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東急多摩川線

とうきゅうたまがわせん

東急多摩川線とは、東急電鉄が営業している鉄道路線の1つ。蒲田〜多摩川間を運行。
目次 [非表示]

路線データ

路線延長5.6km
軌間1067mm
駅数7駅
電化区間全線直流電化(1500V)
複線区間全線
閉塞方式自動閉塞式
保安装置東急形ATS
最高速度80km/h

概要

東急電鉄が営業している鉄道路線の1つ。蒲田駅から多摩川駅を結ぶ路線で、全7駅。全区間が東京都大田区内に所在する。

18m車3両編成での運行、全車が各駅停車のワンマン運転である。

優等列車こそ運行されないものの、都内の人口密集地を走行している事もあり、日中においても約7分毎という高頻度運転をおこなっている。

ワンマン化に伴い全駅にセンサー装備のホーム柵が設置されている。

使用車両は1000系及び7000系で、池上線と共通運用を組む。車両基地もその池上線の雪が谷大塚駅に隣接する雪が谷検車区にあることから、線内のみの折り返し運転の他に、出入庫を兼ねた雪が谷大塚〜蒲田〜多摩川、五反田〜蒲田〜多摩川の池上線直通列車(蒲田駅で向きが変わる)も少なくない。

なお1000系の一部は旧東急標準カラー(復刻カラー)になっている。(表題イラスト参照)


旧・東京急行電鉄時代の2000年まで、蒲田駅から目黒駅までを結ぶ「東急目蒲線」として運行されていたが、2000年より営団地下鉄(現:東京地下鉄)南北線都営地下鉄三田線との相互運転のため、目黒駅から武蔵小杉駅の間(現在は日吉駅まで延伸)で運行される「東急目黒線」と、本項で扱う東急多摩川線とに分割された。

東急電鉄の前身となる会社のひとつ、「目黒蒲田電鉄」が、田園調布開発のため敷設・開業した路線(後の東急目蒲線)に、直接連なる歴史を持っていることから、東急電鉄発祥の路線と呼ばれている。(詳しくは後述)


2007年より本路線と駅、沿線の町を舞台とした現代アートによる街づくり計画、「多摩川アートラインプロジェクト」が立ち上がっており、美術を意識した形でのイベントなどが行われている。


歴史

元々同一路線であったため、一部東急目黒線と関連する内容を含むが、東急多摩川線の遍歴は以下の通り。

  • 本路線は1923年3月に、東急電鉄の前身となる鉄道会社のひとつ、目黒蒲田電鉄が敷設した路線で、当初は目黒-丸子(現在の沼部駅)間で開業した。同年11月に蒲田駅までの路線が全通(当時の目蒲電鉄蒲田駅は、池上電気鉄道(現・池上線)蒲田駅とは別の地点にあり、蒲田駅直前でカーブして京浜東北線と並走したところにあった。)、目黒-蒲田間での営業が開始される。1924年には、丸子-武蔵新田間に鵜ノ木駅、下丸子駅が開業。また翌1925年には、矢口(現:矢口渡駅)-蒲田間に本門寺道駅が開業。
  • 駅名は丸子駅が1924年に武蔵丸子駅、次いで1926年に沼部駅へと改称。矢口駅は1930年に矢口渡駅に改称。本門寺道駅は1936年に道塚駅へと改称。現在の多摩川駅は、1923年の路線開業時、奇しくも現在と同じ多摩川駅の名で開業したが、1926年に丸子多摩川駅、次いで1931年には多摩川園前駅へと改称している。
  • 1926年には東京横浜電鉄神奈川線(現東急東横線多摩川駅以南)丸子多摩川-神奈川(かつて反町-横浜間に存在した駅)間が開通し、目蒲線経由で目黒への直通を開始。この時目蒲線も運転系統が一時分離され、神奈川線と直通する目黒-丸子多摩川間と折返運転がなされる丸子多摩川-蒲田間に分割された。この状態は1928年に神奈川線改め東横線が渋谷まで延伸し目蒲線との直通運転を中止するまで続いたが、奇しくも現在の目黒線・多摩川線とよく似た運行形態が戦前の時点で既に行われていたという事になる。
  • 大東亜戦争末期の1945年6月、矢口渡-道塚-蒲田間路線付近が空襲によって焦土化、かつ目蒲線蒲田駅が焼失したため運行休止。同年8月に目蒲線蒲田駅を現在の形となる池上線蒲田駅に乗り入れる形で統合し矢口渡から南東側にレールを敷いて新線が開業。新線開業に伴い、道塚駅は再開業することなく翌1946年に廃止された。
  • 1966年、鵜ノ木駅が鵜の木駅に改称。次いで1977年、多摩川園前駅が多摩川園駅に改称。
  • 2000年8月、東急目蒲線が運転系統を分離。これにより東急目蒲線は、東急目黒線と東急多摩川線に分割される。東急多摩川線としての営業開始。多摩川園駅が多摩川駅に改称。

駅一覧

駅番号駅名読み接続路線その他
TM07蒲田かまた東急池上線(IK15)、JR京浜東北線蒲田東急プラザ内に駅がある。西口はユザワヤの聖地状態である。
TM06矢口渡やぐちのわたしなしナムコ(現バンダイナムコグループ)発祥の地。また、駅名となった多摩川の渡し船・矢口の渡し1949年までこの駅の近くに乗り場があった。
TM05武蔵新田むさしにったなし近郊に新田義興を祀る新田神社がある。ちなみにこの新田神社、破魔矢発祥の神社でもある。
TM04下丸子しもまるこなしキヤノン本社最寄り駅。近辺は漫画「それでも町は廻っている」の舞台モデルにもなっている。
TM03鵜の木うのきなし毎年7月頃に「全国鵜の木祭り」というイベントが開かれる。目蒲線時代は目黒寄り1両でドアカットが行われていた。
TM02沼部ぬまべなし近郊にの名所「桜坂」があり、福山雅治の楽曲はこの桜坂が元である。
TM01多摩川たまがわ東急東横線(TY09)、東急目黒線(MG09)駅近郊にかつて「多摩川園」という遊園地があった。1925年開園、1979年閉園。閉園後も2000年の改称まで駅名に名残が残った。

余談

この路線の届出上の正式な路線名称は単に「多摩川線」ではなく、会社の略称である「東急」を冠した「東急多摩川線」であり、車内の自動放送や路線図などにおいても必ずこのように呼称されている。これは東急新横浜線も同様である。名称設定時に西武鉄道多摩川線(こちらは「多摩川線」が正式名称)が東京都内に既に存在していたこと、過去に東急にも同じ「たまがわせん」という読み方の「玉川線」(※1)や「新玉川線」(※2)が存在したことから、これらの路線との混同を防止するためである。


(※1)渋谷駅〜二子玉川園駅間の路面電車(通称・玉電)。そのうち、三軒茶屋駅下高井戸駅間は「世田谷線」として現存している。

(※2)渋谷駅〜二子玉川駅間。2000年(平成12年)8月6日に田園都市線に編入されて名称消滅。


起点と終点を除く全ての中間駅は上下線ホーム、および改札が分離されており、仮に行先を間違えた場合でも折り返しての乗車が不可能な構造である(跨線橋や構内踏切は存在しない)。そのため行先をよく確かめてから改札を通る必要がある。


関連項目


外部リンク

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