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ルノー4

るのーきゃとる

ルノー4はフランスの自動車メーカー、ルノーが1961年から1994年まで製造した小型ハッチバック車である。
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概要

ルノー4とはフランスの自動車メーカー、ルノーが1961年から1994年まで製造した小型ハッチバック車である。日本では通称キャトルとして親しまれているが、本国フランスでは主に、最もポピュラーな仕様「4L」から「カトレール(キャトレール)」と呼ばれる。

1961年から1986年までフランスで作られた他、スペイン、モロッコ、スロベキアなどの国で累計生産台数8,135,424台製造され世界第三位の生産台数を記録している。以外な所ではアルファロメオもライセンス生産していた。


歴史

開発のきっかけ

1950年代ルノーでは最小モデルとして750cc級リアエンジンの4CVを生産していたが、リアエンジンは室内空間が広くできるものの、車体前部のトランク容量は小さく、使い勝手がいいとは言えなかった。

また、4CVは1946年から長らく生産されており、時流に比べてやや旧態化・陳腐化していた。さらに、商用車として生産されていたジュバキャトルはそれより前の1937年に開発され後続のルノー小型車がリアエンジン主流の為やむを得ず生産を続行しておりこちらも代替が必要だった。 後継モデル開発にあたっては、前輪駆動のシトロエン・2CVが当初『缶詰』等と嘲笑されつつも、着実にフランスの路上に繁殖している以上、それを凌駕する車にすることが必須だった。


開発

開発はプロジェクト名112とし、開発チーム内では販売価格設定から350という名称で1958年にスタートする。当時のルノー公団ピエール・ドレフュス社長は、世界中にブルージーンズが広まったように、今後の時代に順応性のある、多目的で経済的な世界中の人々に愛される車を作りたいという思いから「ブルージーンズのような車」を開発コンセプトとした。既に世界的大ヒットを収めていた4cvを後継するという重大な責務を背負ったルノー4は、正に失敗は絶対に許されない状況だったのだ。

だがルノーは前輪駆動に挑戦した。4CVをはじめとした戦後生まれのルノーの多くの車種がRRさらにその前の車種はFRのレイアウトを取っていたので大きな進歩と言える。

 ただ、前輪駆動化はコストを抑えられるよう4CVのエンジンレイアウトをそのままフロントに持って行った。これは1930年代のトラクシオン・アバンにも採用された古典的なレイアウトだったが、開発期間も短くすることができた。

さまざまなテストを繰り返し、4CVの生産ラインを修正して1961年8月から生産をスタートした。


デビュー

ルノー4の正式デビューは、1961年9月のフランクフルト・モーターショーと、翌10月に行われた

パリオートショーで廉価版のR3(トロア)、ベーシックのR4(キャトル)、上級クラスのR4L(キャトレール)の3タイプの発表だった(発表直前の8月には200名のジャーナリストを集め、フランスはカマルグ地方で先行の発表会を行い、パリオートショーでは200台がモンレリーサーキットからパリに走行パブリシティする程の念の入れようだった)。

当時、メンテナンスフリーをいち早く謳い、正に鳴り物入りのデビューだったのである。そして、1961年10月早々には旧態化していたジュバキャトルの代替えとして開発が決められたF4(フルゴネット)を含め4タイプのデリバリーが開始された。デビュー当時のキャッチコピーは「どこへでも乗って行ける旅行鞄のような車」であった。


発展

1963年に初のフェイスリフトを受け、バンパーがパイプ型からプレスになり、固定式だったリア

ウインドーもフロントウインドーと同じスライド式となった。3段ギアボックスは従来の1速ノン

シンクロからフルシンクロに改良された。その一方でR4Lとの価格差が小さかったため販売は不振

だったR3が2500台生産したところで終了した。それでも、丈夫で長持ち、そして安価 (ベーシックの4は当時の日本の価格に直すと38万円で、2CVより3万ほど安く、速度も出せた)使い勝手のよいR4Lの人気の様相は、販売開始後6年間で100万台を突破するほど受け入れられ、瞬く間にその地位を築いたのであった。

1968年には後継となるべく用意されたルノー6が登場したが、そこそこ作られたものの結局ルノー4の人気には敵わずに先にフェードアウトした。これはライバルの2CVに対する後続車ディアーヌも同じ運命を辿っていることが興味深い。


その後

1971年、電装系を6Vから12Vに変更し信頼性が向上したが、旧態化してきたため翌年ルノー5が登場した。それまで5ドアや4ドアが当たり前だったフランス車に3ドア(当時は2ドアと言われていた)は新鮮で、初代サンクは爆発的に売れたので、ルノー4の人気にも陰りが出始めた。

排気量や安全対策の点から見ても交代すべきとプロジェクトがあったが、適切な代替が難しくルノー4は実用車として生き延びた。

1978年に最上級版としてそれまでの上級グレードTLよりも装備を増やしエンジンを1108CCに拡大したGTL(グラン・TL)を追加。フロントのバンパーガードや大きなサイドモールなどで判別できるこのGTLは、日本にも正規輸入で多数導入され、ルノー4の中で見かける事が多いモデルになった。


 

 1975年から86年にかけてのコマーシャル

終焉

1980年代に至ると基本設計が余りにも古くなり過ぎ、安全基準を満たすことができないため、1986年フランス本国での生産を終了しスペインに生産を移したものの、代替としてトゥインゴが発表され、1992年12月3日ルノーはR4の生産終了を公式発表する。 1000台限定で「バイバイ」モデルを生産しその後モロッコとスロベニアでわずかながら1994年まで生産され33年間のその生涯を終えた。


