概要
対戦車戦闘を行う車両は国や時代によって駆逐戦車、対戦車自走砲等の様々な名称で呼ばれてきた。現在でも対戦車ミサイルを主武装とする装甲車や、装輪戦車が軽戦車と区別するための名称として、戦車駆逐車の呼称を用いる事がある。
この項ではアメリカ軍が運用しGMCに分類した「戦車駆逐車」について紹介する。
そもそもGMCとは何か?
Gun Motor Carriageの略称で、「自走式砲架」もしくは「原動機付砲車」と直訳することができる。
特に有名な車両が本ページで解説する戦車駆逐車に偏っているため戦車駆逐車の別名として使われがちな呼称だが、実のところM12やM40といった15cm級の自走重砲も米軍では「GMC」に分類しているし、M15などの自走対空砲も「多連装(Multiple)」や「複合(Combination)」といった枕詞こそ付くものの、やはり制式名称はGMC(MGMC、CGMC)である。
この他にも自走榴弾砲はHMC(Howitzer Motor Carriage)、自走臼砲はMMC(Mortar Motor Carriage)とされていることから、GMCとはおおむね「自走砲」、中でも特に長砲身高初速の砲(当時の米陸軍で言う狭義のGun)を搭載したものを指す言葉だと考えてよいだろう。戦車駆逐車と訳されたTank Destroyerはこの中でも対戦車戦闘を主眼に置いたものの通称である。
米軍流「タンク・デストロイヤー」
ドイツ軍やソビエト軍は対戦車戦闘を行う車両の場合、不足している場合の応急的なもの(マーダーなど)を除いてたいがい固定式戦闘室を持った重装甲車両(ドイツ軍のラング、エレファントヤークトパンター、ヤークトティーガー、ヘッツァー、ソビエト軍のSU-85、SU-100、SU-152)が多い。
しかし、アメリカ軍の考え方では、重装甲の防御的性格を持つ対戦車砲部隊ではなく、高い機動力を持ち、通常時は予備兵力として待機し、敵戦車が攻撃を開始すれば急行して対戦車戦闘を行うというドクトリンであった。そのため、従来の牽引式対戦車砲を車載化し、M3ハーフトラックに搭載したものを運用していた。これが戦車駆逐車の始まりである。
専用車両としての「戦車駆逐車」の開発
ハーフトラックに搭載した対戦車砲では不満であったアメリカ軍は、より対戦車戦闘に適した専用車両を開発しようとした。これはM10GMCと呼ばれる車両が最初である。M4シャーマンの中でディーゼルエンジンを搭載するM4A2型をベースに、装甲を減らし、砲塔の屋根をなくし、M4戦車シリーズの75mm砲より強力な3インチ砲を搭載した車両であった。砲塔の屋根がないのは、視認性を向上させる為だが、同時に敵の砲撃に弱くなるという弱点があった。
その他にM18ヘルキャット(高速性を追求して開発された専用車)、M36ジャクソン(M10の主砲を90mm砲に換装したもの)がある。詳細は各項にて。
しかし、この手の車両は第二次世界大戦後、防御力不足と対戦車ミサイルの発達とともに姿を消すこととなった。これらの車両の後継として知られているのがオントス自走無反動砲であるが、こちらもベトナム戦争以降退役している。
また、T28重戦車もT95対戦車自走砲と呼ばれ、固定戦闘室かつ重装甲であることから、戦車駆逐車に含めることがあるが、この車両はジークフリート線突破も目的としており、KV-2やシュトゥルムティーガーと類似した要塞突破戦車と考えることもできる。
現在、日本国内では茨城県阿見町にある土浦駐屯地武器学校でM36ジャクソンが展示されているのを見ることができる。同車は61式戦車の90mm砲の試験用にアメリカから供与された車両であり、戦後日本戦車の開発に一役買った物である。