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純狐ママ

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じゅんこまま

「純狐ママ」とは、東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つである。「ママ」のニュアンスには主に二種(及び両者を合わせた三種)のものがある。
「純狐ママ」とは、東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つである。「ママ」のニュアンスには主に二種(及び両者を合わせた三種)のものがある。

概要

概要

東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つ。


純狐は初登場した『東方紺珠伝』よりはるか以前に家族を持っており、子に男の子があった。しかしその家族関係には純狐と子、その夫以外の人物が絡んだ複雑な人間関係があり、後に純狐は自身の夫にして嫦娥の夫に息子を殺害されている。

これを「 最初の怨み 」に以後恨みを「 純化 」し続け、やがて『紺珠伝』で登場した際のような今日の純狐の姿へと繋がっていくのである。


「純狐ママ」

「純狐ママ」

強い怨嗟をその身に宿し続けてきた純狐については、一方でそのバックボーンは二次創作において、現在にも結ばれる子を思う母としての純狐や自らの存在性を変えてしまうまでの恨みに身を落とすほどに家族を想う純狐などの姿の想像としても繋がっている。

この視点に立つとき、母としての純狐や身近な者に対して愛情深い性格をもつものとしての純狐などが他者にストレートに傾けられたとき、「純狐ママ」の姿の一つが表れることとなる。

いわゆる強い保護愛や慈愛が表れている純狐、といったところだろうか。


そしてそのような怒涛のような多様な経験を経た人間性をみるとき、他者に対する受容や包容、叱咤激励、あるいは深い洞察や知見などにつながるイメージを通して広く人々と触れ合いうる象徴や代名詞などとしての「ママ」としての姿への想像にも繋がっている。

この場合の「ママ」とは、飲食店(例えば所謂スナックやバーなど)において女性の主人などに対する敬称や愛称などとしての「ママ」のニュアンスである。


純狐はその二次創作において、母としての「ママ」と、一つないしはそれ以上の場を通して複数の人々をまとめ上げて各々の集いを切り盛りする女性としての「ママ」、そしてその両方を備えた存在として見出されることがあり、これが「純狐ママ」として象徴されるのである。


今日の「純狐ママ」

今日の「純狐ママ」

「純狐ママ」にまつわる二次創作では純狐の芯の強さと共に他者への包容力や叱咤激励したりする思いやりなどが描かれることもあり、その経験の深さが多様な「ママ」として生かされる様子が想像されている。


先述の二種類の「ママ」のニュアンスをそれぞれ見るとき、例えば前者を主とするものでは、『紺珠伝』の後、つながりを得た地上(幻想郷他)でかつて自らの子と触れ合ったように地上等の子供たちと触れ合ったりその姿を見守ったりする姿などが想像されている。

自身の子供との経験がふれあいや見守りの際の知見として発揮されることもあるなど、純狐の「 恨み 」とはまた異なる歴史が想像されるシーンとも言えるだろう。


後者を主とするものではやはり『紺珠伝』の後にどこかに料理店やスナックを開店し、その店のオーナーなどとしての「純狐ママ」が確立されるなどの想像がある。そして従業員とのやり取りや来店客との対話などを通して、純狐の様々な表情が描かれていくのである。

また実際の開店などは行わなくとも、「純狐ママ」の姿を本人または他の誰かが想像してみて妙な納得感や一致感を得る、という想像もある。


このとき、いずれの場合でも「純狐ママ」には『紺珠伝』でともに嫦娥と月の都へと挑んだヘカーティア・ラピスラズリの姿が垣間見えることがあり、ヘカーティア本人ではなくともクラウンピースが純狐をサポートするなど、『紺珠伝』でも共闘した面々の互いの結びつきが描かれることもある。


「純狐ママ」がもたらす癒しや激励を受けることとなるのは、個別の面々としては『紺珠伝』の経緯もあって二次創作でも鈴仙・優曇華院・イナバであることもあるが、へカーティアであったりその他の幻想郷の誰かであったりと、対象も幅広い。相手に合わせた純狐の対応力や包容力、器量、器の大きさも優れたものとして想像されることが多い。

時には不器用な「純狐ママ」が想像されることもあるが、その時でも愛情や慈愛はとても深かったりと、その心には深く大きな「ママ」たる想いが満たされていることも少なくない。


