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概要

アメリカ生産・調教の競走馬種牡馬

ビッグレッド」ことマンノウォーに唯一の黒星をつけた。


プロフィール


略歴

1917年

実業家ハリー・ペイン・ホイットニーが所有するブルックデール・スタッド・ファームで誕生。

父のブルームスティックはブルックデール・スタッド・ファームの主幹種牡馬で、アメリカで1913年から3年連続のリーディングサイアーとなり、後にアメリカ競馬の殿堂入りを果たしている。

母のパンクハーストは6頭のアメリカ・チャンピオン馬を輩出したヴォーターの子だった。

離乳すると、当時ホイットニー専属調教師だったジェームズ・ゴードン・ロウ・シニア(ベルモントステークス8勝)が調教に当たった。


1919年

5月、ベルモントパーク競馬場ジュヴェナイルステークスに出走し、ボニーメアリーの3着に敗れた。

8月2日、サラトガ競馬場ユナイテッドステイツホテルステークスに出走し、マンノウォーの2着に敗れた。

8月13日、サラトガ競馬場でサンフォードメモリアルステークスに出走。アップセットとマンノウォー、ゴールデンブルームの3頭立てだった。マンノウォーが第4コーナーで内、ゴール前で外によれ、斤量の軽いアプセットが半馬身差で勝利。「マンノウォーに勝った唯一の馬」として知られるようになった。

8月23日、サラトガ競馬場でグランドユニオンホテルステークスに出走し、マンノウォーの2着に敗れた。


1920年

5月1日、チャーチルダウンズ競馬場ケンタッキーダービーに出走し、ポールジョーンズの2着に敗れた。

5月18日、ピムリコ競馬場プリークネスステークスに出走し、マンノウォーの2着に敗れた。

8月21日、サラトガ競馬場でトラヴァーズステークスに出走し、マンノウォーの2着に敗れた。


この年はハーバーデグレースコンソレーションハンデキャップラトニアダービーに勝ち、現役を引退した。


1921年

種牡馬となり、ミスステップ(1925年生)、ウィンディシティ(1926年生)などを輩出した。


関連タグ

競走馬 種牡馬 1920世代

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