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竹田恒泰

たけだつねやす

日本の作家。慶応義塾大学元非常勤講師。旧皇族宮家“竹田宮家”出身。
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解説

皇族11宮家の一つ、竹田宮家出身。保守論客としての知名度が高く、皇学館大学の非常勤講師を務め「憲法学者」を自称している。母方の実家から相続した「医療法人十字会」の実質的オーナーとしての顔も持つ。


第2代・竹田宮恒徳王の孫であり、恒徳王の第三男子である『日本オリンピック委員会(JOC)』会長竹田恒和の長男。祖父の恒徳王は竹田宮恒久王と明治天皇の第六皇女である常宮昌子内親王の間に生まれていることから、彼は明治天皇の女系の玄孫にあたる。元電通社員でプロゲーマー、ポーカープレイヤー竹田恒昭は従弟にあたる。


専門は憲法学、環境学で、本人は「私の専門は憲法の第一条です。この問題に取り組みたくて憲法学者になりました」と言っている。


2006年に著書『語られなかった皇族たちの真実』で山本七平賞を受賞し、皇位継承問題における「女系天皇容認論」に反対を表明したことで注目を集めた。その後も、皇室や日本史関連の書籍を相次いで執筆しており、新聞・テレビ、雑誌等にたびたび登場している。

2008年12月に、論文「天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?」でアパグループ主宰の第2回「真の近現代史観」懸賞論文“最優秀藤誠志賞”を受賞した。


政治主張

  • 皇室ー皇統問題については、神武天皇から続く男系の万世一系を保つため「旧皇族の復帰」や「旧宮家から養子をもらう」などを主張。女系天皇や女性宮家に対しては反対。
    • ただし、女系天皇制反対派にもかかわらず、本人は「明治天皇の玄孫」(ただし、明治天皇は女系の先祖)を自称または、その呼ばれ方を野放しにしており、批判者からは、この点を揶揄される事が多い。
  • 憲法ー憲法9条などの問題点は改正すべきと主張するが、その一方で天皇条項である第一章の改正や幸福追求権などの基本的人権の改正には慎重派。
  • 原発ー保守論客の中では珍しく反原発を主張する。

「皇族」「憲法学者」について

生家である竹田宮家は、台湾総督を務めた北白川宮能久親王から始まる、北白川宮家から枝分かれした宮家であり、第3代伏見宮貞成親王(後花園天皇の父)の男系17世孫にあたる。「竹田」の由来は京都・伏見にある地名から。


前述の“旧皇族”とある通り、竹田家は戦後皇籍を離脱しており、彼自身は皇籍に入っていたことはない。また、彼の父親である竹田恒和は、旧・竹田宮家の三男であり(つまり、竹田恒泰氏自身は、旧・竹田宮家の"本家筋"ではない)、仮に旧宮家が戦後皇籍を離脱する事が無かったとしても、父親の代に、臣籍降下していた可能性が高い。

ぶっちゃけて言うなら「元宮家の子孫」というのが誇るべきものであったと認めたが最後、彼は旧・皇族の中ではパッとしない傍流の旧・宮家の、更にその旧・宮家の中でも“本家筋”ではない分家の出身というビミョ〜極まりない立場になってしまう。

江戸時代の徳川家に喩えるなら、御三家御三卿のような「将軍家が万が一絶えた時の予備の家系」の更に予備の家系(竹田宮家は、当主が「親王」である北白川宮家の分家で、当主は親王より格下の「王」)の更に分家(父親が三男)の出身というようなものである。

※当時、親王が当主では無い(直系先祖の天皇から数えて五世孫以下の)宮家の次男以下については、皇族の徒な増加を防ぐため臣籍降下をして華族に列することが事実上義務づけられていた。なお、宮内庁調査によれば竹田家は三兄弟全員が男子に恵まれており、賀陽宮家のように傍系の子が離脱後の旧宮家を継承するということも(今の所)考えられない。


にもかかわらず、「元皇族」のイメージが有る(本人もそのイメージを野放しにしている)為、SNSなどでは「平民竹田」「竹田平民」と揶揄される場合が有る。


また、2013年度慶應義塾大学大学院法学研究科の非常勤講師として「憲法特殊講義」という授業を担当していたことから「憲法を専門とする法学者」と称するが、恩師である小林節に「慶応義塾大学非常勤講師である事を売名に利用している」と非難されて契約更新されなかった(実質的解雇)。学術誌などに論文を発表したことはなく、「真の近現代史観」懸賞論文は学界での業績として認められるものではない。