「純狐ママ」と嫦娥

「純狐ママ」と嫦娥

純狐については「純狐ママ」というアプローチに限らず、先述の古くからの因縁の経緯とも関連して『紺珠伝』でものぞかせた純粋な憎しみへと変化してきた存在として最早対話の通用しないパーソナリティが何かのきっかけで時折覗くというあり方が二次創作においても描かれることがある。

これは「純狐ママ」においてもみられることがあり、そのきっかけになるのが嫦娥あるいは「嫦娥」という言葉であることがある。

平時こそにこやかである純狐ママが、「嫦娥」の語(時にはそれに類する「音」)を聴いたとたんに半ば不随意的に豹変してしまうわけである。


これは先例の前者、後者の二種の「純狐ママ」の双方のアプローチでも見られており、例えば前者のものであればその豹変に子供たちが驚いたり、子供たちの前でそうならないよう精一杯自制しようとする純狐が描かれたり、時にはそんな豹変さえ子供たちは楽しんでいて、「恨み」の発露とそれを受け止めてくれる子供たちの触れ合いが純狐自身の「純化」の在り方を変容させていくなど、純狐自身の変化にも至りうるという想像もある。


後者の場合、店舗の従業員などが純狐ママの周辺から全力で「嫦娥」の語を除いたり隠したりする奮戦が描かれたり、うっかりその琴線に触れてしまい純狐ママの豹変を目の当たりにしてしまった来店客が驚愕するなどのアプローチがある。

これが店舗の運営に致命的にかかわったりすることもあるから深刻である。

一方、客も慣れたもので偶発的な純狐の変化もまた名物として受け入れていくというあり方もあるなど、こちらの「純狐ママ」においても順次それが個性として受け入れられていく様も想像されている。



「純狐ママ」は『紺珠伝』以後の純狐について、純狐が経てきた歴史や今の純狐に至るパーソナリティへの接近、及び純狐を取り巻く人間関係などを通して総合的に想像する試みの一つであり、それは純狐ならではの因縁も含め、「これから」の純狐を多様に想像するアプローチでもあるのである。


関連イラスト

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  • 主にスナックの「ママ」などとしての「純狐ママ」
  • 包容力・慈愛などの複合的な象徴としての「ママ」にみる「純狐ママ」

関連タグ

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東方Project ママ

純狐


東方Project(二次創作)

概要

概要

東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つ。


純狐は初登場した『東方紺珠伝』よりはるか以前に家族を持っており、子に男の子があった。しかしその家族関係には純狐と子、その夫以外の人物が絡んだ複雑な人間関係があり、後に純狐は自身の夫にして嫦娥の夫に息子を殺害されている。

これを「 最初の怨み 」に以後恨みを「 純化 」し続け、やがて『紺珠伝』で登場した際のような今日の純狐の姿へと繋がっていくのである。


「純狐ママ」

「純狐ママ」

強い怨嗟をその身に宿し続けてきた純狐については、一方でそのバックボーンは二次創作において、現在にも結ばれる子を思う母としての純狐や自らの存在性を変えてしまうまでの恨みに身を落とすほどに家族を想う純狐などの姿の想像としても繋がっている。

この視点に立つとき、母としての純狐や身近な者に対して愛情深い性格をもつものとしての純狐などが他者にストレートに傾けられたとき、「純狐ママ」の姿の一つが表れることとなる。

いわゆる強い保護愛や慈愛が表れている純狐、といったところだろうか。


そしてそのような怒涛のような多様な経験を経た人間性をみるとき、他者に対する受容や包容、叱咤激励、あるいは深い洞察や知見などにつながるイメージを通して広く人々と触れ合いうる象徴や代名詞などとしての「ママ」としての姿への想像にも繋がっている。

この場合の「ママ」とは、飲食店(例えば所謂スナックやバーなど)において女性の主人などに対する敬称や愛称などとしての「ママ」のニュアンスである。


純狐はその二次創作において、母としての「ママ」と、一つないしはそれ以上の場を通して複数の人々をまとめ上げて各々の集いを切り盛りする女性としての「ママ」、そしてその両方を備えた存在として見出されることがあり、これが「純狐ママ」として象徴されるのである。


