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概要

現在の名鉄河和線にあたる路線を敷設・運営した知多鉄道が、開業に際して8両を導入した電車。登場時の形式名はデハ910形で、形式称号は、製造年の1931年が皇紀2591年に相当したことに由来する。

1941年にモ910形へと改められ、車種変更を伴う複雑な改造を経て最終的にモ900形の形式が与えられた。


車体長16m、幅2.63mの半鋼製車体で、単行運転可能な両運転台構造。車内は客用扉間に左右に合計10脚のボックスシートを配置し、その他の部分をロングシートとしたセミクロスシート。


登場時の主要機器はウェスティングハウス・エレクトリック社製の単位スイッチ式間接非自動制御装置で出力74.6kwの主電動機を制御する。駆動方式は吊り掛け駆動。


運用の変遷

登場から太平洋戦争まで

知多鉄道開業と同時に営業入りし、線内列車だけでなく知多鉄道から愛知電気鉄道神宮前駅までの直通列車にも使用された。1941年に形式称号がデハ910からモ910へと改められ、同時に旧デハ910をモ915へと改番。車両番号をモ911-918へ再編した。知多鉄道は親会社の愛知電気鉄道(現在の名古屋本線の一部)と同じく、末尾5を欠番にしていたが、その穴を埋めた形である。


太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行で、知多鉄道は名古屋鉄道へ吸収合併。原形式・原記号のまま全車両が名鉄に承継され、輸送力強化のため車内をセミクロスシートからオールロングシートへ変更するなどの改造を施した。


戦後

全車両が戦火を免れたが、1948年8月に太田川車庫に留置中だったモ914がモ3301・3304と共に車庫の火災に巻き込まれて焼失。復旧時には焼損した車体を放棄し、3800系とほぼ同一の新造車体と再利用可能な機器類を組み合わせた3750形として復旧した。


残った7両は1958年から豊橋方の運転台を撤去して片運転台化を実施。同時に前面窓のアルミサッシ化、妻面への貫通幌枠・貫通幌の設置、貫通扉の開き扉化なども施工されている。


3700系への機器供出と制御車化

1964年から3730系製造に際して台車・制御装置・主電動機などの主要機器を供出することになり、代わりに木造車の廃車部品であるブリル27-MCB-2台車を装着。制御電動車から制御車へと車種変更されてク2330形となり、機器供出の対象外となった他のHL車と編成を組むようになった。


しかし3730系・3770系の増備に際して本系列のブリル台車が転用されることになり、不要になった車体は小型木造電車が多数残る瀬戸線の車両代替目的で同線へ転用されることになった。


瀬戸線転用

瀬戸線転用に際しては木造電車のモ600・モ650から主要機器を流用して再度電装化が行われた。モ600・650は間接自動進段制御を搭載しており、HL車からAL車の仲間入りを果たした。


竣工に際しては形式をモ900へと改めた。1966年3月から瀬戸線での特急電車運転開始に合わせてモ900を特急車両として整備することになり、座席の転換クロスシート化、車内照明の蛍光灯への交換、暖房、車内放送装置の設置、車内壁部のニス塗り仕上げから薄緑色のエナメル塗料塗りへの更新、客用扉の自動化、塗装の名鉄スカーレットへの変更、前面行先表示としてパノラマカーと同じ逆富士型(手動式)を設置、ミュージックホーンの取り付けなどを行った。


退役

瀬戸線栄町乗り入れに伴う架線電圧昇圧により、1978年3月18日の運用を最後に全車両が運用を離脱。3月20日に全車一斉に除籍されて形式消滅した。


譲渡

廃車後、福井鉄道へ3両、北陸鉄道へ4両が譲渡された。

北陸鉄道

北陸鉄道へ譲渡されたのはモ903-906の4両。市ノ坪の名鉄岐阜工場で両運転台仕様への復元、前面窓のHゴム固定化、貫通扉および客用扉の鋼製扉への交換などの工事を行ってから北鉄へ輸送された。


北鉄では3740形を名乗り、石川線で活躍したが東急7000系(初代)に置き換えられる形で順次運用を離脱。1990年12月までに全車両が廃車された。


福井鉄道

福井鉄道へ譲渡されたのはモ901・902・907の3両。名鉄時代の仕様のまま福井へ輸送され、福井方前面貫通扉の閉塞、武生方の乗務員扉撤去、客用扉の移設などの改造工事を行い、外観上名鉄時代の面影は殆ど失われた。

福井鉄道ではモハ140形を名乗り、それぞれ異なる出自の車両との2両編成を組んだ;

モ901→モハ141-2へ改番。相手は元長野電鉄モハ301形から改造されたモハ141-1

モ902→モハ142-2へ改番。相手は同じく元長電モハ301形から改造されたモハ142-1

モ907→モハ143-2へ改番。相手は福井鉄道生え抜きのモハ40形から改造されたモハ143-1

なお後年にはワンマン化改造も行われている。


入線からおよそ20年にわたって主力として活躍したが、600・610形の導入で142編成が1998年に、143編成が1999年に廃車された。

残った141編成は予備車として残り、平日と土曜日の朝のごく僅かな運用と検査時の代走運用を務めた。2006年に名鉄岐阜600V線区廃線によって放出されたモ770モ800モ880に置き換えられる形で定期運用から完全に離脱。2006年10月に除籍され、翌年6月に解体処分された。


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