それゆえ、自称皇族自称憲法学者などと言われることがある(なお、本人は「明治天皇の玄孫」「旧皇族宮家・竹田宮家出身」と称して、「皇族」を自称することを避けている)


なお、雑誌「文藝春秋」平成17年3月号の頃より旧皇族復帰の候補となるかどうかの質問について長らく「ノーコメント」とし後に「(政治的発言が多いので)私は復帰できる立場に無い」と明言している。

しかしそれにもかかわらず、一部識者を通じて「旧皇族出身者の中で皇族復帰の意思を持つのはこの人だけ」という説が罷り通っているが、少なくとも本人発言からすれば事実では無い。


逸話

※主に竹田の自称によるため、真偽は不明

中国を旅したときの体験

19歳の頃、大学生だった竹田氏は、休みという休みを利用してはバックパックを背負って世界中を旅して回っており、平成7年(1995年)2月から3月にかけて中国を旅していたとき、雲南省の昆明からチベットに程近い大理行きの寝台バスに乗って眠っていたときに、乗っていたバスが乗用車と正面衝突し、横転したバスは車体が滑り、ガードレールの無い参道から外れ崖っぷち45度の角度で止まり、あと数センチで谷底に落ちていたという。


事故から無事に生還し救出された後日に、気を紛らわせようとハイキングに出掛けたが、まだ薄暗い明け方であったため、誤って人民解放軍の演習場に迷い込み、砲弾が飛び交う中をほふく前進して移動し、軍用犬に襲われた後に軍にスパイ容疑をかけられ捕まって連行され、長時間の取り調べを受けたあと、ただの観光の大学生だったことが解り、ようやく釈放されたという。


イラク戦争での体験

友人が当時のサダム・フセイン大統領や、彼が率いるバース党幹部と深い交流を持っていたことから、アメリカイラクを標的にして、大量破壊兵器の所有を世界に向けて宣伝していた頃に、状況を竹田氏と共に憂いでいたその友人の計らいで平成15年2月にバグダッドに渡りイラク訪問が実現した。


居場所は機密情報であったため、フセイン大統領と直接会うことはできなかったが、イラクの大臣や政府高官を通じて大統領とやり取りをし、その行動は連日イラクの国務放送がトップニュースで伝えていた。


当時、先進国の中で日本だけが唯一イラクと外交関係を保っており、アメリカだけでなくアラブ諸国やイスラエルとも友好関係を築いていた稀有な国であったことから、フセイン大統領は事態を打開するため日本に期待しており、日本の仲立ちでアメリカとイラクの衝突が回避できれば、国際社会に多大な貢献ができると竹田氏は考え、説得を試みた。


竹田氏の「イラクは本当に大量破壊兵器を持っているのか?」という和平を左右する重要なポイントの質問に対し、フセイン大統領はバグダッドの司令官を通じ「アラーに誓って、ない」と答えたという。この返答はイスラム教徒にとって最も重いものである。その後の平成16年10月、イラク戦争の大義名分だったはずの大量破壊兵器は存在せず、具体的な開発計画もなかったことが明らかとなった。


しかし水面下の和平工作では、当時の小泉純一郎首相が「アメリカの攻撃を支持する」と表明したことで水泡に帰してしまう。

帰国の朝に、竹田氏はイラクの旅で知り合ったイラク人の友人たちと抱き合って別れの挨拶を交わし、「たとえ俺が死んでも、俺たちの戦いぶりを後世に伝えてくれ」「お前だけは絶対に死ぬな!」「必ず生きて再会しよう」といった会話を交わして彼らと別れ帰国した。彼らとはこれが今生の別れとなった。


同年の3月19日、アメリカ・イギリス軍が空襲を開始し、竹田氏は自宅のテレビで「避けられたかもしれない戦争」の様子を見ており、自身の友人だけでも50人が亡くなったという。


その後

これら、3日間の間に2度死にかけた経験と、直接ではないが間接的に戦争に関わった『戦争経験』は、後にそれまで上手くいっていた仕事や生活をすべて捨て去って作家を志したことや、その後の自分の人生の生き方において大きな影響があったという。


