーサイレンス産駒がクラシックで活躍という逆風もあり、ウィナーズサークルの種牡馬としての評価、期待は低かった。

産駒も活躍馬は平成11年の高崎ダービーを制したウィナーズキシュウ程度で、中央での活躍馬は現れなかった。

1996年、シンジケートが解散。翌年の交配数は一桁台となる。


余生

2000年11月、東大農学部付属牧場※(笠間市)に実習用の種牡馬として移管され、繋養される。ウィナーズサークルはとても頭が良くおとなしく、人にも動物にも慣れていたという。

※正式名称は「東京大学大学院農学生命科学研究科付属牧場高等動物教育センター」。ヒシアケボノダンツシアトル、半兄のモンテプリンスなどのGⅠ馬も所属していた時期がある。


2007年、種牡馬を引退し、以降は当て馬となる。

2011年、東京大学大学院の競走馬生産は終了したが、ウィナーズサークルは功労馬繋養展示事業助成を受け、引き続き採血装蹄の実習馬として繋養された。

2016年、8月27日未明に老衰のため東大農学部付属牧場で死亡(30歳)。


東京大学大学院生命科学研究科獣医学専攻「獣医衛生学教室」にはウィナーズサークルの心臓が保存されている。


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