『パリは燃えているか』は、アドルフ・ヒトラーが発したとされる台詞。
独:Brennt Paris? 仏:Paris brûle-t-il? 英:Is Paris Burning?
背景
1940/06/14、ナチス・ドイツの黄色作戦(フランス侵攻)によってパリは占拠され、
ナチス・ドイツの傀儡「ヴィシー政権」を樹立。
しかし、次第にノルマンディー上陸作戦(1944/06/06)等、ソ・英・米の攻勢にナチス・ドイツが追い詰られていくとフランスの占領を維持することが難儀となっていった。
「敵に渡すくらいなら灰にしろ。跡形もなく燃やせ」
総統はパリの焦土を決意。44/08/11、ドイツ占領軍司令官・コルティッツ将軍にパリに架かる橋を爆破し、最後の一兵になるまで戦闘を継続するよう命じた。
コルティッツ将軍本人はパリでの防衛は不可と考えていた。
19日に蜂起したフランス国内軍・レジスタンスへの鎮圧していたが、
23日/06時30分には米軍のパリ進軍が開始。
11時には総統による引き続きの防衛・鎮圧と共に「パリ廃墟命令」をコルティッツ将軍へ与えた。
これにコルティッツ将軍は命令遂行は不可能だと元帥に上申したが、受け入れられなかった。
25日/11時30分には米軍第12歩兵連隊がパリ南東部を占拠。
連動するようにフランス国内軍もオテル・ムーリスに対する攻撃を実行。
8/25/13時、「Brennt Paris ?(パリは燃えているか?)」
総統は電話機から、作戦部長アルフレート・ヨードルにそう問い掛ける
コルティッツ将軍らはパリ警視庁にて、8/25/15/30分降伏文書に調印していた。