概要
日本を含む世界各地では「チャイナエアライン(China Airlines)」、中国語圏では「中華航空公司」を正式名称とする。
画像はチャイナドレスの雰囲気がより強かった旧制服
一方、事故の多い航空会社としての定評もあるのが悩ましいところである。
1959年、中華民国空軍を辞めたパイロットたちにより設立された。
というのも台湾には既に国際線キャリアとして民航空運公司(シビル・エア・トランスポート、CAT)が存在していたのだが、元々アメリカのCIAの後押しで設立された経緯があり、台湾側が独自の航空会社を欲したという事情があったのである。とはいえ、CATに比べればいまひとつ影の薄い存在だった。
ところが、そのCATが1968年2月に台北郊外で墜落事故を起こした(こちらもどうぞ)のを機に、台湾を代表する航空会社へと発展していくことになる。
日本との関わり合い
日本へは1967年に大阪国際空港と東京国際空港(羽田空港)に乗り入れを始めたが、実はすでにCATが1950年から日本路線を開設していたため、先述のCATの墜落事故までは競合状態となっていた。日本に乗り入れる航空会社が1国につき1社が当たり前だった当時としては、アメリカ(パンアメリカン航空とノースウエスト航空)共々異例であった。
1974年4月21日に日本路線を廃止してしまった。それから約1年後に羽田空港への路線を再開設したが、成田空港開港後も外交上の理由により、東京へ乗り入れる国際線は2002年までは引き続き羽田空港発着を継続した。ただしその一方でそれを使って台湾・台北-羽田-ハワイ(ホノルル)線を運行しており、「東京から手軽に行ける国際線」として親しまれたことがあった。なお、日本発着のハワイ路線は成田-ホノルル線となったが、2017年10月末からは不定期便に格下げされた。
また、2019年7月時点では、羽田空港、成田空港、関西国際空港、中部国際空港、福岡空港だけでなく、新千歳空港や那覇空港、さらには石垣空港(沖縄県石垣島)など、計15カ所に乗り入れている。
事故
1994年4月に名古屋空港でチャイナエアライン140便(エアバスA300-600R)が墜落事故を引き起こしてしまい、264人の死者を出してしまった。
だが、それから約4年後の1998年2月には台北の国際空港でチャイナエアライン676便(エアバスA300-600R)で墜落事故、さらに4年後の2002年5月には澎湖諸島上空でチャイナエアライン611便(ボーイング747-200B)が空中分解事故を起こしてしまう。その結果、台湾では「華航四年大限(チャイナエアラインは4年に1度大事故を引き起こす)」というジンクスがあるとされていた。
航空機の安全性・信頼性の向上、パイロットの自社養成、外部の航空会社から整備部門の責任者を招聘、日本航空退職パイロットを雇い入れるなどにより、安全性向上に努力を行い、澎湖諸島上空のチャイナエアライン611便事故以降は、死者を出してしまう事故は起こしていない。