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一条信龍

いちじょうのぶたつ

武田信虎の9男あるいは10男で、武田信玄・信繁・信廉の異母兄弟で甲斐一条氏を継ぐ。武田家滅亡に殉じた。1540年前後~1582。

概要

武田信虎の9男あるいは10男として、1539年か1541年に産まれる。異母兄に信玄信繁信廉らがいるが、信玄とは20歳近く歳が離れており、信玄の嫡男だった甥の義信よりも年下である。

通称は右衛門大夫など。


信龍が継いだ甲斐一条氏は武田信義の次男・忠頼(一条次郎)を祖とする。忠頼は木曾義仲討伐などで活躍したがその強勢を疎んじた源頼朝により元暦元年(1184年)に誅殺されてしまう。

のち忠頼の弟で兄弟中唯一頼朝の覚えめでたかった武田信光(石和五郎)の次男・信長(武田六郎)が一条氏を継ぐが鎌倉時代に断絶した。時を経て信玄の命で信龍が一条氏を再興させた。


戦場では主に後衛を担当していた上に信龍は関する記録は乏しいが「洒落者」と言われており、山県昌景からは『信龍殿は武具の手入れを怠らず、煌びやか軍装に身を包んでいる。』と評価しており、馬場信春と並ぶ武田家の武人とも伝わっている。


信玄存命期は本願寺松永久秀など畿内方面の外交を担当し、勝頼の時代になっても善く支えた。1582年の武田滅亡の際には徳川家康の降伏勧告を断り、僅かな手勢で徳川軍に突撃して討死したと伝わる。

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