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概要

桓武天皇の第七皇子、母は多治比真宗、官位は太宰帥。


経歴

延暦13年(794年)に誕生、弘仁12年(821年)に四品、刑部卿・治部卿・中務卿となり、後に三品、承和7年(840年)に太宰帥となる。嘉祥3年(850年)に弾正尹、斉衡2年(855年)に二品、貞観2年(860年)に東大寺の大仏修造に関わり、後に修理落成供養会を監修した。貞観13年(871年)に薨去。


人物

今昔物語において親王が登場する話があり水不足に陥った水田を親王が見て子供の人形に大きな器をのせて水を流す絡繰人形を作った。その人形を見て民達は興味津々で水を流し以降その地は水不足は無くなった話がある。


家族

子は道野王忠貞王利基王忠範王がいる、孫の潔行王が臣籍降下をして平姓を名乗った。


外部リンク

賀陽親王 - Wikipedia


関連タグ

皇族 平安時代 桓武天皇 親王

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