モータースポーツでのルノー4

ルノー4は非力であるにもかかわらず(1108CCのGTLでも34馬力)大衆車としての枠組みをこえて、1960年代からラリーに参戦した。もっとも耐久性や走破性のアピールのため参戦したのであって、入賞などを狙ったわけではなく完走はするが順位は悪かった。

だが、クロードとベルナールのマーロー兄弟はルノー4がよっぽど好きだったのか4wdモデルにアルピーヌサンクのエンジンをつんで1979年の第1回パリダカールラリーで総合5位と健闘した。当時のダカール・ラリーは4輪/2輪/トラックの3カテゴリで戦われており、その中での総合5位という成績は望外の結果だったと言える。しかし、彼ら兄弟はその結果にも満足することはなく、翌年の1980年大会では総合3位入賞を果たして自己ベストを更新した。

なお、生産終了後もその耐久性や走破性の高さを生かして4Lトロフィーとよばれるモロッコのたくさんの子供たちに学校を寄贈するために行われる、人道主義的な支援を目的としたラリー・イベントに活躍するルノー4も多い。


日本でのルノー4

1970年代から並行輸入されていて、一部にはイギリス向けの右ハンドルもあったが詳細は不明。

1108CCに拡大したGTLをキャピタル企業によって正式に輸入されたが、フランス本国での生産を終了するとともに販売を終了。その後にスペイン生産のものが数百台日本に上陸している。そして最後はモロッコ産のサバーニュという限定車で新車販売を終了した。 主に輸入されたのがバブル期だったので大衆車であるにもかかわらずクーラーのついていない時点で250万円もしてあまり売れなかったようである。

ただ、エアポンプなどつけてろくに走らないアメリカ仕様ににさらに厳しく触媒までつけたりしたもんだから、壊れて長生きできなかったサンクなどとは違い、アメリカ仕様が存在しなかったルノー4はヨーロッパ仕様を日本に持ってきて、それを日本で排気ガス規制にあわせて改造していたため壊れにくく、残存率は同時代のルノーの中では多い。

 


機構


車体

・プラットホームシャーシ上に架装されるボディの多くは、4ドアとテールゲート(ハッチバック)を組み合わせたものだが、この2ボックス型のボディ形式は、後のフォルクスワーゲン・ゴルフなど、多くのハッチバック車の先駆けとなった。 窓はコストダウンのため、平面ガラスを使用している。ドアウインドウは引き違い式で、初期の後ろのドアウインドウは固定式だったが後に四枚ともドアウインドウは引き違い式に改良された。

・室内からのドアの開閉はちょうど手が入るサイズに開いている穴に、手を差し込んで操作する簡素な方式で最後まで変わらなかった。

・極初期ロットの物はボンネット中央のプレスラインが無いが、強度等の問題があったのかその後のモデルにはプレスラインが入っている。

・ラテン車の例に漏れず、キャンバストップが多く純正のWサンルーフの他、後付けのキャンバストップ仕様も多く存在する。


エンジン

・初期型は4cvのエンジンにも使われた747ccのB型エンジンを使用した。最高出力24馬力と非力なうえ高速化には不利な3段ギアボックスながらも車重が580kgと軽かったため時速105㎞まで引っ張った。

(3は22馬力で最高速度90km)それでも非力すぎたのか1963年の輸出モデルからルノー ドーフィン用の845㏄エンジンとなり、時速110kmまで向上した。

・このドーフィン用のエンジンは20年以上使用され、1968年には頻繁にギアチェンジが必要な3段ギアボックスから4段ギアボックスに変更されたので実用性も上がったが、流石に1970年代に入ると旧型の3ベアリング・エンジンのB型エンジンでは力不足になりつつあり、1978年に最上級モデルとして登場したGTLは1,108ccのC型エンジンを採用し、最後まで生産した。

・C型エンジンは元々ルノー8用に開発されたものでこのシェラ・エンジンとも呼ばれた水冷直列4気筒の5ベアリング・エンジンは、極めて頑丈だったためチューンされてレースなどで活躍し、低コストだったため改良を重ねて42年に渡ってルノーの多くの小型車に使われた名エンジンだった。


サスペンション

・前が縦置きトーションバー・スプリングによるダブルウィッシュボーン式、後ろは横置きトーションバー・スプリングで支えられたフル・トレーリングアーム式だが、2CVほどエンジニアの理想を突き詰めた設計とはなっておらず、ルノーらしくある意味平凡なメカニズムを流用しそれを現実的に独自の合理主義で組み上げた設計となっている。

・長いトーションバー・スプリング2本はどうしてもずらして配置せざるを得ないが、上下並行では室内空間が圧迫されることから、前後に平行に配置した。その結果、左右のホイールベースは50mmのずれを生じた。前輪駆動車であるから、後輪にこの程度のわずかなずれがあっても大きな問題にはならない、というユニークな割り切りによる手法である。この結果荷室の床を平らにでき、サスペンションセッティングの自由度を高めて、優れた悪路走破性も確保できた。ただしサスペンションが経年変化をおこすのか、大部分の現存しているルノー4は空車の時点で運転席側が下がっている。


スペック

1980中頃のルノー4GTLのスペック


・全長 3660mm

・全幅 1510mm

・全高 1530mm

・ホイールベース 右2440mm 左2395mm

・車重 720kg

・エンジン C1E型1108cc水冷直列4気筒OHV

・最大出力 34hp(25kw)/4000rpm

・最大トルク 7.5mkg/2500rpm

・最高速度 120km/h

・燃費 1Lあたり16km~18km

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