今日の「純狐ママ」

今日の「純狐ママ」

「純狐ママ」にまつわる二次創作では純狐の芯の強さと共に他者への包容力や叱咤激励したりする思いやりなどが描かれることもあり、その経験の深さが多様な「ママ」として生かされる様子が想像されている。


先述の二種類の「ママ」のニュアンスをそれぞれ見るとき、例えば前者を主とするものでは、『紺珠伝』の後、つながりを得た地上(幻想郷他)でかつて自らの子と触れ合ったように地上等の子供たちと触れ合ったりその姿を見守ったりする姿などが想像されている。

自身の子供との経験がふれあいや見守りの際の知見として発揮されることもあるなど、純狐の「 恨み 」とはまた異なる歴史が想像されるシーンとも言えるだろう。


後者を主とするものではやはり『紺珠伝』の後にどこかに料理店やスナックを開店し、その店のオーナーなどとしての「純狐ママ」が確立されるなどの想像がある。そして従業員とのやり取りや来店客との対話などを通して、純狐の様々な表情が描かれていくのである。

また実際の開店などは行わなくとも、「純狐ママ」の姿を本人または他の誰かが想像してみて妙な納得感や一致感を得る、という想像もある。


このとき、いずれの場合でも「純狐ママ」には『紺珠伝』でともに嫦娥と月の都へと挑んだヘカーティア・ラピスラズリの姿が垣間見えることがあり、ヘカーティア本人ではなくともクラウンピースが純狐をサポートするなど、『紺珠伝』でも共闘した面々の互いの結びつきが描かれることもある。


「純狐ママ」がもたらす癒しや激励を受けることとなるのは、個別の面々としては『紺珠伝』の経緯もあって二次創作でも鈴仙・優曇華院・イナバであることもあるが、へカーティアであったりその他の幻想郷の誰かであったりと、対象も幅広い。相手に合わせた純狐の対応力や包容力、器量、器の大きさも優れたものとして想像されることが多い。

時には不器用な「純狐ママ」が想像されることもあるが、その時でも愛情や慈愛はとても深かったりと、その心には深く大きな「ママ」たる想いが満たされていることも少なくない。


「純狐ママ」と嫦娥

「純狐ママ」と嫦娥

純狐については「純狐ママ」というアプローチに限らず、先述の古くからの因縁の経緯とも関連して『紺珠伝』でものぞかせた純粋な憎しみへと変化してきた存在として最早対話の通用しないパーソナリティが何かのきっかけで時折覗くというあり方が二次創作においても描かれることがある。

これは「純狐ママ」においてもみられることがあり、そのきっかけになるのが嫦娥あるいは「嫦娥」という言葉であることがある。

平時こそにこやかである純狐ママが、「嫦娥」の語(時にはそれに類する「音」)を聴いたとたんに半ば不随意的に豹変してしまうわけである。


これは先例の前者、後者の二種の「純狐ママ」の双方のアプローチでも見られており、例えば前者のものであればその豹変に子供たちが驚いたり、子供たちの前でそうならないよう精一杯自制しようとする純狐が描かれたり、時にはそんな豹変さえ子供たちは楽しんでいて、「恨み」の発露とそれを受け止めてくれる子供たちの触れ合いが純狐自身の「純化」の在り方を変容させていくなど、純狐自身の変化にも至りうるという想像もある。


後者の場合、店舗の従業員などが純狐ママの周辺から全力で「嫦娥」の語を除いたり隠したりする奮戦が描かれたり、うっかりその琴線に触れてしまい純狐ママの豹変を目の当たりにしてしまった来店客が驚愕するなどのアプローチがある。

これが店舗の運営に致命的にかかわったりすることもあるから深刻である。

一方、客も慣れたもので偶発的な純狐の変化もまた名物として受け入れていくというあり方もあるなど、こちらの「純狐ママ」においても順次それが個性として受け入れられていく様も想像されている。



「純狐ママ」は『紺珠伝』以後の純狐について、純狐が経てきた歴史や今の純狐に至るパーソナリティへの接近、及び純狐を取り巻く人間関係などを通して総合的に想像する試みの一つであり、それは純狐ならではの因縁も含め、「これから」の純狐を多様に想像するアプローチでもあるのである。