メディア出演

オピニオン番組などで保守派のタレントとして出演している事が多く、また父の竹田恆和がJOC会長である為、スポーツ関係のコメンテーターとしてしばしば出演する。


議論では全体的にストレートな批判が持ち味である反面、誹謗中傷ととられても文句が言えないほどの攻撃的で侮蔑的ともとれる表現を多用しており、結果、不用意な発言がかなり目立つ。

たかじんのそこまで言って委員会』では在日韓国・朝鮮人通名制度に関して極端な解釈をもとに言及したことから、放送局であるよみうりテレビへ抗議申し入れがなされ、放送倫理・番組向上機構へ審理申し立てがなされたことがあった。

2014年には、ソチ五輪においてのツイートが問題視され、『委員会』メンバーからも顰蹙を買った。


また、竹田氏の経営する「十字会」は前の経営者であった祖母が行った不動産投資の失敗から経営が傾いており、十字会の「お家騒動」は週刊誌にしばしば書き立てられている。さらに、実父の竹田恒和]は東京オリンピック買収疑惑の渦中の人となっており(さらに言えば、恒泰の誕生前だが交通死亡事故を起こしたこともある)、従弟の竹田恒昭は大麻所持で逮捕される等、親族のスキャンダルにも事欠かない。


2013年には、以前から交際を噂されていた華原朋美に求婚したが失恋したと報じられたり、2014年には元AKB48畑山亜梨紗との交際を認めるような反応をしたりなど、週刊誌に「アイドル好き」の烙印を押されるスキャンダルを巻き起こし、「皇族芸人」などと揶揄されていたが、後にそこまで言って委員会NPにて、一般人女性と結婚明治神宮で式を挙げたことを発表した。


交友関係

師匠

今上天皇の従弟君。通称「ヒゲの殿下」。竹田氏が作家デビューする際に強い支えとなった人物で、彼とは親分子分のような関係だったという。皇族としてはかなり自由な発言、踏み込んだ発言をしたことでも有名で、多少立場は違えどその父・三笠宮「大殿下」とも通じるところがあった。故人。

友人・同志

仙台の福聚山慈眼寺で住職を務める金峯山修験本宗の僧。大阿闍梨。作家としても有名で、竹田氏とは神道と仏教の立場を超えた忌憚のない関係。

真言宗の僧で、日本のフォークデュオ『ゆず』のリーダー北川悠仁の兄。竹田氏の主催する竹田研究会の講演に来ていたときに親しくなり、サハリン慰霊の旅にも同行した。

衆議院議員。よく会って話しをする非常に親しい間柄で、山本七平賞の受賞記念パーティではスピーチを担当した。

「ヤンキー先生」で有名な衆議院議員。共通の友人がいて親しくなり、竹田研究会の講演にも時々訪れているという。

桂米朝一門の落語家。竹田氏の新作書籍が発売されるのを毎回楽しみにしていて、出演番組もよく見ておりあれこれ気にかけてもらっているという。

ジャーナリスト・評論家。原発やTPPについては意見が異なっているが、同じ国家観を抱いていて、皇室の良き理解者であり、何度も対談し意見交換をしている。

俳優。番組で共演するだけでなく実はメル友で、彼が主宰する勉強会に竹田氏が講師として招かれたこともある。2018年8月4日、死去。

漫才コンビ『ロンドンブーツ1号2号』のボケ担当。テレビ番組で知り合い呑み友達となり、彼が日本酒に造詣が深かったため、会うと酒の話しで盛り上がるという。

お笑い芸人で映画監督。竹田氏が彼の番組を企画したことがあり、その際に意気投合し雑誌で何度も対談している。頻繁には会っていないが、竹田氏は彼を尊敬している。

ミュージシャン。ラジオ企画で伊勢神宮を案内して以降に仲良くなり、皇居で開かれた雅楽に招待するなど現在も親交は続いているという。

歌手。テレビ出演がきっかけで知り合い、ラーメン屋「一蘭」の話題で盛り上がったニューカマーの友人。週刊誌でやたらと交際を噂されたが、結局そういう事実は無かった。

漫画家・コラムニスト。皇室ウォッチャーとして知られ、皇室を愛する点で親交が生まれた。竹田氏とはよく対談しており、その詳細をまとめた共著も出版している。

評論家・大学教授。かつては仇敵であったが、現在は仲が良く、竹田氏との対談をまとめ上げた対談集である共著を出版しており、共闘する同志である。


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