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日本におけるロックバンドの変遷
黎明期
当時の日本はまだ戦後復興の最中であり、ロックというジャンルが市民権を得ていなかった。
1960年代にかけて「ビートルズ」や「エルビス・プレスリー」といったロックスターが世界的に注目されるようになる。ロック熱が急上昇すると、ロックは第一次成熟期に入った。
この第一次成熟期に、水面下で細野晴臣が所属する「はっぴいえんど」や「ジャックス」といったバンドが活動を開始した。
1970年代
1970年代に入るとロックのジャンルの細分化が進み、「メタル」「ハードコア」「テクノ」といった新たなジャンルの音楽が産みだされていく。
日本でも、「四人囃子」や「裸のラリーズ」といったプログレシブなバンドが市民権を得ていったのもこの時代である。
1980年代
1980年代から、ロックというジャンルがポピュラーミュージックの仲間入りを果たす。
今でもファンの多い「B'z」「UNICORN」といったバンドが活動を本格化させたのはこのころだ。ただ、この時期を「邦ロックが花咲いた時代」と称する者もいれば、「ロックの商業化が進んだ時代」と称する者もいることは確かである。
定義しきれないぐらいのジャンルの音楽が生まれ、人気を博したこの時代で「ロックミュージックは金になる存在」であった。
そこで、音楽性が認められるよりも企業とのタイアップといった形で売れ線を狙うようなレコード会社が現れるようになった。
それに疑問を感じ、利益主義に走りがちな大手レコード会社に所属せずに音楽活動を行うものが現れる。それが、インディーズバンドである。
現れた、というより、「既にあったが、ちょうど良くそこにあって、そこに良い音楽が集まった」と言うべきだろうか。
1980年代以降、「大衆に受け入れられるメジャーバンド」と「アンダーグラウンドに活動するインディーズバンド」といった二極化の構造が産まれた。
このとき、前者へのアイロニーを含めてかインディーでは、更なる音楽性の多様化が進んでいた。
アバンギャルド・ハードコア・インダストリアルといったワードが盛んに使われるようになったのもこの時代だ。
1990年代
オルタナティブという言葉が音楽シーンで見られるようになるのがこの時代である。
「メタル」「ハードコア」といった激しめのロックの波が去ったとき、次の波が来るようにロックの原点回帰が始まったのである。
アメリカで「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のようなオルタナティブなアーティストが流行すると、日本でも「七尾旅人」のようなアーティストが注目され、日本でもオルタナティブな楽曲が受け入られるようになったのだ。
2000年代以降
インターネットやSNSの普及に伴い、「ネット発」「Youtube生まれの」といったバンドが注目を集めるようになる。いわば、インターネットによる二極化構造の穴埋めである。
また、「アイドル歌謡曲」や「ヲタク文化」が組み合わさった「電波系」というジャンルの確立やロックバンドによるアニメ主題歌といった、サブカルチャーを巻き込んだ販売戦略がとられるようになったのはこの時代の特徴ではないだろうか。