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「純狐ママ」とは、東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つである。「ママ」のニュアンスには主に二種(及び両者を合わせた三種)のものがある。
「純狐ママ」とは、東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つである。「ママ」のニュアンスには主に二種(及び両者を合わせた三種)のものがある。

概要

概要

東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つ。


純狐は初登場した『東方紺珠伝』よりはるか以前に家族を持っており、子に男の子があった。しかしその家族関係には純狐と子、その夫以外の人物が絡んだ複雑な人間関係があり、後に純狐は自身の夫にして嫦娥の夫に息子を殺害されている。

これを「 最初の怨み 」に以後恨みを「 純化 」し続け、やがて『紺珠伝』で登場した際のような今日の純狐の姿へと繋がっていくのである。


「純狐ママ」

「純狐ママ」

強い怨嗟をその身に宿し続けてきた純狐については、一方でそのバックボーンは二次創作において、現在にも結ばれる子を思う母としての純狐や自らの存在性を変えてしまうまでの恨みに身を落とすほどに家族を想う純狐などの姿の想像としても繋がっている。

この視点に立つとき、母としての純狐や身近な者に対して愛情深い性格をもつものとしての純狐などが他者にストレートに傾けられたとき、「純狐ママ」の姿の一つが表れることとなる。

いわゆる強い保護愛や慈愛が表れている純狐、といったところだろうか。


そしてそのような怒涛のような多様な経験を経た人間性をみるとき、他者に対する受容や包容、叱咤激励、あるいは深い洞察や知見などにつながるイメージを通して広く人々と触れ合いうる象徴や代名詞などとしての「ママ」としての姿への想像にも繋がっている。

この場合の「ママ」とは、飲食店(例えば所謂スナックやバーなど)において女性の主人などに対する敬称や愛称などとしての「ママ」のニュアンスである。


純狐はその二次創作において、母としての「ママ」と、一つないしはそれ以上の場を通して複数の人々をまとめ上げて各々の集いを切り盛りする女性としての「ママ」、そしてその両方を備えた存在として見出されることがあり、これが「純狐ママ」として象徴されるのである。


今日の「純狐ママ」

今日の「純狐ママ」

「純狐ママ」にまつわる二次創作では純狐の芯の強さと共に他者への包容力や叱咤激励したりする思いやりなどが描かれることもあり、その経験の深さが多様な「ママ」として生かされる様子が想像されている。


先述の二種類の「ママ」のニュアンスをそれぞれ見るとき、例えば前者を主とするものでは、『紺珠伝』の後、つながりを得た地上(幻想郷他)でかつて自らの子と触れ合ったように地上等の子供たちと触れ合ったりその姿を見守ったりする姿などが想像されている。

自身の子供との経験がふれあいや見守りの際の知見として発揮されることもあるなど、純狐の「 恨み 」とはまた異なる歴史が想像されるシーンとも言えるだろう。


後者を主とするものではやはり『紺珠伝』の後にどこかに料理店やスナックを開店し、その店のオーナーなどとしての「純狐ママ」が確立されるなどの想像がある。そして従業員とのやり取りや来店客との対話などを通して、純狐の様々な表情が描かれていくのである。

また実際の開店などは行わなくとも、「純狐ママ」の姿を本人または他の誰かが想像してみて妙な納得感や一致感を得る、という想像もある。


このとき、いずれの場合でも「純狐ママ」には『紺珠伝』でともに嫦娥と月の都へと挑んだヘカーティア・ラピスラズリの姿が垣間見えることがあり、ヘカーティア本人ではなくともクラウンピースが純狐をサポートするなど、『紺珠伝』でも共闘した面々の互いの結びつきが描かれることもある。


「純狐ママ」がもたらす癒しや激励を受けることとなるのは、個別の面々としては『紺珠伝』の経緯もあって二次創作でも鈴仙・優曇華院・イナバであることもあるが、へカーティアであったりその他の幻想郷の誰かであったりと、対象も幅広い。相手に合わせた純狐の対応力や包容力、器量、器の大きさも優れたものとして想像されることが多い。

