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概要

ソビエト連邦最高指導者(ソビエトれんぽうさいこうしどうしゃ、ロシア語:руководителей СССР)は、ソビエト連邦に存在した地位。ソ連には閣僚会議議長(首相)や党書記長などの地位にあって、国政を主導して最終的な決定権を行使する事実上の最高指導者が存在した。従って最高指導者という地位は正式な役職では無く、彼らは必ずしも国家元首であるという訳では無かった。


歴史

1917年11月に10月革命が成功に終わった後、同月に世界初の社会主義共和国であるソ連が成立してから1991年12月に崩壊するまでの間、実に8人の最高指導者(マレンコフを含む)が存在した。この革命を主導した初代最高指導者のレーニンは役職としては人民委員会議議長という地位にあったが、後継のスターリンからはの官僚活動のトップに立つ書記長の職あるいはそれに該当する役職にある者が、事実上の党首として国政の実権をも掌握する最高指導者となった。


1923年7月にレーニンが任命された人民委員会議議長は首相に該当する役職で、1946年3月に閣僚会議議長に改称された。その一方で最高指導者は閣僚会議議長(首相)を兼任する事もあったが、部下を任命する事も多かった。1952年10月に党書記長の職はスターリンが廃止(さして政治的な影響が無い措置)し、1953年9月にその後継となったフルシチョフが実権を掌握して党中央委員会第一書記として事実上復活したが、1966年4月にブレジネフが党書記長に再び戻した。


1990年3月に大統領制が導入されて大統領は書記長に取って代わり、事実上ソ連の最高官職となった。以前は国家元首に相当する官職として中央執行委員会議長最高会議幹部会議長最高会議議長の3つが存在したが多分に名誉職に近く、ブレジネフのようにこの官職と党書記長を兼任した者も居たが、ソ連の事実上の絶対的な支配者として君臨したのは党書記長であった。


歴代の最高指導者

代数(代)氏名最高指導者の地位にあった期間出生地備考
ウラジーミル・レーニン1917年11月 - 1924年1月ロシア帝国 シンビルスクソビエト・ロシアが成立した期間から数えている。
2ヨシフ・スターリン1924年1月 - 1953年3月ロシア帝国 グルジア ゴリグルジア人
暫定ゲオルギー・マレンコフ1953年3月 - 1953年9月ロシア帝国 オレンブルク暫定的であったので代数に数えない。
3ニキータ・フルシチョフ1953年9月 - 1964年10月ロシア帝国 クルスク県カリノフカ
4レオニード・ブレジネフ1964年10月 - 1982年11月ロシア帝国 ウクライナ カメンスコエウクライナにおける少数民族のロシア人である。
5ユーリ・アンドロポフ1982年11月 - 1984年2月ロシア帝国 ナグツカヤ
6コンスタンティン・チェルネンコ1984年2月 - 1985年3月ロシア帝国 ボリシャヤ・テシ
7ミハイル・ゴルバチョフ1985年3月 - 1991年12月ソビエト連邦 プリヴォリノエ

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