時には不器用な「純狐ママ」が想像されることもあるが、その時でも愛情や慈愛はとても深かったりと、その心には深く大きな「ママ」たる想いが満たされていることも少なくない。


「純狐ママ」と嫦娥

「純狐ママ」と嫦娥

純狐については「純狐ママ」というアプローチに限らず、先述の古くからの因縁の経緯とも関連して『紺珠伝』でものぞかせた純粋な憎しみへと変化してきた存在として最早対話の通用しないパーソナリティが何かのきっかけで時折覗くというあり方が二次創作においても描かれることがある。

これは「純狐ママ」においてもみられることがあり、そのきっかけになるのが嫦娥あるいは「嫦娥」という言葉であることがある。

平時こそにこやかである純狐ママが、「嫦娥」の語(時にはそれに類する「音」)を聴いたとたんに半ば不随意的に豹変してしまうわけである。


これは先例の前者、後者の二種の「純狐ママ」の双方のアプローチでも見られており、例えば前者のものであればその豹変に子供たちが驚いたり、子供たちの前でそうならないよう精一杯自制しようとする純狐が描かれたり、時にはそんな豹変さえ子供たちは楽しんでいて、「恨み」の発露とそれを受け止めてくれる子供たちの触れ合いが純狐自身の「純化」の在り方を変容させていくなど、純狐自身の変化にも至りうるという想像もある。


後者の場合、店舗の従業員などが純狐ママの周辺から全力で「嫦娥」の語を除いたり隠したりする奮戦が描かれたり、うっかりその琴線に触れてしまい純狐ママの豹変を目の当たりにしてしまった来店客が驚愕するなどのアプローチがある。

これが店舗の運営に致命的にかかわったりすることもあるから深刻である。

一方、客も慣れたもので偶発的な純狐の変化もまた名物として受け入れていくというあり方もあるなど、こちらの「純狐ママ」においても順次それが個性として受け入れられていく様も想像されている。



「純狐ママ」は『紺珠伝』以後の純狐について、純狐が経てきた歴史や今の純狐に至るパーソナリティへの接近、及び純狐を取り巻く人間関係などを通して総合的に想像する試みの一つであり、それは純狐ならではの因縁も含め、「これから」の純狐を多様に想像するアプローチでもあるのである。


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純狐


東方Project(二次創作)

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東方Projectに登場する純狐にまつわる二次創作アプローチの一つ。


純狐は初登場した『東方紺珠伝』よりはるか以前に家族を持っており、子に男の子があった。しかしその家族関係には純狐と子、その夫以外の人物が絡んだ複雑な人間関係があり、後に純狐は自身の夫にして嫦娥の夫に息子を殺害されている。

これを「 最初の怨み 」に以後恨みを「 純化 」し続け、やがて『紺珠伝』で登場した際のような今日の純狐の姿へと繋がっていくのである。


「純狐ママ」

「純狐ママ」

強い怨嗟をその身に宿し続けてきた純狐については、一方でそのバックボーンは二次創作において、現在にも結ばれる子を思う母としての純狐や自らの存在性を変えてしまうまでの恨みに身を落とすほどに家族を想う純狐などの姿の想像としても繋がっている。

この視点に立つとき、母としての純狐や身近な者に対して愛情深い性格をもつものとしての純狐などが他者にストレートに傾けられたとき、「純狐ママ」の姿の一つが表れることとなる。

いわゆる強い保護愛や慈愛が表れている純狐、といったところだろうか。


そしてそのような怒涛のような多様な経験を経た人間性をみるとき、他者に対する受容や包容、叱咤激励、あるいは深い洞察や知見などにつながるイメージを通して広く人々と触れ合いうる象徴や代名詞などとしての「ママ」としての姿への想像にも繋がっている。

この場合の「ママ」とは、飲食店(例えば所謂スナックやバーなど)において女性の主人などに対する敬称や愛称などとしての「ママ」のニュアンスである。


純狐はその二次創作において、母としての「ママ」と、一つないしはそれ以上の場を通して複数の人々をまとめ上げて各々の集いを切り盛りする女性としての「ママ」、そしてその両方を備えた存在として見出されることがあり、これが「純狐ママ」として象徴されるのである。


今日の「純狐ママ」

今日の「純狐ママ」

「純狐ママ」にまつわる二次創作では純狐の芯の強さと共に他者への包容力や叱咤激励したりする思いやりなどが描かれることもあり、その経験の深さが多様な「ママ」として生かされる様子が想像されている。


先述の二種類の「ママ」のニュアンスをそれぞれ見るとき、例えば前者を主とするものでは、『紺珠伝』の後、つながりを得た地上(幻想郷他)でかつて自らの子と触れ合ったように地上等の子供たちと触れ合ったりその姿を見守ったりする姿などが想像されている。

自身の子供との経験がふれあいや見守りの際の知見として発揮されることもあるなど、純狐の「 恨み 」とはまた異なる歴史が想像されるシーンとも言えるだろう。


後者を主とするものではやはり『紺珠伝』の後にどこかに料理店やスナックを開店し、その店のオーナーなどとしての「純狐ママ」が確立されるなどの想像がある。そして従業員とのやり取りや来店客との対話などを通して、純狐の様々な表情が描かれていくのである。

また実際の開店などは行わなくとも、「純狐ママ」の姿を本人または他の誰かが想像してみて妙な納得感や一致感を得る、という想像もある。


このとき、いずれの場合でも「純狐ママ」には『紺珠伝』でともに嫦娥と月の都へと挑んだヘカーティア・ラピスラズリの姿が垣間見えることがあり、ヘカーティア本人ではなくともクラウンピースが純狐をサポートするなど、『紺珠伝』でも共闘した面々の互いの結びつきが描かれることもある。


「純狐ママ」がもたらす癒しや激励を受けることとなるのは、個別の面々としては『紺珠伝』の経緯もあって二次創作でも鈴仙・優曇華院・イナバであることもあるが、へカーティアであったりその他の幻想郷の誰かであったりと、対象も幅広い。相手に合わせた純狐の対応力や包容力、器量、器の大きさも優れたものとして想像されることが多い。

時には不器用な「純狐ママ」が想像されることもあるが、その時でも愛情や慈愛はとても深かったりと、その心には深く大きな「ママ」たる想いが満たされていることも少なくない。


「純狐ママ」と嫦娥

「純狐ママ」と嫦娥

純狐については「純狐ママ」というアプローチに限らず、先述の古くからの因縁の経緯とも関連して『紺珠伝』でものぞかせた純粋な憎しみへと変化してきた存在として最早対話の通用しないパーソナリティが何かのきっかけで時折覗くというあり方が二次創作においても描かれることがある。

これは「純狐ママ」においてもみられることがあり、そのきっかけになるのが嫦娥あるいは「嫦娥」という言葉であることがある。

平時こそにこやかである純狐ママが、「嫦娥」の語(時にはそれに類する「音」)を聴いたとたんに半ば不随意的に豹変してしまうわけである。


これは先例の前者、後者の二種の「純狐ママ」の双方のアプローチでも見られており、例えば前者のものであればその豹変に子供たちが驚いたり、子供たちの前でそうならないよう精一杯自制しようとする純狐が描かれたり、時にはそんな豹変さえ子供たちは楽しんでいて、「恨み」の発露とそれを受け止めてくれる子供たちの触れ合いが純狐自身の「純化」の在り方を変容させていくなど、純狐自身の変化にも至りうるという想像もある。


後者の場合、店舗の従業員などが純狐ママの周辺から全力で「嫦娥」の語を除いたり隠したりする奮戦が描かれたり、うっかりその琴線に触れてしまい純狐ママの豹変を目の当たりにしてしまった来店客が驚愕するなどのアプローチがある。

これが店舗の運営に致命的にかかわったりすることもあるから深刻である。

一方、客も慣れたもので偶発的な純狐の変化もまた名物として受け入れていくというあり方もあるなど、こちらの「純狐ママ」においても順次それが個性として受け入れられていく様も想像されている。



「純狐ママ」は『紺珠伝』以後の純狐について、純狐が経てきた歴史や今の純狐に至るパーソナリティへの接近、及び純狐を取り巻く人間関係などを通して総合的に想像する試みの一つであり、それは純狐ならではの因縁も含め、「これから」の純狐を多様に想像するアプローチでもあるのである。


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